昨晩久々にヤフオクで古文書を落札した。数日前から目を付けていたのだが、6・7名の方が興味を示して居られた。
締め切り1時間前に入札金額などの状況をチェックして戦略を立てる。
5,000円半ばが最高額、その方が私が入札後再入札される可能性があるから、入札1分前に10,100円で入札、案の定10分間の入札延長となった。
10,000円位まで再入札されるかもしれないと思い、「+100円」としてみた。
処が再入札をあきらめられたのか、そのままの金額で私が落札することになった。
いつもの事ながら応札された方々には申し訳なく思うが、勝ち負けは時の運で、私も一敗血にまみれたことは何度もある。
それ故ここで勝ち誇って、その品物の写真を掲載するのはやめておこう。
内容は安永五年七月、宇土細川家が5,000両という大金を借入れるにあたっての、「一札」と称する家臣数十名の連名の借用書である。
宇土支藩で5,000両の借り入れとは「何事?」と思い、内容を詳しくみてみたいという思いが通じた。
読み下した後、何時かご披露したい。この品物については、後では、某機関に他の宇土細川家に関する文書と共に寄付しようと思っている。
「清正勲績考」(巻第二十六)から「肥後國處々開城」
其頃薩州ヨリ兵ヲ出シ熊本領ノ葦北郡佐敷城ヲ攻ルノ由注進ニ依テ、宇土ノ城攻最中ナリト云トモ佐敷ヘノ後詰トシテ天野民部一隊
ノ士卒ヲ差向ラル所ニ、関原ノ一戦ニ西軍敗北ノ由ヲ聞テ薩軍驚悉ク退散シケレハ佐敷ノ城兵是ニ運ヲ開ケリ、石田・小西等既ニ召
捕レタルノ由告アリ、此上ハ宇土城ヲ明渡シテ退去シ然ルヘキノ旨、宇土城代小西隼人長元方へ清正君ヨリ示シ給フト云トモ西軍ノ
敗北ト云フ疑ヒ承引セズ、然ル所ニ小西行長ノ近習タリシ者落人トナリ逃下リケルヲ召取テ、此者ヲ城ノ屏近ク寄テ此者ノ直口ヲ聞
レヨト云入ル、城兵二・三人出向ヒ彼一戦ニ味方敗軍ノ事ヲ委ク聞テ此上ハ是非ナシ城ヲ明渡サン、然レトモ宇土・八代等小西領内
ノ諸城ニ籠ル士卒浪々ノ身トナリ方々へ離散シ妻子ヲ路頭ニ立セ見苦キ躰トナリテハ一命ヲ助タル甲斐ナシ、不残先知ヲ賜ヒ召抱へ
給ハゝ宇土・八代ノ兩城代小西隼人・同若狭ハ切腹シテ主恩ニ報ヒ城ヲ相渡サン、此儀相違ノ趣ナラハ各城ヲ枕ニシテ討死ㇲへキ旨
ヲ兩城代ヨリ申シ越ス、清正君之ヲ許容シ給ヒ兩城代願ノ如ク切腹シテ城ヲ異議ナク相渡ヘキノ旨印形モ到着ス、依之小西隼人長元
十月 日切腹シテ城ヲ明渡ス、清正君之ヲ受トリ加藤與左衛門重次・並河金右衛門 ヲ城衛トシテ入レ置ル、城内ニ紀州室ノ城主
堀内阿波守安房入道夫婦アリ、此レハ名ヲ得シ武功ノ老将タルガ近歳紀州没落ノ後小西行長ヲ憑ミ宇土ニ浪客タリシガ今度ノ一乱ニ
就テ籠城ニ及ベリ、清正君豫テ相知給フト云トモ此度宇土ニ籠城スト云コトハ曽テ聞給ハズ、落城ノ後不圖對面シ給ヒ、其手ヲ把テ
久シク城ヲ持コタへ堅固ナルコトヲ怪シク思ヒタルニ足下ノ籠城アリシ故ナリ、和睦ノ上ハ我等相應ノ扶助ㇲへシ、領内何方ソ心ニ
任セ居住セラルヘシトアリシカバ、直ニ宇土ニ在城アリタキノ旨ニ依テ其ノ心ニ任セ給フ、