【模写】細川忠興 書状軸装 某宛 九月廿七日付
あて名が良くわからないが、忠興が羽柴を名乗った時代のものである。その始まりは天正十三年で大阪の陣後細川姓に復した。
さきのかん、きもを
つふし申候、され共
今日は、とかく/\
我等はなり不申候間、
さきにかまはす
とりをあそはし
候へく候。
九月廿七日 羽越中守(花押)
□□□□殿
出品者によって上記のような読み下し文が紹介されているが、「先の簡肝をつぶし候」とあり利休の死か秀次の謀反かと考えた。
どうも日付からするといずれも該当しないように思える。豊臣の歴史の中で九月に起きた肝をつぶすような事件とは何か。
秀吉が正親町天皇から豊臣の姓を賜ったのが天正十四年九月九日。
天正十九年八月には朝鮮出兵を決めたが、これにも肝をつぶしたことであったろう。
九月二十七日という日付の前後の大事件とは・・・?特定できないが、こんな呑気なこともコロナ禍の時間つぶしにはもってこいではある。
答えが出ないのが残念だが。