津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■藤棚観察

2021-04-02 16:48:10 | 徒然

      

 今日の散歩は我が家を出て、さてどのルートで歩こうかと思ったが、公園の藤棚の開花状況が気になりこちらへ向かってみた。
テニスコートには老々男女がテニスに興じ、また多目的コートでは、こちらも老々男女がゲートボールのようなことをやっている。(したことがないからよく判らない)
藤棚の廻りの芝生の広場は普段は小さな子供連れのお母さんたちのたまり場だが、今日は子供たちが占領してサッカーに興じている。
邪魔をしないように脇を通り棚を見上げる。まだ少々早いが一部は紫色の房をたわわに揺らしていた。
あと三四日といったところか・・・
足元にサッカーボールが転げて来たので蹴り返したら、まともな方向にはいかず「ごめんごめん」と謝った事である。

よくよく見ながら、「藤紋」を書いた人は、良く観察をしてデフォルメしていると改めて感心させられた。
そして「藤紋」は「下り藤」だろうと思ったところである。

                

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■徳富健次郎著「死の陰に」から、三太郎(ニ)

2021-04-02 08:21:13 | 熊本

            こん
                          斯様な回想に耽つて居る間に、馬車は長い長い佐敷太郎の阪を上り切つた。上り切ると長
              とんねる                       ごろ/\がら/\ は
         い長い隧道がある。隧道の闇に入つた馬車が、轟々轆々駛せて北に隧道を出脱けた途端に、
         「まあ!」
         嘆聲が一齊に馬車の中からあげられた。
            そこ           おど  あぶらえ        いうし  おどろ             ひろ
         其處には一幅生命の躍る油晝が、不用意の游子を駭かすべく待ち設けて披げられて居たの
                       あぶら                               ふく         あお
         である。とろりと白く膏を流した葦北の海の向ふには、今沈む夕日を銜んで紫は濃く碧は
         薄く幾重にも重なり列ぶ凸凹の形面白い天草の島山。それを背景に金色の白帆が三つ四つ
                            そう
         晝のままに動いて居る。何と云ふ静かな、而して明麗な景色だらう。薩摩潟を美しと嘆美
         したが、故郷の海も實に美しい。よくぞ馬車で歸つた、と一同また更に江山夕陽の幻めい
         た現實にひたと見惚れるのである。
         此美しい景を左に、坦々たる山の上の國道を馬車は快く騁せて、やがて小田浦に下つた。
         坂下の茶屋に黒皮の水瓜がごろ/\積んである。
            もう
         「最早食へまいナ?」
            いいえ
         「否、甘うござりますとばい」
         と店のおかみが云ふに、宮崎の例もあるから駄目とは思ひつゝも、未練を出して一個馬車
         の蹴込に買ひ込む。
                                                         かやや
         尚往けば程なく田浦である。深くさし入る入海の汐の香を嗅ぎつゝ、夕炊の煙立つ茅舎の
                       ものもち                                  どこ
         彼方此方に土蔵白壁素封家もあるらしい田の浦を、三十年前の夏の月夜に何處から上つて
            どう
         如何歩いて來たか、と覺束なく馬車の上から見廻はす。
                             
         田浦の黄昏から馬車は程なく身を挺いで可なり長い山阪にかゝる。漸く上りつめて峠に馬
         の脚を立てた時は、此處にも最早ほの蒼い黄昏が追ひ縋つた。透し見る木々の落々と峰に
           そば
         岨に立つは皆赤松である、三太郎を南から越せば最後の太郎、赤松太郎は此だ。余も此峠
         は初めて越すのである。
           ぎょしゃ
         馭者は角燈に灯を入れ、疲れた馬に鞭をあてはじめた。追々下りになつたが、車の一轉毎
                            ひら                            をび
         に暮色も深くなる。黒い木立や拓き殘りの白い岩に時々肝を冷やしつゝ、飫肥の世馬車が
          そろそろ
         徐々記憶に浮いて來る。
         下り坂になつてからが中々長い。
              ひかり
         「あの火光が日奈久かね?」
           いえいえ
         「否々、彼はーー」
         日奈久でない村の名を馭者が云ふこと二度三度。疲れ切つて眼をふさいで居る内、車は平
         になつて、足下近く波の音が寄せて來る。
         「さあ、もうは日奈久」
         火光は見えて向ふへ逃げ逃げするかと思はるゝ日奈久の、電燈はつきながら薄ら淋しい町
         にやつと入り込み、柳屋の前に馬車が止つた時は、八時を過ぎて居た。
         汽船で二時間、途寄りはしたが馬車で十一時間、それでも三太郎を越しは越したのである。

