津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■徳富蘇峰の会・熊本 発会式のご案内

2021-04-18 12:53:58 | 熊本

                                                             

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■細川小倉藩(549)寛永八年・日帳(閏十月七日~八日)

2021-04-18 12:11:06 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年閏十月)七日~八日

         |                                       
         |   七日  河本瀬兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
         |                                (小野田市須恵)
船頭惣奉行難船ノ |一、鏡善右衛門被申候は、今度御船破損仕ニ付、上り申候加子ともニ、本山之ものとも、加子と
水夫ニ尽セシ須恵 |     (は脱)救われ
ノ本山ノ者ニ礼セ |  もすくれ申ニ付而、たき火なと仕、其上、きる者ともきせ申候由申候、御礼ニ被遣候へと、善右
ントス      |  衛門火申候、其段御家老衆へも被申候へと、申渡候事、
         |       (現・下高)                  (景延)
宇佐郡三ヶ所ニ隠 |一、宇佐郡赤尾・高村・山下、此三ヶ所ニ隠高御座候を、御郡奉行宗像清兵衛・近藤新五左衛門改出
高ヲ改出ス    |  し申候、早々御奉行所へも可申上儀ニ候へ共、御奉行所へ上候而は、隠地ノ御百性、御誅伐被成
誅伐ノ他ナケレド |  外無御座候間、下にて埒明申候、其子細ハ、本隠地主ハいつれもはてうせ仕、今ハ其孫、或いハ牢
本隠地主ハ死亡  |  人なと作仕居候ニ付、両年之御年貢を立させ、当年ゟがつゝき御年貢上納可仕との、書物をさせ、
下ニテ埒アク   |  相立させ申筈ニ究候由ニ而、書物宗像持参被仕候事、
年貢上納ヲ継続セ |
シム       |
         |一、谷忠兵衛、知行所ゟ罷帰候由ニ而、登城被仕候事、
座主ノ願ニヨリ山 |一、彦山之山伏参川儀、座主御坊ゟ、志水ク左衛門尉と
申仁ニ渡可申由、被仰越ニ付而、則、御籠ゟ
伏三河ヲ釈放シ彦 |  出シ、渡申候事、
山清水某ニ渡サシ |
ム        |
         |一、右ノ参川、備前ゟ召連参候女三人、田川御郡奉行ニ預置候を、被相渡候へと申候、書状遣申候
         |  事
         |  (規矩郡)小倉北区三郎丸
蔵子百性ノ詮議  |一、三郎丸之百性幷御蔵子、色々糺明仕候へ共、双方ノ口、右申候ニ少も替儀無御座候由、上野角左
         |  衛門・貫角右衛門被申候、又、糺明被仕候へと、申渡候事、

         |                                       
         |   八日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、助進・兵庫当番也、
         |一、山田七郎兵衛、今朝下着仕由にて、登城被仕候、京都を先月廿二日ニ立申由、被申候、早々此地
         |  罷下筈ニ候へ共、相煩、おそく罷下由、被申候也、
京大坂ヨリノ物数 |一、右ノ便ニ、京・大坂ゟ下候物数之覚
覚        |
         |  一、しふかミ包一つ、藤懸蔵人方へ、
         |  一、小つほ一つ、同人へ、
         |     右ハ、佐藤少左衛門ゟ被下候也、
         |  一、ちいさき箱壱つ、西村半兵衛方へ、
         |  一、杉ノ箱 家具ノ由・苻ノ尽 五つ、続権六方へ、
         |     右ハ、小野九右衛門ゟ被下候也、
         |             (成政)
         |  一、むしろ包■五つ、坂崎清左衛門方へ、
         |  一、紙袋壱つ、浅山修理方へ、
         |         (慰英)
         |     右ハ、仁保太兵衛ゟ被下候也、
         | (沢村大学)                (松井興長)
慶徳院ノ内意   |一、大学殿登城にて被仰候ハ、此中佐渡殿と同道仕、慶徳院殿へ御見廻申候、畳ノ表替等被仰付忝由、
妙庵二十五年忌法 |        (妙庵、細川幸隆) 
事ニ米三石    |  被仰候、次ニ、明安様、来ル廿五日が廿五年忌に当り申候、少之御志を被成度候へ共、成かね申
         |  由、被仰候間、佐渡殿共談合申候処ニ、御米を三石ほと進之候様ニと被仰せ候、心得申候由申候事、
西ノ溜池ヲ見分ス |一、昨日、二誌のため池幷御茶やへ見廻申候、古御茶やノ諸道具、花坊ニ御預置候て、御番ノもの二人
古茶屋ノ整理   |  ハ御引候て可然由、被仰候、心得申候由申候事、
         |  (国遠)
国遠道倫開所ノ件 |一、道倫開所之儀、如何、御越候て可有御覧やと、申候ヘハ、見申迄無之候、無用と各へ申上候もの、
池狭クナラバ開所 |                    (ママ)  
ハ無用      |  りはつなるものにて可有御座候、御いけぜはく成申儀候ハヽ、開候事不入事と、被仰候事、
         |                                    (波多)
道倫ニ土堤ヲ崩サ |一、入江勘三郎をよひ、道倫開弥無用之由、大学殿被仰候間、此段可被仰達由、中庵へ申遣候、返事
シム       |  ニ、於其儀ハ不及申事候間、道■臨へ申届、土手をくづさせ可申由候事、
         |  (可政)
和蘭縞ノ用    |一、加々山主馬奉にて、おらんたじま十たん、うきもんをつねのことくおり付、白地ニ〆、急度江戸へ
         |  差上候へと、被仰下候、則、御かい物奉行吉田甚太郎へ申渡候事、
         |          (中津郡)
横山重嘉今井村ノ |一、横山助進、今日ハ今井之御開見廻ニ被参候事、
開ヲ見分ス    |
           

