日帳(寛永七年十二月)廿ニ日~廿四日
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| 廿二日 河本瀬兵衛
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|一、当番兵庫・修理也、
三斎へノ歳暮ノ呉 |一、三斎様御呉服、御小早之船頭石井又左衛門積下申候、又左衛門申候ハ、大廻之船熊野浦ニて破損
服積下ル | 仕候由申候、破損船之御船頭嶋田甚太夫舟破損之由申、白井兵介所へ申越通申、白井兵介、大坂
大廻之船熊野浦ニ | ゟ鏡善右衛門へ申越由、善右衛門灯申、
テ破損 |
| (成政) (請取)
請取 |一、小野九右衛門所ゟ、坂崎清左衛門殿へ参候状壱通、しふかミ包、内之小性仁左衛門(花押)ニ相渡
| 申候也、
大麻 |一、三村梶太夫所ゟ、大麻幷杉原弐束・長のし、御船頭石井又左衛門積下り、皆川治ア・林隠岐へ
| (初穂)
| 遣申候、御始尾銀ハ大坂ニて、寺嶋主水ゟ遣申由、又左衛門申候、
忠利三斎ノ定着ヲ |一、御両殿様御定き、右同人積参候を、それ/\の御奉行ニ渡申候、何も御物師衆ちょうきも参候也、
奉行へ渡ス |
| (米田是季)
忠利書状三斎宛 |一、殿様ゟ、三斎様へ被進御書、監物殿ゟ持参申候間、うけ取置候、又、御家老共・私ともニ成灯下
| 候 御書、監物殿ゟ参候を、則、致頂戴候事、
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請取 |一、藪市正所へ、小野九右衛門殿ゟ御下候しふかミ箱之包之箱壱つ、慥請取申候、
| 市正内
| 矢野伝右衛門(花押)
忠利十一月晦日江 |一、殿様、十一月晦日ニ、江戸被成御着旨ニ候事、
戸着 |
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| 廿三日 岩男嘉入軒
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|一、修理・助進当番也、
| 御船頭 (貞重) (宝珠院、庭田氏) (野)
京大坂ヘノ書状 |一、河村喜左衛門、御詰小早之替ニ差上候ニ、伊勢因幡殿・そうしゅゐん様・寺嶋主水、京之小の九
| 右衛門・佐藤少左衛門、以上四通相渡申候、則、京出船候、
| (有吉英貴) (三淵重政)
見ツケシ鴨ヲ鷹師 |一、頼母佐殿内鉄炮衆茂左衛門、右馬殿下ノ御舟入にて、羽しろノかも壱つ見付申由にて、持参候間、
へ渡ス | 山本二介所へ遣し候也、
曽根源兵衛へ鶴打 |一、曽根ノ源兵衛申候ハ、靏渡申時分にて候間、 御印請取申度と申ニ付而、 御印相渡申候、左候
ノ御印ヲ渡ス | 而、請取切手をさせ、 御印ノ段ニ入置候也、
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| 廿二日 加来二郎兵衛
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|一、助進・兵庫当番也、
家老等米田是季邸 |一、御家老衆被成御談合ノ由ニて、三人ともニ監物殿へ被参候事、
ニテ談合 |
茜ノ価ヲ上方ノ価 |一、あかね之直段之事、石本三介よひに遣シ候て、仕せ候ヘハ、壱疋ニ付、拾三匁宛、上方ニ仕候由
ニ定ム | 申候、其分ニ究候也、