津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(558)寛永八年・日帳(十一月五日~六日)

2021-04-30 13:56:28 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)五日~六日

         |                                       
         |   五日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也
         | (規矩郡)
弓場ニ死セル八開 |一、篠崎之弓場ニ、はちひらき壱人死有之由候間、御さうちのものニ捨させ候へと、上林甚介所へ、
ヲ捨テシム    |  又右衛門を以、申遣候也、
片山示庵鳴海丹後 |一、片山示庵■家・鳴海丹後家修繕作事ノ奉行ニ、高田久三郎・服部左次兵衛両人申付候処、久三郎当
ノ家修繕奉行   |        (筑後)
         |  秋初ゟ相煩、宗庵薬をたへ申候へ共、然々験も無御座候、乍去、打ふしふせり申ほとハム御座、
         |  ふら/\と相煩申候間、さしかへ候様ニと候て、誓帋被差上事、
         |                                      (土々呂木以心)
上野清兵衛中風ニ |一、佐渡殿ゟ、山本源左衛門を以、被仰候は、上野清兵衛中風をさん/\相煩申候間、意心を被遣候
土々呂木以心ヲ遣 |  へと被仰越候、意心申付、可遣と、返事申候事、
ス        |
焔硝桶ニ欠タツ  |一、重田吉左衛門申候は、五月ニ塩硝桶三拾積下候、壱桶ニ付、百五、六十日ほと、かん立申候間、
         |  就其、大坂へ之送状、かん立申儀を御極候て、被仰上候而、被下候へと、吉左衛門申候、其段談合
         |  仕候て、可申遣と、返事■■申候事、
         | (土々呂木以心)
         |一、十時意心登城被仕候間、申候は、上野清兵衛中風相煩申ニ付而、佐渡殿ゟ、意心被遣候へと被申
         |  候間、被参候へと、申渡候事、
可児某病死    |一、可児清左衛門病死被仕之由、小崎與次兵衛被申候事、
         |                    (信茂)
城信茂ヘノ貸船ニ |一、白井兵介・鏡善右衛門登城ニて申候は、城織ア様御舟御かり被成候ニ付而、御加子無之候間、当
水夫ナシ     |                      (町奉行・吉田縫殿助)
町浦奉行等町水夫 |  町、又は浦水子可申付通、被申候ニ付而、則、吉田ぬい・御浦奉行両人ともニ登城被仕候間、相
浦水夫ヲ充ツ   |                       (へ脱)
         |  究候て、町加子四十三人・浦加子五十人被仰付候と、ぬい・浦奉行へ申渡候事、
寛永三年北国へ遣 |一、兵介・鏡善右衛門被申候は、寛永三年ニ、北国へ被遣候御舟之内、三艘北国ゟ戻不申候、就其、
セル船三艘戻ラズ |                        (破)
舟帳ノ肩書証判ヲ |  御舟帳究不申間、北国ニて弐艘はうり、壱艘は波損申候由申候ま、其段無紛との肩書を仕、印
求メラル     |  判仕候様ニと、兵介・善左衛門申候、重而財津惣兵衛ニ、御算用聞置候御帳を見候て、かた書、
         |  印判可仕と申候て、申渡候事、

         |                                       
         |   六日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也
門司雁木修繕奉行 |一、矢野勘右衛門登城被仕、被申候は、竹内八兵衛、事之外わつらひ申候間、神西金右衛門壱人にて、
大病       |  門司御修繕御奉行被仰付候へと、加被申候事、
         |  (伊与・長沢顕長室、沼田清延女)
奥方物師ヲ召置カ |一、いよ殿・けいしゆゐん殿、皆川治アを以、被仰候は、新参ニ被召置候御物師衆壱人、当壬壱〇月廿
ル扶持米ノ差紙  |      (慶寿院ヵ)  
         |  六日ゟ被召置候、御切米七石ニ弐人ふち被遣候、月引ニ〆弐石被遣候へと、差かミ参候事、
         | (沢村吉重)                      (炉甘漢方薬か
長崎ニテ炉甘石購 |一、大学殿ゟ、切帋にて被仰越候ハ、長崎にて、ろかん石百斤ほとかい調候へと、被仰越候、銀子な
入ノ命      |  と不足二候ハヽ、五十斤にて不苦由候、又、長崎へ便有之ハ、可申入由候事、
         |                          (掘)
路地用二砂利ヲ掘 |一、御ろちノ衆申候ハ、しやりを田町之とぎ喜助前にて堀せ申候、今日ほり候て、明日ハ埋申候由申
ラシム      |  候、念を入、埋候へと申付候事、吉田縫殿へも其段申理、堀せ候へと申付候事、
         |              〃〃
町奉行闕所ノ刀脇 |一、吉田縫殿助所ゟ、御闕所物之由にて、刀一こし・わきさし四こし被差上候、御闕所奉行へ可被相
差ヲ上グ     |  渡由申候て、返し申候事、
闕所奉行へ渡セシ |
ム        |
中津へ出ス町水夫 |一、中津ゟ、御過去之儀被仰下早漏に付、町加子弐百人、浦加子七百人、内大坂へ上り、爰元二
浦水夫人数    |         (ママ)                            (ママ)     百七十四人
         |  不有合分五十人ハ、豊後へ遣、〆而只今出分四百七十七人出され候へと、御浦奉行衆へ申渡候事、
家老惣奉行ノ談合 |一、御年寄へ、八つゟ後、爲御談合被召寄候事、
         |一、三斎様之御飛脚、江戸ゟ下候を、此方之御小早中靏二左衛門、中津へ直ニ乗せ下候由にて、今日
         |  爰元着候事、
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■散歩の距離を伸ばしてみる

2021-04-30 11:16:36 | 徒然

 私の散歩コースAは、健軍自衛隊の西ブロックを一周(≒2.45㎞)するコースで都合3.8㎞ほどである。
夏に向かい腹を引っ込めようと思い、距離を伸ばしてみようと考えた。
自衛隊は大きな道路を挟んで東ブロックがある。こんどはこちらも回ってみようと歩いてみた。
約960mほど長くなるから、合計4.7㎞ほどになる。少々高低差もあってこれも良い。
今日はひたすら歩いて、55分で帰ることができた。時速5㎞ほどで歩いたことになる。

 実は少々ずるをして、一週間ほど血圧の薬を呑まずにいたら、身体がぶれて仕方がない。
慌てて病院にいったらお小言を頂戴してしまった。そして薬を呑み始めたが、血圧は以前の値に戻り切っていない。
「薬と運動と当分控えめ」を厳命されて、今回の事を思いついた。
今日は強い風が吹いて夏の日差しもなかったが、それでも大いに汗をかく。今後は少々早い涼しい時間に歩くことにしよう。
地震の片付けものに負われていた時分は70㎏を割っていた体重が、現在は5㎏ほど増加している。
そこまでは無理だが、あと2~3キロ落として、少々腹囲を落とそうという魂胆である。

そして、自衛隊のA・Bブロックを8の字に回れば、都合5.4㎞ほどになるから調子が良いときはこれもチャレンジしようかと思っている。(さぞスマートになる事でしょう・・・)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする