江戸自慢三十六興・池上本門寺会式 三代歌川豊国・二代歌川広重筆
加藤清正公が御眠りになっている熊本の発星山本妙寺のちかくに、かつて私は住んでいた。
休みの折などには、俗にいう330段の石段を上り、頂上の鑓を片手に仁王立ちする清正公の銅像のあたりまで散歩したものだ。
それから裏手に回って山手に入り込んだこともある。熊本城の雄姿が小さく遠望できた。
細川忠利は、肥後入国後天守に登り、本妙寺に向かい頭を垂れたという。この話は肥後の民の知る所となり、好感を以て受け入れられたことであろう。
処で、この本妙寺の「胸突き雁木」というのは正式には何段あるのか私は承知していない。
日蓮宗の信者であった清正は、江戸池上の本門寺に総門から仁王門に至る96段の石段を寄進している。
妙法蓮華経の偈文96文字からこの石段を96段にしたとされる。
本妙寺の「胸突き雁木」も下から見るとそんなものではないかと思うが如何だろうか。
祖師堂とも呼ばれる大堂も、加藤清正が御母堂の七回忌追善供養のため建立したとされるが、わずか13年後火災の爲焼失した。再建されるのに10年の時を要した。
又、近隣に荘厳な音を響かせる鐘楼の鐘は、清正の娘で、紀伊徳川家初代頼宜室・揺林院が正保四年(1647)が寄進したものである。父を想う揺林院の気持ちが切なくよろこばしい。
清正公の深い信仰心がみてとれる池上本門寺である。
そして漱石の句も残る 鶏頭に太鼓敲くや本門寺