細川藩に於いては軍制のなかに「大組」というものがある。
明和六年の武備を見ると「御留守居組」の留守居大頭(2人)の下に「大組附」がある。番頭・着座・中小姓觸頭・切米取支配頭・掃除頭・物頭列・浦番・郡代・天守方などと組織図上は同列に記載されている。
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/26b6cd4337283944e1bf8b4d0278c682
時代が下っての番方組織図を見ると、御備組(主戦闘部隊)に備頭(6人)の下に着座がありその下に大組が配されている。又御留守居組(留守部隊)にも城代(2人)の下の大頭(2人)の下に、御備組と同様着座の下に大組が配されている。
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/231477ec06ef22cc662bab86cb5d1529
大組とは果たして何なのか。ヒントは「嗣蔭令」の中にあった。
嗣蔭令(http://www.shinshindoh.com/shiinrei.htm)は一門、一ニ三家老、家老、中老、備頭・側大頭・留守居大頭并同列、組外、着座以下、藩士の座班を決めたものである。重賢公代に定められた。この中から大組に組み入れられる人は次のようになる。
家老 (一・二・三家老外)
一、家老ハ三家老之次席之事
一、嫡子ハ組外同列上席之事
一、二男・末子・弟比着座、用人次席之事
一、二代目ハ組外、三代目ハ中着座、留守居大頭同列二代目之次席、四代目ハ比着座、留守居大頭同列三代目之次席、五代目大組之事
中老
一、中老二三家老嫡子之次席之事
一、嫡子ハ中着座・上着座免職之次席之事
一、二男・末子・弟ハ大組付末席之事
一、二代目ハ上着座定席之次席、三代目ハ留守居番頭次席、四代目大組付上席之事
一、家老・中老ハ、老衰辞職之節直ニ隠居可申付事備頭・側大頭・留守居大頭并同列
一、二代目ハ中着座、三家老二男・末子・弟之次席、三代目ハ比着座上席、四代目大組付之事
一、嫡子ハ比着座、八代番頭上座之事
一、二男・末子・弟ハ、着座之嫡男之次席之事
一、勤労等ニ応し老衰辞職之節、直ニ隠居之儀、其節々臨時ニ可申付事
組外并同列
一、二代目比着座、禄三千石以上同列定座之次席、三代目ハ大組付之事
一、嫡子比着座、家老二男・末子・弟之次席之事
一、二男・末子・弟ハ、着座之二男・末子・弟ニ准候事
着座
一、松野主殿・木下平馬・津川平左衛門・三淵志津馬・楯岡源太左衛門・下津久馬・氏家甚左衛門・沼田熊五郎・小笠原備前家ハ右如次第上着座之上席、世々定席之事
一、上・中・比着座并同列二代目ハ、大組付上席之次席ニ上・中・比之次第之通席次申付候事
一、禄三千石已上之者ハ、世々比着座家老四代目之次席之事
一、三宅平太郎家ハ、世々禄三千石已上定座之次席之事
一、西山大衛・槙嶋半之允家ハ、世々比着座同列末席之事
一、比着座已上之嫡子ハ、留守居大組付次席、二男・末子・弟ハ、者頭嫡子之次席之事
一、比着座已上役付之者老衰辞職之節、格別之勤労有之者ハ直ニ隠居臨時ニ可申付事
一、擬作遣之、比着座已上ニ申付置候者之二代目ハ留守居番方、三代目ハ中小姓二申付候事
但、擬作高三百石之二代目ハ二十人扶持、四百石・五百石之二代目ハ二十五人扶持、或ハ三十人扶持可遣之事
一、右同三百石之三代目之中小姓ハ十二人扶持、四百石・五百石之三代目ハ十五人扶持、或ハ二十人扶持可遣之事右之各養子禁之、実子於無之ハ家類不
飢様ニ臨時ニ可申付事 付、実子雖有之、右家累可令養育程之本家有之者ハ召出間敷事
一、比着座已上遺蹟幼若之者ハ、知行当前之見合にて扶持方遣之、留守居大頭組支配ニ申付置、及十五歳候上家督申付、留守居大頭組ニ召加、及十七歳
備組ニ可召加事 但、抜群壮健之者ハ可為格別事
江戸留守居已下、佐敷番已上
一、禄二千石已上ハ、世々大組付ニ申付、大組末席ニ申付候家之上席之事
( 以下略)
このように、家老(一・二・三家老以外)、中老、組外并同列、着座等の子弟や、二千石以上の江戸留守居・佐敷番などが大組の資格者ということになる。
但し座班における大組資格者であっても、御備組・御留守居組・御側組において他のポストに据えられることもあるものと思われる。