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■細川小倉藩(535)寛永七年・日帳(十ニ月廿ニ日~廿四日)

2021-04-02 06:56:15 | 細川小倉藩

    日帳(寛永七年十二月)廿ニ日~廿四日

         |                                       
         |   廿二日  河本瀬兵衛 
         |
         |一、当番兵庫・修理也、
三斎へノ歳暮ノ呉 |一、三斎様御呉服、御小早之船頭石井又左衛門積下申候、又左衛門申候ハ、大廻之船熊野浦ニて破損
服積下ル     |  仕候由申候、破損船之御船頭嶋田甚太夫舟破損之由申、白井兵介所へ申越通申、白井兵介、大坂
大廻之船熊野浦ニ |  ゟ鏡善右衛門へ申越由、善右衛門灯申、
テ破損      |
         |             (成政)                                (請取)
請取       |一、小野九右衛門所ゟ、坂崎清左衛門殿へ参候状壱通、しふかミ包、内之小性仁左衛門(花押)ニ相渡
         |  申候也、
大麻       |一、三村梶太夫所ゟ、大麻杉原弐束・長のし、御船頭石井又左衛門積下り、皆川治ア・林隠岐へ
         |         (初穂)
         |  遣申候、御始尾銀ハ大坂ニて、寺嶋主水ゟ遣申由、又左衛門申候、
忠利三斎ノ定着ヲ |一、御両殿様御定き、右同人積参候を、それ/\の御奉行ニ渡申候、何も御物師衆ちょうきも参候也、
奉行へ渡ス    |
         |               (米田是季)
忠利書状三斎宛  |一、殿様ゟ、三斎様へ被進御書、監物殿ゟ持参申候間、うけ取置候、又、御家老共・私ともニ成灯下
         |  候 御書、監物殿ゟ参候を、則、致頂戴候事、
         |
請取       |一、藪市正所へ、小野九右衛門殿ゟ御下候しふかミ箱之包之箱壱つ、慥請取申候、
         |                              市正内
         |                                矢野伝右衛門(花押)
忠利十一月晦日江 |一、殿様、十一月晦日ニ、江戸被成御着旨ニ候事、
戸着       |

         |                                       
         |   廿三日  岩男嘉入軒
         |
         |一、修理・助進当番也、
         | 御船頭                        (貞重)  (宝珠院、庭田氏)                      (野)
京大坂ヘノ書状  |一、河村喜左衛門、御詰小早之替ニ差上候ニ、伊勢因幡殿・そうしゅゐん様・寺嶋主水、京之小の九
         |  右衛門・佐藤少左衛門、以上四通相渡申候、則、京出船候、
         |  (有吉英貴)            (三淵重政)
見ツケシ鴨ヲ鷹師 |一、頼母佐殿内鉄炮衆茂左衛門、右馬殿下ノ御舟入にて、羽しろノかも壱つ見付申由にて、持参候間、
へ渡ス      |  山本二介所へ遣し候也、
曽根源兵衛へ鶴打 |一、曽根ノ源兵衛申候ハ、靏渡申時分にて候間、 御印請取申度と申ニ付而、 御印相渡申候、左候
ノ御印ヲ渡ス   |  而、請取切手をさせ、 御印ノ段ニ入置候也、

         |                                       
         |   廿二日  加来二郎兵衛 
         |
         |一、助進・兵庫当番也、
家老等米田是季邸 |一、御家老衆被成御談合ノ由ニて、三人ともニ監物殿へ被参候事、
ニテ談合     |
茜ノ価ヲ上方ノ価 |一、あかね之直段之事、石本三介よひに遣シ候て、仕せ候ヘハ、壱疋ニ付、拾三匁宛、上方ニ仕候由
ニ定ム      |  申候、其分ニ究候也、

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