津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

旧暦7月11日

2010-07-11 17:58:32 | 歴史
 元治元年(1864)の今日、佐久間象山が肥後細川藩士河上彦斎に殺害された。
彦斎は優秀な人であったらしいが、テロリストであることは間違いない。
顕彰されているがなんとも理解できない。

     河上彦斎    ja.wikipedia.org/wiki/河上彦斎
     佐久間象山  ja.wikipedia.org/wiki/佐久間象山
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大津御茶屋之圖

2010-07-11 08:57:54 | 歴史
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 昨日の「史談会」の資料の中にあったのが、この「大津御茶屋之圖」である。左下に署名がある狩野直温(太郎左衛門)は私の祖母の実方の祖父である。(私にとっては高祖父にあたる)あまりの偶然に驚いてしまった。

 此の建物には玄関は無い。中門から入られて庭からお入りに成ったのであろう。入側が廻る床の間付きの八畳の間が御座所、大きな部室は詰所とあり十五畳右は入側である。詰所の左は八畳、御茶道・御医師・御納戸の書き込みが有る。一番下の右側が御用人間とあり八畳、左が六畳で下横目とある。入側の中央部に「御夜詰」の書き込みが有り、二人が宿直(とのい)したことが判る。
御手水所を入れても29坪程のささやかな施設である。
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有吉家文書「年中行事抜粋」大津御迎之式--続

2010-07-11 08:48:44 | 有吉家文書

一、御着座之上御用人より案内有之
   御居間御入側之入口二枚屏風之側江
   脇差を脱/入口之御敷居内御入頬にて
   御辞儀申上御障子際御敷居之
   所まてニ罷出是江登
   御意之上御居間江摺入御一ト通
   御意被為在御手熨斗頂戴之仕左江
   開下り御次ニ而帯剣御用人間江参り
   候事/付札此召出より御人払ニて候事
     但此熨斗之跡ニ而御人払之御用
     も有臨時之御模様ニ可應事
一、右之通ニて被相済/猶被召出御吸物御酒
   御肴一種御祝被遊/右之御残於
   御前頂戴被仰付候間/暫御咄申上
   下り候上、御用人江御禮申上候事
     但此召出之節ハ初之通御辞儀申上
     直ニ御縁側御向通宜キ程之所江
     罷出候事
一、右畢而於御用人間猶御吸物御酒御肴
   一種一汁三菜之支度をも被下候間頂
   戴之上猶御礼申上候事
     但是ハ御前ニて之頂戴已前ニ頂
     戴之事モ有之候、尤此頂戴ハ御断
     申上候儀茂不苦候事
一、本行御前通りニ而頂戴ハ以前より之
   御極ニて/文化十一年之各別御倹約中茂
   御様子違不申候事
一、右相済御用不被為在候ハゝ引取可申旨
   御用人江懸合/御様子ニ應し引取候
   尤於熊本御意伝之稜付御用人
   より受取候事
一、御茶屋引取於旅宿衣服初之通着
   替直ニ出立私宅江着之事
一、帰宅之上何時比被遊
   御着奉恐悦候/例之面々江
   御意之趣於御花畑可相達旨御用
   番江申越候得者御用番より廻文有之
   候事
                (了)

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