津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「旦夕覺書」 花--14 にある魚住氏の事

2011-11-01 15:21:46 | オークション

 石垣原の戦いで活躍した魚住右衛門兵衛に関し、「旦夕覺書」 花--14 に置いて堀内傳右衛門は次のように記しているが、ほぼ「綿考輯録」に添ってである。

三齋様御代豊後國石垣原の合戦之時御家より松井殿有吉殿大将にて黒田如水も人數被遣刻御家にて魚住右衛門兵衛働如水老之紙面之寫なり

        一昨日御働手柄段松佐州有四郎右御物語に
        候於我等満足不過之候今日爰元相澄候て明日
        其地へ参面上以萬々可申入候恐々謹言
           九月十五日      如水軒判
                 魚住右衛門兵衛殿
其後三齋公江如水老右衛門兵衛御所望にて小身にて被召仕候由拙者江被下候はヾ貮千石被下との事に候 時あの様成者は幾人にても願申候とて則貮千石御加増被下候由魚住又助祖父之由 先年御家中先祖附差出候時右之通いかにしてもかヽれぬとて又助致遠慮候とて澤伊左衛門縁者にて拙者江咄申候 理知儀過たる男とて笑申候 右之紙面寫置候 三齋公御代は外之御家にも跡式皆々へり不残は不被下候由忠利公肥後拝領被成以後御家中侍中之跡目十五以上無相違可被為拝領と被仰出候由八代にて三齋公御聞被成越中か大名に成たるとて右之通被仰出候 後々には奉公人之人柄あしく可成と御意被成候由遠坂関内殿咄申候

 
 数日前黒田如水の書状をお持ちだという、魚住様からご連絡をいただいた。コピーを頂戴することにしているが、ほぼ間違いないだろうと考えている。
その他種々の文書をご提供いただくこととなったが、この様な貴重な文書にお目にかかれることについて、このサイトを続けてきたお蔭だと自分を褒めたい気分である。快くご同意いただいた事に感謝申上げる。

コメント
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