津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(539)寛永八年・日帳(十月四日~六日)

2021-04-06 12:32:25 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十月)四日~六日

         |                                       
         |   四日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         | 
         |     (浅山)
         |一、助進・修理当番也、
         | (細川立孝)                      もの
立允へ鷹箱ヲ上グ |一、立允様へ御鷹箱持せ、御小人三介と申〇差上候、其帰ニ、私共へ、沢井次右衛門ゟ奉書参候事、
         |        (元五)
         |一、右三介ニ、志水伯耆方へ 立允様ゟ被遣 御書参候、則、相届候事、但、夕ア三介戻候を、今日
         |  如此ニ候、
国東郡免相    |一、蒲田次左衛門登城被申候間、申候は、国東郡御免相之儀、御惣庄や分は、毛上ニ被申付、小庄や
惣庄屋ハ毛上   |  ノ分は、大分ノ儀ニて御座候間、土免ニ被仰付、其内見斗候て、被仰付候へと、申渡候事、
小庄屋ハ土免   |
         |    (辰珍)
津川辰珍風損ノ家 |一、津川四郎右衛門尉殿内林加介登城にて申候ハ、四郎右衛門尉家、今度之大風ニ殊外損申候、繕申
修繕ニ借米ヲ乞ウ |  度候間、御米を弐拾石被借下候様ニと申候、松ノ丸衆相談ノ上、拾五石かし申候事、
         |                    (抱)
三官等ヲ召抱ウニ |一、茂芝・三官、年中大判弐枚にて被 召拘候、手前不罷成候間、銀弐珀眼被借下候様ニと、去々年
大判二枚     |  申ニ付、大判弐枚にて被 召置候との御印無之由、申候ヘハ、皆川治ア奉にて被 召拘候、紛無
         |  御座候、前かし仕候へと、治ア被申候、御透次第 御印を取、可渡候間、先かし候へと被申候ゆ
銀ヲ貸スニ召放ト |  へ、相談ノ上、かし申候処ニ、与風御暇被遣候ニ付、右弐百目ハ御損銀ニ成候、今日又、治アを
成ル       |  よひ、右之通申候ヘハ、右申ニ少も相違ム御座由、被申候事、
材木買奉行ノ死後 |一、田辺作右衛門、銀三貫四百目余、御材木かい申候よしにて、中国へ持参候而、相果候付、右之分御
ノ損銀      |  損銀ニ成候間、我々・松丸衆判形にて御さん用可被仕との奥書を仕、御銀奉行へ遣候也、
川舟健三奉行任命 |一、石坂之川舟、弐そう作せ候御奉行ニ、弓削茂右衛門申付候也、
         |      (中津郡)(京都郡)
今井苅田ノ修繕奉 |一、今井・苅田両所之繕奉行ニ、岩崎角丞申付候也、
行        |

         |                                       
         |   五日  河本瀬兵衛・奥村少兵衛 
         |
         |一、修理・兵庫当番也、
         | (ママ)
         |一

         |                                       
         |   六日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛 
         |
         |一、兵庫・助進当番也、
         |一、粟野伝介、此中知行所へ罷越、仕廻、夕ア罷帰候由にて、登城被仕候事、
         |           
犬牽屋敷ヲ願フ  |一、御犬引綾部又丞屋敷不申候間、湯浅角兵衛与西村佐左衛門前ノ屋敷、表六間・入十一間有之を、
         |  被下候様ニと、中山左次右衛門を以申上候、身躰ニちと過たるやしきニ候へ共、二やしきニ仕ほ
         |  とハ無之候間、其上別人望不申候ハヽ、可被相渡候事、
質屋版屋敷ヲ願フ |一、しちやノ御番児玉又左衛門、御鉄炮衆上りにて有之ニ付、やしき持不申候、前かと口やノ御番山
         |  本理兵衛居申たる屋敷、表七間半・入九間御座候、右又左衛門被下候やうニと、左次右衛門を以
         |  申上候、申分無紛候ハヽ、遣可被申由、申渡候事、
浄喜寺住持他領ノ |一、浄喜寺、登城にて被申候ハ、旦那筑後幷玖珠・日田ニ御座候、主寺請取候て、終ニ不参候、此度
旦那廻礼ヲ願フ  |  初而参度存候、如何可有御座やと被申候、可然候、御年寄衆へ被仰候而、可被参由、申渡候事、
         |一、山路勘左衛門、豊後ゟ罷帰候、科人慥相渡候由、被申候事、

