津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■籠城の輩清正へ相抱給ふ事

2022-07-20 06:50:59 | 史料

宇土城の開城後の宇土勢の処遇について、宇土軍記には次のような記述がある。
「四十・ 籠城の輩清正へ相抱給ふ事」
  宇土籠城の輩八代・矢部の人数共に、兼々約束の通小身侍に至迄不残一命を被助、先知の通少も無総意下行之

  清正被相抱候也、於熊本宇土小路と云所有之ハ、右小身の輩被指置候ニ付如此唱来由也、

 それらの事情は、現・八代未来の森ミュージアム学芸員である林千寿氏の博士論文「慶長五年の戦争と戦後領国体制の創出」の中に、
清正が
小西旧家臣に所領を安堵し「宛行状」を与えた宛てた8名が紹介されている。(p46)貴重な資料である。
その中に登場する岸本新左衛門に宛てた加藤清正所領宛行状」を、史談会の会員・野口敬一氏が、2013年3月17日に矢部(現・山都町)
浜町にある割烹・本さつまに展示されていたものを撮影されていた。
先の6月例会の際に持参され拝見した。

                        
        
           宛行所領之事/八代郡内古閑村内/を四百石遣之候/全可之所務於/
           抽忠勲者可加/増之状如件    慶長五年十一月三日 清正(花押)

                               岸本新左衛門殿

 小西時代の旧所領を安堵するとともに、「忠勲抽んずれば」加増もしてやろうというのである。私はこの「岸本新左衛門」にいさ
さかの興味を持った。


 古い私のブログに、実はこれによく似た名前の「岸本新五左衛門」に宛てた宛行状が、2007年11月18日放送の「なんでも鑑定団」
の出張鑑定が山都町で開催された折出品されていたことを書いている。
「絶対明けてはいけない」と言い伝えられてきたというこの品物は二点あったようだが、100万という高額評価だった。
何故この様な高額評価になったのか古い話で記憶がない。
上記新左衛門の宛行状と同様時期の品物であるから、この人も小西家家臣であり同族だったのだろう。
(今にして思うと、新五左衛門ではなく新左衛門であったかもしれない・・・?)

小西氏の治世時代から加藤氏時代に移るほんのわずかの時代を物語る貴重な史料として評価されたのだろう。                            

コメント
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