津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本城築城を妄想する

2022-02-15 07:06:54 | 徒然

                         

  熊本城の百閒石垣が連なる二の丸と古京町のレベル差は、立田山断層崖によるものだと聞いたことがある。
つまり自然の地山を利用してあの百閒石垣が構築されたという理解をしていた。
色々調べている中でこの熊本城の地質図を見つけ出した。熊本大地震後に行われたボーリング調査を鹿児島大学がまとめたものである。国士舘大学の資料も大変面白い。
これによると随分広範な範囲で高さ10メートルにも及ぶ盛土がなされており、これは予想外で驚いてしまった。
これでは石垣が崩れるはずである。
下図C~C’’断面の中央部のフラットな部分が二の丸だと考えられるが、「ASO4」層の表面を削ってレベル化されているのがうかがえる。
 上図左端の複雑な地層の重なりは坪井川の堆積物だと記されているが、それと共に5mにも及ぶ版築が施され、大蛇行していた白川の川岸に当たっていた竹の丸や桜馬場あたりの埋め立て・地盤改良がおこなわれていたことを物語っている。
Bcと有るのが盛り土部分だが相当量の盛り土である。どこを切って運んだのだろうか。
熊本城は平面的には梯郭式、断面的には階郭式で築城されているが、これは一方若しくは二方が崖地などの自然地形であることによる。
熊本城は東の高石垣がそれにあたるが、私は高石垣にするために切土をしてその土を以て大量の盛土の確保をしたのではないかと考えている。
高石垣は「ASO4」層を地山にして築かれているのではないか。

棒庵坂がまさに掘り起こされた土や石の搬入路であったろう。
また大蛇行していた白川の流路を直進化するためにも、膨大な埋め立ての土を必要とした。
これらの土はまさしく茶臼山のあるレベルを真っ平にするために、計算つくされて縄張りが行われたのだろう。
たいした計算能力である。熊本城を取り巻く土地のレベルが、海抜12メートルほどで一律になっている。

こんな図面一枚が数時間は爺様の子守をしてくれる。熊本城築城風景を妄想している。

コメント
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