右が肥後細川藩初代・忠利公、左が二代光尚公の墓所
自衛隊北熊本駐屯地の隊員の皆様と地元有志の方々
(右手に忠利公夫人・保寿院の墓所がある)
今日は9時から自衛隊北熊本駐屯地の皆様によって、妙解寺のお掃除が行われた。
これに出席の前、すぐ近所の九州新幹線の高架横で高麗門跡の発掘が行われている現場を訪ねて写真撮影、在来線の高架化着工前の調査だが旧河川の護岸の石垣(?)が90メートルほど表れている。もともとは川を埋め立てた所に鉄道を通したため、このような物が100年(?)ばかりの時をへて顔を出した。近々現場説明会もあるらしいから、顔を出したいと思っている。
妙解寺の方は昨年に引き続き一言皆様へ御礼の御挨拶、20分ほど「細川家と妙解寺」についてお話を申上げる。総勢200人余、広い園内もこれだけの人数にかかれば瞬く間である。昨年は積年の蔦や雑草に覆われていたが、今年は熊本市の手も入り意外と綺麗にしている。
私は史談会の例会に出席するために中途で失礼する。
海外からお問い合わせいただいた案件に付き、先祖附その他を中央郵便局から発送。
史談会では今日は有吉家文書の最終回である。長い間読み下しの作業と講師を担当された下津先生(下津棒庵ご子孫)が、今回を以って引退されることになった。福岡との県境・荒尾市からお通いいただいてご苦労をお掛けし、ただただ感謝である。例会終了後会員有志が出席し、下津先生を囲み昼食をとりながらのお別れの会を催す。次回からは新たな講師をお迎えしての再出発となる。
帰途、熊本県立図書館へ直行、希首座に関する資料を司書の方達のお手を煩わして調査、内膳家の絵図にもそれらしき書入れがあるのでカラーコピーをとる。島田美術館の先々代島田真富先生が、希首座について書かれた論考もコピー、また錦嚢移文にも記事が見受けられたのでこちらはコピー不可故デジカメ撮影する。
その折直接関係はないのだがすごい史料を見せられて、後日改めてデジカメ撮影を御願いした。
ついでといっては失礼だが、撮影途中で史談会会員のK家に関する資料を発見、これもデジカメ撮影。
史談会会員といえば館内でF氏とも遭遇、熱心に調べ物「細川家江戸藩邸について」の追加調査中、現195ページを250ページほどに補完して図書館への納本を目指しておられる。凄いの一言に尽きる。
帰り道懸案の、図書館裏の遊歩道から入った芭蕉園にある句碑を撮影、子規か虚子かハッキリしなかったのだが虚子が正解。
いずれそれぞれの写真を貼り付けようと思っている。多忙な一日疲れました。