津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご恵贈御礼「伊丹家史料展・図録」

2022-02-18 09:12:59 | 書籍・読書

                                                                                   

 細川幽齋の娘・加賀(日出藩主・木下延俊室)の生母は、黒田孝高(如水)を有岡城から救出した加藤又左衛門重徳の妹だとされる。
又、細川忠興の側室・藤(娘・古保は家老・松井興長室)は郡主馬首宗保女だが宗保は前述の加藤重徳の室・寶樹院の実兄である。
摂州伊丹城主・伊丹親興(親保)の子女である。重徳・寶樹院の次男・一成は、父重徳の黒田孝高に対する篤行により、孝高の養子となり三奈木黒田家の当主となり、代々黒田家の大老職を勤めた。

姉聟は後に忠興に仕える黒田蔵人、すぐ下の妹はこれも細川家に仕えた薮内匠に嫁いでいる。
この一族は摂州伊丹氏の一族なのだが、細川家との関りが細川家の資料からはなかなか見えてこない。

 今般、一族の末裔であるT氏からこの資料をお送りいただいた。感謝申し上げる。
私の手元には数種の伊丹氏の家系図があるが、一様ではない。伊丹氏の資料は信頼に足るものが少ないとされるが、いろいろ齟齬が見えて、例えば先の加藤又左衛門などについては父親の名前さえ判らない。一つは伊丹雅勝の子とする者があるかと思えば、海賊の伊丹康勝などと書いてあったりするが、その存在さえ確認できない。徳川家の旗本で、勘定奉行などを勤め甲斐徳美藩の初代藩主となった伊丹康勝は全くの別人である(伊丹雅勝系)

 今般頂戴した図録には「伊丹伝記」なるものが紹介されている。まだ精読していないが、これとて私がもっている伊丹系図とは相いれないものが伺える。
そんななかでT氏からは系図をまとめてほしいと依頼されているが、これは大いなる難題である。頂戴したのは良いが、お返しが大変である。

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■司馬遼太郎状態

2022-02-18 06:58:07 | 徒然

 熊本に於けるオミクロンの流行のピークは、1月27日の1,281人だった。
以降、1,000人越えが4日ほどあったかと思うが、昨日は674人とピークの半分くらいになってきている。
明日は熊本史談会の例会だが、「まんぼう」が延長されたため、会場である熊本市民会館からは、申込通りの日程で開催されますかと問い合わせがあった。また、例会の告知を掲載していただいている熊本日々新聞社からも、メールで原稿を送付後しばらくしてから同様のお問い合わせを頂き、恐縮してしまった。
明日の例会は、質疑応答などで出席者の発言が飛び交うのではないかと予想しているが、万全の対策で臨まなければならない。
 私は朝散歩以外には、郵便の投函や月一の病院行きで出かける位で、ほとんど隠遁生活である。
少々髪がのびたので散髪に出かけるかどうか悩んでいる。
もう司馬遼太郎氏状態になっている。察するに司馬氏は髪の量が相当多いようで前頭部もふさふさしておられるが、私は随分頭髪量がへってスケ/\状態になった。
運転免許を返還した時、「運転履歴証明」を作ったが、その時の写真をみて愕然としたが、それとて1年10ヶ月ほど前の事である。
そんな頭だが、行きつけの床屋さんは散歩のルートから50mも離れていないから、出かけずばなるまいと思いつつある。
現況未定、優柔不断な私である。


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