津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

虚子の句碑

2011-11-26 22:37:27 | 俳句

 熊本県立図書館の裏手には、水深2~30センチほどの水前寺成趣園(水前寺公園)から清冽な水が流れ出る川に添った遊歩道がある。
図書館の敷地はかっての細川内膳家の下屋敷で、一時期、井関農機株式会社の所有するところであった。
高浜虚子は熊本を三度訪れているが、昭和三年に来熊したさいここに宿泊した。そして詠んだ句が昭和三十年句碑となり、次女星野立子を迎えてその完成を祝った。現在芭蕉園と呼ばれているところであるが、湧水がきれいな池に面して立っている。遊歩道には背を向けているので判りづらいかもしれないが、大きな自然石の立派な句碑である。

 

                                     縦横に水のながれや芭蕉林 虚子


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日もろもろ

2011-11-26 18:37:23 | 徒然

                               

                               右が肥後細川藩初代・忠利公、左が二代光尚公の墓所 
                               自衛隊北熊本駐屯地の隊員の皆様と地元有志の方々
                                  (右手に忠利公夫人・保寿院の墓所がある)

今日は9時から自衛隊北熊本駐屯地の皆様によって、妙解寺のお掃除が行われた。
これに出席の前、すぐ近所の九州新幹線の高架横で高麗門跡の発掘が行われている現場を訪ねて写真撮影、在来線の高架化着工前の調査だが旧河川の護岸の石垣(?)が90メートルほど表れている。もともとは川を埋め立てた所に鉄道を通したため、このような物が100年(?)ばかりの時をへて顔を出した。近々現場説明会もあるらしいから、顔を出したいと思っている。

妙解寺の方は昨年に引き続き一言皆様へ御礼の御挨拶、20分ほど「細川家と妙解寺」についてお話を申上げる。総勢200人余、広い園内もこれだけの人数にかかれば瞬く間である。昨年は積年の蔦や雑草に覆われていたが、今年は熊本市の手も入り意外と綺麗にしている。

私は史談会の例会に出席するために中途で失礼する。
海外からお問い合わせいただいた案件に付き、先祖附その他を中央郵便局から発送。

史談会では今日は有吉家文書の最終回である。長い間読み下しの作業と講師を担当された下津先生(下津棒庵ご子孫)が、今回を以って引退されることになった。福岡との県境・荒尾市からお通いいただいてご苦労をお掛けし、ただただ感謝である。例会終了後会員有志が出席し、下津先生を囲み昼食をとりながらのお別れの会を催す。次回からは新たな講師をお迎えしての再出発となる。

帰途、熊本県立図書館へ直行、希首座に関する資料を司書の方達のお手を煩わして調査、内膳家の絵図にもそれらしき書入れがあるのでカラーコピーをとる。島田美術館の先々代島田真富先生が、希首座について書かれた論考もコピー、また錦嚢移文にも記事が見受けられたのでこちらはコピー不可故デジカメ撮影する。
その折直接関係はないのだがすごい史料を見せられて、後日改めてデジカメ撮影を御願いした。

ついでといっては失礼だが、撮影途中で史談会会員のK家に関する資料を発見、これもデジカメ撮影。
史談会会員といえば館内でF氏とも遭遇、熱心に調べ物「細川家江戸藩邸について」の追加調査中、現195ページを250ページほどに補完して図書館への納本を目指しておられる。凄いの一言に尽きる。

帰り道懸案の、図書館裏の遊歩道から入った芭蕉園にある句碑を撮影、子規か虚子かハッキリしなかったのだが虚子が正解。

いずれそれぞれの写真を貼り付けようと思っている。多忙な一日疲れました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩野君山老の書簡

2011-11-26 16:37:39 | 史料

 昭和15年4月、狩野君山老が小石川の細川侯爵邸の家職に宛てた書簡である。(内容写真は省略する)
内容は、近衛家の陽明文庫に匹敵するような、文庫の命名に関して侯爵家からのいくつかの案を示してのご下問に対しての返事である。
この時期「永青文庫」という名前は候補として登場していない。五六件の案に対し君山老は一つ/\解説をいれているが、どうやら全部お気に召さないらしい。永青文庫の創立は君山老死去後のこととなるが、命名に至る経緯が伺えて面白い。
又、住所には番地がなく細川侯爵御邸(下ノ御邸)と書かれていたり、切手が東郷平八郎元帥(四銭三枚-速達)であったり・・・これも又興味深い。

 家職とはわが祖父のことなのだが、君山老にとっては姪聟にあたる。宛名は個人名ではなく職名となっているし、添えられた私的な手紙もとても伯父甥の関係を伺わせるようなものではない。いかにも謹厳実直な人らしい感じが見て取れて微笑ましい。

これも某サイトのおかげで永青文庫の所蔵することを知った。
この時期私はまだ生まれていない。祖父の足跡をたどる上で貴重なものとなった。

    狩野直喜(君山) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E7%9B%B4%E5%96%9C  

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする