津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■国名勝「水島」の正式住所

2021-04-19 13:06:34 | 熊本

 17日の熊本史談会で、又話題に上がったのが「三太郎峠越」の事である。
豊臣秀吉の薩摩征伐も、島津斉彬公の参勤交代や、篤姫の江戸東上の旅、また西郷隆盛の熊本進出にあたっても、道幅一間ほどのこの羊腸の小径を通行したとされる。
往時の人は随分難儀して旅をしているが、其の様を徳富健次郎(蘆花)は「死の陰に」で書き残している。
船で海路をたどると2時間、三太郎越えは11
時間かかったという。
古い旅の記録とか、小説や随筆などいろいろ取り上げられているのではないかと思い、調べてみようかと馬鹿なことを思い立った。
そして、景行天皇の御一行様は「三太郎峠」を通られたのかと考えた。

切っ掛けは、一寸古い記事だが熊本日日新聞に、八代市水島にある国の名勝「水島」に関する記事が出ていた。
                 https://kumanichi.com/news/id174024
ある読者の指摘により、その正式な住所を調べたというものだが、干拓などによりこの「水島」が守られた経緯なども明かされている。
                  現況 八代市植柳下町水島500番地 

この「水島」日本書紀の景行天皇の項に登場する処だが、熊本にかかわり深い記事が多くあり、大変親しみやすい。
残念ながら「三太郎峠」については触れていない。残念・・・

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景行十八年 戊子

     くまのあがた くまつひこ                      えくま         おとくま
・四月三日、 熊縣に熊津彥と云う兄弟がいた。二人を招かれたが、兄熊はやってきたが、弟熊は来なかったので誅殺した。       
         あしきた  こじま                                やまべのあびこ   をひだり
・同月十一日 海路で葦北の小嶋に行き、そこで食事をされた。この時、山部阿弭古の祖の小左に冷たい水を所望されたが、この嶋には水がなく、為す術がなかった。
そこで、天神地祗をお祀りしたところ、崖から寒泉が湧きだしたので、それを天皇に献上した。

        みづしま   
これ故、この嶋を水嶋と云い、今もその泉は水嶋の崖にある。

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■「永青文庫研究」第4号発行さる

2021-04-19 06:22:28 | 論考

 「熊本大学永青文庫研究センター」のサイトに、4月15日付で「永青文庫研究」第4号発行についてというお報せが出た。
大変ありがたい「紀要(永青文庫研究・第4号)」と「年報」の無料配布の御案内である。
郵便はがきでのみの申し込みとなるが、申し込み方法は上記サイトをご覧いただきたい。
但、「希望の紀要・年報の号数」については、書き込み例が記されているが、今般の発行は「紀要・第4号」であり、
「年報は12号」が最新版である。

無料配布ということもあり、部数には制限があることは当然である。お早目の申し込みを・・・・

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■沼田家記2・延之様御一代諸事御勤一帳(五)

2021-04-19 06:20:49 | 先祖附

          一長崎副将軍に松平隠岐守様・大目附に井上筑後守
           殿・兼松弥五左衛門殿・長崎片町御奉行山崎権平殿
           御下り隠岐守 殿御陳所木鉢舩橋より内 殿様御人数
           之場並にて候事
          一勘ケ由殿御出被成候刻政所御三人衆被仰渡候は敵舩今
           度ハ御助御返被成筈に候 左候得は人数も大分ハ不入叓
           に候 其方一手は被参候間相残り跡勢ハ御返し被成候間
           監物被連被致候様に可被申儀旨に御座候に付奉得其意候

           監物御暇乞に参上可仕旨被仰付候得は夫に不及候 一刻
                 本ノママ
           も早く被仰候御為にて候間被出事無用に當候得と御座候
           勘ケ由殿御帰り而右之首尾監物殿に直に御寄被仰
           渡候 明日御暇乞に可罷出と監物殿被仰候 御出之上にて
           昨日勘ケ由罷出候に跡勢召連可帰之旨被仰渡奉得
           其意御暇乞に参上仕候と被仰候得は御三人之政所被仰に
           昨日勘ケ由江其通ニ申談候へ共其後松平隠岐守様其外ノ
           就何角免御申候間今一左右迄ハ御待候へと被仰候 扨監
           物殿勘ケ由殿江當り候觸状にて唯今長崎ゟ帰り申候
              跡勢戻り申事ハ勘ケ由聞違にて戻り不申筈之由御
           觸候 勘ケ由慥に昨日被仰渡候を聞違と有事不審ニ
           而候間直に長崎之首尾可承候とて又右之三頭御備
           衆江勘ケ由殿より唯今監物殿よりの御觸に付長崎之