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■徳富蘆花の「水前寺・江津湖紀行」水遊び(ニ)・1

2021-04-06 06:50:01 | 書籍・読書

            水遊び(ニ)・1

        水前寺の泉水は直ぐ砂取川になり、やがて江津川になり、一里南にながれて江津湖になる。
        此處の舟遊は、熊本人士が行樂の一になつて居る。子供の時から水前寺に來馴れた余も、
        江
津湖の往復は唯堤の上を歩いて、まだ一度も舟で江津川を下つたことはない。
               はら                         ごすい                      をんな
          此遺憾を霽すべく、旗亭に舟を頼んで置くと、午餐果てゝ程なく、用意が出来たと婢が知
                                     もと らふしめどころ
          らせに來た。いざとばかり立上つて、園を出て、舊の蝋搾所の側から舟に乗る。屋形舟に
        薄べり座蒲團を敷き、茶道具など揃へてある。頼んで置いた砂取の餡餅、餡焼もちやんと
        風呂敷包になつて居る
               いで
          「往つて御出なはりまつせ」
                                                                                                                  もやい
        送つてきた女中の挨拶の中に、ひらり飛乗つた船頭が纜を解くと、深さ二尺を過ぎぬ清淺
        の水に身を任して、舟はする/\と下りはじめた。八歳の鶴子も、四十六歳の余もひとし
          ふなばた    きく   かんせい                               あひるさわ
        く舷の水を掬して驩聲を上げる。陶器の破片すら美しく見らるゝ清流に家鴨噪ぎ、水際の
        家も秒毎に趣變はる面白さ。船頭呼んで舟を中流に止めさせ、急に寫眞機などを取り出す。
        早や砂取町に來て、橋下をくぐる。底の礫にさゞめいて居た流れは、清いまゝに追々深く
                                      くわみず
        なる。水前寺に限らず、此界隈は何處からでも玉の様な水が湧く。神水と云ふ村の名もあ
                                      せんばんけい
        る位。砂取橋を過ぎて、川は野天の下に晴々しく流れ出る。右岸は千萬頃の田を限る一帯
        の長堤、左は木立の村が斷續して居る。其間を追々川らしくなつた水かひたもの南へ南へ
         はし                                みずさお     ふなじり  
        と駛ると、其水に乗つて舟が滑る様に下つて行く。水棹取つて舟尻に立つ船頭は、唯梶を
        とるばかりである。相變らず水は美しい。水晶の様に透き徹つて美しい。然し底は砂取前
         さざれ                                   いくばく    わく/\
        の礫ではない。川底は一面の藻や水草である。あの陰に幾何の鮒が噞嵎して居るだらうか
                                  なび    ゆらゆら
        と想はれる美しい藻の床である。長々と深緑の髪を下流へ靡かし、揺々と氣永に振つて居
                        そよ
        るのがある。川芹川ミツバの淡緑に戰いで居るのがある。處々は水面に浮き出でゝ、白い
        花を流れもあえず泳がして居るのもある。此等の上を滑り流るゝ水は、唯もう透き徹つて
        草入水晶其まゝである。随分と急に流れるが、藻の上だから音と云ふ音を少しも立てない。
                もくそう                             こす
        水のまに/\舟も默走をつゞける。唯水面ニ浮いた藻草を其腹で摩つて通る時、すう、ざ
           かすか
        あ、と幽な刹那の音を立てる。
                                 まこも                 いくすじ
        此野川にも趣を添えて極めて稀に水中に立つ石がある。菰蒲の洲は處々に出没して、幾條
        にも水の流れを分けて居る。十月初旬青々とまだ夏のまゝなる其蔭には繋ぎ捨てた舟もあ
          われら
        る。我儕興に乗ずる一行を載せた舟は、今藻草の上を滑り、今菰蒲の洲をかはし、一點の
        雲もない秋空を映して晴々しく白光りし碧光りする明るい水に突と乗りかくるよと思へば
            かげひた  あんりょく            はし
        村の木立の蔭蘸す黯緑の水を驚かして駛るのである。水も面白さう。舟も嬉しさう。舟の
        上の人も樂しくうかれて、
                    “Row,row,row,row
your boat
                                                           Gentiy down the stream !
                                                           Mcrrily, merrily,merril
y,merrily
                                                           L
ife is but a dream !”
        など歌う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上記の英語の「人生なんてただの夢さ」と歌うこの詩は、19世紀初頭にアメリカで作曲された子供向けの歌である。
              https://www.cifraclub.com.br/ricky-desktop/the-boat-beat/letra/
蘆花先生が同行している八歳の養女・鶴子のために口ずさんだのかもしれない。のどかな旅に幸あれ・・・・

 

                                               

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