昨日の夕方のTKUのニュース番組で「熊本城の抜け道」周辺の崩れた石垣の撤去の模様が放映されていた。
https://www.fnn.jp/articles/-/388923
「抜け道」だと伝わる二ヶ所のトンネル状の工作物を、過去の映像を流しながらその正体に触れていた。
これはまさしく抜け道だろう。何度もふれている「御大工棟梁善蔵ゟ聞覺控」では次のように記されている。
しょうくんのまのうしろにきみつの間があ 昭君の間の後ろに機密の間が在
つたこつもおぼへとるかべがめぐる ったことも覚えている 壁が巡る
しかけでかべが一ちょうきりつと 仕掛けで壁が一ちょうきりっと
めぐつとゆかのたかさ六尺ばかり 回ると床の高さ六尺ばかり
のところからこまかはしごでした の所から小さい梯子で下
におりつて女のかみのけでねりあ に降りて女の髪の毛で練り合
はせたつなにすがつて下におりそれか せた綱にすがって下に降りそれか
らつまる所はふじょう御門からあ らつまる所不浄御門(不開門)から小
ずきさかにでるやうになつておつた 豆坂に出る様になって居た
小豆坂については■小豆坂と折栴檀橋をご覧いただきたいが、この坂は内坪井方面からの登城口であるが、往時は京町台のがけ下を廻る様に坪井川が流れて居り、緊急時には水運を使っての避難経路であったのだろう。
それは、千葉城の遺跡でも見られたらしいことも■千葉城の抜け穴でふれたが、同様のことであったろう。