津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

筆耕

2011-11-17 16:35:53 | 徒然

 浪人に限らず禄の低い侍などは内職にいそしんでいたことは周知の事だが、我が家の先祖などはなにを内職としていたのだろうかと思ったりする。「筆耕」という職業(?)があるが、これなんぞは勉強にもなるし案外良いかも知れない。

 次元が違う話だが、幽齋公はあちこちから頼まれていろんなものを書き写して与えておられる。一部ご紹介する。

        ・若狭侍従(木下勝俊)             伊勢物語       文禄五年夏
        ・吉田のむすめ(吉田兼治室・伊也)      同上
        ・木下右衛門大夫                つれ/\草 
        ・吉田ノ浄性院サマ(吉田兼治室・伊也)  竹とりの物語    慶長元年十二月  

 木下勝俊は歌道の弟子、弟・右衛門大夫は娘・加賀の聟殿延俊であり、秀吉室高台院の甥であり兄弟である。
吉田兼治室・伊也は一色義有に嫁ぎ、幽齋・忠興親子に義有を殺されているが、兼治に再嫁多くの子をなし幸せに暮らした。
幽齋の心使いがみてとれて微笑ましい。

コメント
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