津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

解説の間違い

2011-11-24 20:25:13 | 史料

 「綿考輯録-藤孝公」の巻尾に、刊行に大なるご尽力をされた土田將雄先生の解説--「綿考輯録」の成立まで--がある。

小野武次郎による「綿考輯録」の完成以前に存在した述作について述べておられる。

        イ)細川之御伝記   新美吉隆による墨付五二庁の小伝記とある。

        ロ)細川家伝  四冊  著者未詳で妙応院が公儀へ提出したものだそうだ。

        ハ)細川全記 十二冊  松井康之家臣・粟坂恕軒の筆になるものである。享保二年の作とされる。

        ニ)御家伝  十六冊  井沢長秀による。享保四年の作だとする。
                        資料とした引用書130が明記され、その他御家士所伝数部とある。

        ホ)御家譜  八冊
          細川御系譜 二冊  共に平野長看によるものであり、小野武次郎をして「精密なる仕立」「これにまさるはござあるまじく」
                        と絶賛し、この書を基本にしたとする。

        へ)幽齋公御年譜  九冊
          御年譜藤孝公  四冊

 これらの資料をベースにして、小野武次郎は綿考輯録の編纂に当るのだが、その詳細はCiNiiに土田將雄先生の「細川幽齋伝記の編纂について」を御覧いただきたい。

     http://ci.nii.ac.jp/els/110000187084.pdf?id=ART0000549132&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1322127536&cp=

さて(ロ)の表紙貼紙に下記の如く記されているという。

        此壱冊は貞享元年五月晦日、妙応院様より公儀江被遊御差出候控、御宝蔵ニ納リ居候より、寛政六年九月写置候
        御控ハ浅黄チリメンフクサに包、春慶塗桐箱ニ入、こより緒箱之銘張紙ニ而、細川家伝壱冊あさきふくさと記有之候
        事、御料紙越前奉書打紙表紙同紙也

処が後がいけない。校正にもっと神経を使うべきであったろうと悔やまれる。

        「妙応院とは光尚のことで」といきなりの間違いである。当然の事ながら綱利のことである。
        「貞享元年 一六八四 幕府に提出したものの写しである。藤孝についてはわずかの記事しかなく、忠興以下の事跡
         を記すにとどまる。光尚はかつて光貞を称し、細川系図(続群書類従巻第百四十)の奥書にその名が見える。
         寛永諸家系図伝との関係が考えられよう」

なんともいただけない。私は解説を特に大事に読むことを心がけている。これを読むと本文を読まずとも大意を知ることさえ出来る場合がある。生業の関係の建築雑誌、展覧会などの図録こんなところからあらたな情報や知識を得ることが出来る。
綿考輯録の場合再版はありえないかもしれないし、これは大変困ったことではある。

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だんしがしんだ

2011-11-24 17:34:06 | 徒然

                                現代落語論 (三一新書 507)

 立川談志師匠が亡くなった。私はこの「現代落語論」の初版本を購入して持っていたのだが、あちこち探したが出てこない。
処分したのであろうか。何度もよく読んだ本である。若くて真打になり、生意気な言いようが小気味よかった。
それは裏打ちされた実力とゆるぎない自信によるものだろう。

 志ん朝や馬生、円鏡、枝雀などが好きで、労音の落語会などがあると聞きにいった。上京すると鈴本や末広亭を覗いた。
残念ながら談志の実物にはお目にかかっていない。ジャズがすきだったらしいが、先代円楽も向こうを張ってジャズや洋画のことを喋っていたが、共に鬼籍の人となり天上界は賑わっていることだろう。

 今後このような人物が出てくるのだろうか。このような人が亡くなると跡の人が小さく見えてしまう。
息子がYouTubeで談志の落語を聴いている。

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