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■沼田家記2・延之様御一代諸事御勤一帳(四)

2021-04-18 07:55:00 | 沼田家文書

          一此高同ニ縄場普請之内に 殿様御人数陳所土居之前に
           て御座候わんとう入込敵舩に間遠く候に付此所より
           間近き木鉢之瀬戸へ勘ケ由殿御届候に付舩かゝり
           直し候刻敵舩より咎メ不申候様に一艘二艘完物静

           かに遣シ其舩数ふゝ時分跡より右之通に段々可遣旨
           政所御衆被仰渡候 勘ケ由殿ハ高不この縄場御見
           繕故此舩直りの下知も平野弥次右衛門殿に御申付
           候へと度々被仰含候 左候間勘ケ由殿高わこへ
           御詰居候処小舩直り右之被仰付何連も守り不
           被申手々に舩を乗出し舩せり合に乱見へ候に付
           勘ケ由殿以の外御咳 公儀之首尾はてたる仕合
           御もた■弐拾丁小早にて急き御帰候に右之先手
           乱れたる御陳所之様子鍋嶋殿先手鍋嶋七左衛門
           被見候而二拾丁小早に而御陳所に見繕に被出候所に
           勘ケ由殿高ほこより帰りに七左衛門被申候ハ御備さ
           たち申候を見及申候に付様子可承と存是まて罷
           出候と被申候 勘ケ由殿返答に少しも別条之儀無

           之候 木鉢江陳所を直し候に様子を申含候処に若き
           もの共舩せり合を仕と見へ候ニ付高わこより帰り
           申候相易叓に候ハヽ互に可申合と御申七左衛門被帰候
           何と御下知候哉 公儀之首尾はてたる仕合にて候と
           御申候へは弥次右衛門殿返答に私儀も左様ニ存再三
           留メに遣し候得とも何連も聞入不被申候に付ケ解由殿
           御申分貴様元ト舩に有なから大事之下知使たてに
           て何としてきけ可申哉なせ弐拾丁にて乗廻り御
           下知無之候哉と御申候へは御尤と斗りの返答にて
           勘ケ由殿御申分は物馴たる弥次右衛門なと是程
           下知不届之筈にて無之と御申候叓
          一政所の御評定に筑前人数少ク有之候付隣国へ加勢
                             長岡御免        正斎息ク又正斎ヵ
           を被仰付と定り申来り候 米田監物殿・小笠原備前殿
                  後号立白
           清田石見殿・細川刑部殿此四人御越候 高わこ縄場出来
           之相■ニ而候 監物殿高ほこ江御越勘ケ由殿江も對面にて
           被仰候は高わこ波荒く間違之処に縄を御引せ候事
           悪敷御座候木鉢の内瀬戸にて波もなく間も近く
           御座候 是は船橋を被仰付候得は御心安儀と監物殿
           御申候 元より政所の御衆も木鉢に御心付御口出候得共
           右よりの諸而の大将/\■みを含ミ不聞入様子無
           余儀と思召不被仰付候故監物殿御申分幸木鉢に
           舩橋可然思召と被仰渡候 就夫諸手ゟ舩橋之普
           請之叓勘ケ由殿へ申含候得共勘ケ由殿御申分我等
           儀高わこの普請申付候 舩橋之儀は監物裁判迄

                    本ノママ
           答にて御構イなく候監州世話仕候間私は不存候間
           監物可被仰談と返答にて御構イ少しも無之候 其後
           鍋嶋七左衛門勘ケ由殿に被逢監物殿御申分にて舩
           端で氣最早帯をとき心安仕合と被申候叓
          一勘ケ由殿御壱人の時は毎日長崎江彦左衛門殿御出候
           監物殿御越候而より一日代りに御出候事
          一去時監物殿長崎より御帰りに勘ケ由殿御舩に御寄
           長崎表替叓も無御座候 政所三人衆貴様へ御傳言之由
           心得可申すと被仰候に付勘ケ由殿昨日罷出候刻御禮
           可申と御申候 翌日勘ケ由殿御出御對面ノ上にて昨日
           監物参候に御傳言被参候得とも内談事にて逢不申候
           と御申候ゆへ勘ケ由殿御當惑被成候 天野屋所江御帰候

           て如此ノ仕合なり昨日之首尾ハ如何と御尋左右尋申候ハ
           昨日監物様御出候得共御逢不被成候 終日私所江昼寝を
           被成御帰候 惣而御前様御出被成候には一度として御逢
           不被成事無御座候 監物様御出には三度に二度ハ何
           角被仰御逢不被成と申候事

 

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