           首尾直に可承と御座候て監物殿へ私参候間何連も御出
           ニ而御聞候へと御觸候 御横目明石源左衛門殿・同権太夫殿も
           同道にて御越監物殿江御列座之上にて勘ケ由御申候ハ
           跡勢戻り申事ニ候 勘ケ由聞違之由御觸候政所衆ハ
           いかゝ仰候哉と御尋候へは監物殿仰に昨日勘ケ由
           罷出候に私儀跡勢を召連罷帰候様に被仰下候 御暇
           乞に罷出候と申候得は御三人御申候は明日勘ケ由殿江ハ
           右之通申渡候得共松平隠岐守様其外ノ衆何角免
           被申候間今一左右までは被相待候へと御申候に付先跡
           之通申觸候と監物殿被仰候時勘ケ由殿御申分に夫ハ
           あなたの御評儀か違たると申物にて候 何連も列座之
           御衆左様ニ可有御心得候横目衆能覚可被居候 扨監
           物殿御身躰に不似御存分にて候御年けいと申場をも御覧

           之事に候得は我等は時節悪敷此年まて今度初て
           御人数を連候て出陳申候 從令勘ケ由不調法候而陳中
           之沙汰に逢候得とも御年来の貴様にて候得は此節
           御為と思召勘ケ由に如在候て無之様ニ御取持可有事を何そ
           雲照院殿事(是季)
           聞違も無候時監物殿至極之御申分致迷惑は誠に私之
           心得違誤り申候と返答にて候ニ付何連も退出にて候
           細川刑部殿二十町家来■権左衛門供に被参監物殿
           御召舩のかきたつに取付居皆供も一所に舩を寄
           同前に一々承覚申候叓
          一明石源左衛門殿事勘ケ由殿一手之御横目に最初ゟ
           御越候 然とも元之組頭清田石見殿跡勢に御越故元ト
           備へ御返シ候 明石権太夫殿も御横目にて跡より御越河尻
           にて御舩手支へ故小早にて参着明石源左衛門乗

           被乗候御早舩同苗之権太夫乗代被申勘ケ由
           組備之御横目被勤候様にと有之に付小早にて長崎へ
           御越同姓源左衛門殿江舩を御渡し候へと被申候時源
           左衛門殿之返答に不存寄仕合に候 舩を渡候事
           不成と被申候権太夫殿ハ可受取と双方云分募り
           叓に可成に極り候に付勘ケ由殿中に御入物前不
           被謂叓被申間敷候権太夫殿江は源左衛門殿被乗候
           早舩四拾弐丁に不相替舩を渡可申候と御しつめ候
           然共四拾弐丁之主なし舩無之候間此方へ請取候
           舩を先荷舩に乗せ替此四拾弐丁を権太夫殿へ渡シ
           代り之舩川尻へ申遣舩参次第に供舩之者共御乗
           せ可有と御申候時供舩に乗候家来鉄炮頭浅利九郎
           右衛門馬乗原喜太夫・逸見国之允・中村左次右衛門・庄司

           市郎兵衛中小姓歩之者共に至る迄権太夫殿に
           舩を渡候事御意にても不罷成候と一同に申候 勘ケ
           由殿御聞無余儀申分にて候我等供舩に乗り
           中々言分至極に候 乍去権太夫源左衛門両人共に
           此通りにいたし候へは先へゆかぬ事に 若俄之儀候ハヽ
           御息(嫡男・延武)
           小早を餘計御付可有候又は御乗舩三左衛門舩にも
           乗可申候 少しも連々におよひ候様は成間敷候 爰を聞
           分ケ候得と直に被仰候故内連もとこうの無事候間
           舩を明ケ明石権太夫殿に相渡候故不成相済候
           無程川尻より四拾弐丁の御舩参り供舩に相成乗
           移り候事

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