先にオークションで入手した宇土支藩の大借金に関する「一札」である。
昨日現物が手元に届き、久しぶりの古文書読破である。30,000石の宇土支藩にとって5,000両の借金とはただならない。
背景が判るのではないかと、精読に掛かろうと思っている。
先にオークションで入手した宇土支藩の大借金に関する「一札」である。
昨日現物が手元に届き、久しぶりの古文書読破である。30,000石の宇土支藩にとって5,000両の借金とはただならない。
背景が判るのではないかと、精読に掛かろうと思っている。
私のダイアリーには毎日コロナ感染者数(熊本県)をメモしている。2020年2月以来である。
今年の1月の末、数日間1,000人を越えておどろいたが、その後しばらく4~500位で落ち着きを見せていたが、7/5突然1,589人となり同様の数字が6日続いた。
7/12初めて2,000人を突破して2,333人となり2,000人代が6日続いた。
18日1,441人・19日1,176人と下降をたどるかと思っていたら、昨日は突然3,772人である。
3回目のワクチン注射をためらっていた奥方も、2,000人を突破したころさすがに驚いて注射の予約を入れた。
私はと言えばまだ4回目の案内が来ない。
後遺症なのかどうか判らないが、注射をした左上腕部の痛みがずっととれず、腕が上がらず不愉快感がいつも付きまとっている。
4回目を打てば、痛みが増すのではないか等と思ったりもするが・・・
一番こまるのは、いろんな施設の使用制限が行われることだ。これはなんとか勘弁願いたい。今日の数字が気になって仕方がない。
追記 17:14 今日21日は4,240人大爆発は続いています。明日は5,000人突破か・・・
遠景に宇土櫓と天守閣が重なっているのが見える。
その下に見えるのは家庭裁判所、その左手は建物は改築されているが当時の共済会館・五峰閣(現KKRホテル)、近景左手は今はなくなってしまった厚生年金会館である。
昭和55年頃の懐かしい景色である。
前の道路は県道31号熊本-田原坂(鈴麦)線、右手に進むと上熊本駅に至る。
夏目漱石が上熊本駅に降り立ち、熊本に第一歩をしるしたからと、地元の放送局が「ぼっちゃん道路」と命名したが不評のようだ。
夏目漱石が熊本に赴任したのは1896年(明治29年)のことで、残念ながらこの道は通っていない。
それゆえ漱石は京町台へ上り新坂から熊本の景色を眺めて「森の都」といったとされる。
写真に小さな水路が見えるが、かっての坪井川の跡である。(悪友は坪井川がこんな所を流れていたことを知らなかったという。証拠写真である)
懸っている橋は錦橋、右手の階段は京町台に登るためにその高低差を吸収するために、折り返すように登る階段で、かっての錦山神社(加藤神社)の旧参道でもある。
かっての写真を見ると橋の右手に鳥居が建っていた。昭和37年現在地へ遷宮するまで約76年間の京町(旧・氏家邸)に在った。
この県道の開通で分断されたが、この一帯は「内坪井」と呼ばれる水堀と土居に囲まれた中級武士の屋敷が広がっていた。
現KKRホテルの裏手から小豆坂へ下る坂があり、坪井川に掛かる折栴檀橋をわたる登城口があった。
現在の城東中学のプールがある辺りであり、昔の面影を見出すことは不可能である。
昭和55年、熊本市発行の「ふるさと 史跡と風土をたずねて」から写真を引用させていただいた。