津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本城域断面図でひまつぶし

2022-02-09 10:45:46 | 徒然

             

 国土地理院の地図を眺めていると、なかなか面白い発見がある。
この断面図は熊本城域の東西方向に切ったものだが、左右の12~13mのレベルは、左が第一高校前、右が城東小学校(かっての内坪井の土居内)グランドである。
X軸50~350mまでは第一高校敷地、かっての大身の屋敷跡、それから650m程までは旧・合同庁舎跡地から城彩園、次の高まりは行幸坂、堀や空堀があり御城の状況が良くわかる。東側は高石垣が二段見えて、20mまで落ち込み、1080当たりのフラット部分は熊本市役所前から京町に抜ける県道とその右側にある諸施設の敷地、そしてまた7~8m落ち込んでいる。               

             

 こちらは南北方向、左は市電の杉塘電停、右は熊本市役所である。急激な凹凸は川、空堀などである。
X軸100~400mあたりは古京町、880mあたりまでが二の丸公園、h45mの高まりが本丸、h22レベルが竹の丸である。

          

加藤清正が茶臼山の地形をどう利用して、曲輪を築いていったのかに想いを馳せている。
コロナ禍の中の時間つぶしにはもってこいだが、今日はまだ散歩にもいかねばならぬし、こんな悠長なことをしている場合ではない。

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■三宅家の事

2022-02-09 08:11:32 | 人物

 昨晩熊本史談会の若い友人N君が電話をしてきて、玉名市岱明町の荒木家の事が話に登った。
ここは大変な旧家で、加藤清正がたびたび訪ねてきたことでも有名である。
数ねん前に亡くなられたご当主は、私の歴史の師匠・高田Drの従兄弟に当たられる方で、私は一度だけだがDrにお供してこのお宅を訪ねたことがある。
広大な敷地に古いたたずまいの御屋敷があった。(玉名市岱明町高道)

そしてその中に、何故だかわからないが三宅一族の三宅権兵衛一族のお墓があった。

     三宅権兵衛のお墓

 昨晩のN君の電話は、私のサイトの検索履歴でこの三宅権兵衛の事が6位にランクされているというのである。
つまり、心当たりがあるかという話である。
最近細川興秋のことに度々触れてはいるが、三宅氏との係わりについてはあまり触れていない。何故?という思いがある。

今一度このお墓を見てみたいと思うが、ご遺族はこの土地を離れられて福岡へ出られたとお聞きする。
多分出入りが出来ない状態だろう。

三宅家については、門外不出であった史料が刊本となって秘められてきた歴史に光が当たった。
一方この三宅権兵衛のお墓の事や、その他存在するもろもろの雑記事などまとめて置くべきだと思ったことである。
私自身ではもう時間がなくてとても手が届かない。
このブログに、なにやら足跡を残しておきたいとは思っている。

 

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