一、寛永十八年(1641)五月五日光尚公御遺領相続 同六日御拝礼 同十一日御暇被仰出
同十九日江戸御発駕 六月十四日熊本御着
一、同年九月廿九日熊本御発駕 十月廿六日江府御着 十一月朔日御拝礼 在熊3月15日
一、同十九年五月朔日御暇被仰出 此時上意ニ今年茂滞府勤仕いたし度可有之候得共 去年国許不作
百姓困窮之聞有之ニ付御暇賜也 帰国ありて政務可為専要之旨上使御演述之 同十四日江府御発
駕 六月十二日熊本御着
一、寛永二十年三月十九日熊本御発駕 四月十七日江府御着 在熊9月7日
一、正保元年 寛永二十一年改元 四月廿四日御暇被仰出 五月三日江府御発駕 同廿七日熊本御着
一、同二年二月十二日熊本御発駕 三月十二日江戸御着 同十五日御拝礼 在熊9月15日
一、同三年四月十八日御暇被仰出 六月十三日江戸御発駕 七月十一日熊本御着
一、同四年三月十三日熊本御発駕 四月四日江戸御着 在熊8月2日
一、慶安元年 正保五年改元 二月御暇被仰出 同十四日江戸御発駕 三月三日熊本御着
一、同二年三月三日熊本御発駕 同廿五日江府御着 四月朔日御拝礼 在熊12月
一、同年(1649)十二月廿六日御逝去
この様に、光尚公の治世は8年7ヶ月余であるが、熊本の在国期間は約42ヶ月、つまり3年半ほどであることが判る。