津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井門宗中覚書(3)志方半兵衛のこと‐2

2024-04-04 12:47:50 | 史料

  前回の井門文三郎の志方半兵衛に対する発言は、聞き役の沼田勘解由からすると如何にも批判めいて聞こえたらしく、勘解由は文三郎に
 「将来の身代の妨げになる」とさえ言っている。

 そしてよく考えなおして改めて申し上げよと諭しているが、文三郎は発言したことを改めることはないとはっきり断っている。お仕えした
 主人の遺言を承ったものとしては、そのことを実行するのが家臣の務めであると述べ、死罪を仰せつけられても命を惜しむものではないと
 まで述べてているから、これほど説得力のある言葉はない
 文三郎のこの強い意志とともに、実質宇土支藩初代の行孝は半兵衛を「お構い」にしているから、本藩の光尚は半兵衛に知行することが出
 来ず50人扶持を与えたとされる。
行孝の半兵衛に対する怒りのほどが伺える。

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  ケ様申候ヘハ勘解由押し返し申候は、半兵衛申分之通ハ具承置候。只今ハ其方申分ハ肥後守様へ之御請は何とて可申上や。
  近比存外之申分而其方之身躰(代)之妨と存候。此段は只今御請不申上候とても不苦候間、罷帰分別仕申上候候由、申候。
  又私申分ハ、ケ様之義重而ト申儀も如何存候付、只今之仰出様畏候得共、罷帰分別仕様於此儀無御座候。私御請之様子存外之
  仕合身上妨と思召候由、爰ヲ以最前申上候ハ、御免成候ハ心侭様子具申上度と御断ヲ申上候。此一巻おゐてハ私之申分
  無御座候。相果候中務申置候筋目ヲ立申度、其上帯刀幼少候得は、有や無や之依怙に仕候所ヲ不及是非申上儀、縦死罪ニ被仰付
  候とても惜一命、亡者之申分ヲ反故仕候儀ハ、私限り不申、世主人之遺言承候者之不非、覚悟候事
。同は於御前此一巻御直
  言上仕度ト申候得は、追付勘解由申分、其方存念之様子ハ 肥後守様 仰出之品々、分ケモなき義ヲ 仰出と存候や、と
  申候付私申候は、御直申上度と存處此所ニ而御座候。連来 殿様之御事候得は、一々始終私之存念之通り申上候、右之御意ハ
  曾テ有御座間敷様奉存候。如何様之御取成と不存、最前より半兵衛申分迄己が心邪気ヲ含候を隠置、利順之様申上候所、終
  私手前ハ無御尋、今日初御尋付申上ル事候。然は私存念之通り頓ニ被聞召上候は、何とて半兵衛申分尤ト可思召上や。此所
  相違御座候故、御直申上度ト申義候處、證據之出遅ト存候由。又申候ハ、最前も申候通、肥後守様ヨリ半兵衛手前之義御尋之事、
  今日初而被 仰出候。御国ニ被成御座候刻仰出候ハ、半兵衛手前帯刀悪ミモ御座候や、と迄御尋付申上候。遠國隔り書中にては難
  申上、如何様重御尋可遊と存、唯今迄延引之処御尋付申上候。此上ハ半兵衛召出、肥後守様召仕候処ヲ、如何程之不届御
  座候とても、帯刀分テ奉對肥後守様へ何とて可申上候や。此段は兎も角も御意次第之義ニ被存候。今日之御請之段は半兵衛不所
  存之義聞召上度との御事付、其儀を申上タルヿニ候。然共半兵衛義 肥後守様御構不遊、他国心侭罷出申様之首尾ニ而御座候
  ハ、あつはれ何方迄も構可申候。ケ様申候得は無十万申分之様ニ被申候。御請之御事候間、先々達御耳可申との義候。其後勘
  解由罷出、私共ニ被申聞候ハ、先刻より之段々達御耳候処 御意成候ハ、聞召分タル義も御座候。兎角帯刀殿盛長之上、如何様
  共可仰付候。先両人ハ罷帰候得、ト申候。又其刻申候ハ、先程ヨリ之段々聞召上如何様可仰出難計仕合奉存所、御取成故、
  只今之仰出之処ひとへ忝奉存候由申達候罷帰候。右之趣殿様御十歳ノ春申上候也。

                  この項・了

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■追悼・鈴木健ニ氏

2024-04-04 06:41:14 | 人物

             

 元NHKの名物アナ・鈴木健ニ氏が亡くなられた。深甚なる敬意を表しお悔やみ申し上げる。
写真は私の雑記帳だが、ここに「知るは楽しみなり 知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれる」と、高い視聴率を誇る名物番組「クイズ面白ゼミナール」の冒頭の、鈴木アナの言葉を記している。
氏はNHKを退職後、熊本県立劇場の館長に就任
されたが、招聘したのは当時の知事・細川護熙氏であった。
江戸っ子の鈴木氏がなぜ熊本にと当時の熊本県民はびっくりしたが、氏にとって熊本赴任は二度目であり、一度目はNHKアナウンサーとしての任地としてである。昭和28年の熊本水害を、城見町にあったNHK熊本放送局から、二階のスタジオに水が上がってくる状況を実況放送された。
その後のNHKでの活躍はすごく理事待遇のエグゼブティブ・アナウンサーをへて、二度目の赴任地として熊本県立劇場・館長職につかれた。
県下各地の伝承芸能の発掘などに勤められたが、清和文楽の復興は特筆すべきものである。
細川知事の熊本アートポリス事業による清和文楽館の建設と相まって全国区の評判となった。

「知るは楽しみなり」の精神はそれ以来私のバックボーンとなっており、この雑記帳に判らぬことを書き綴り、PCを駆使して調べ、図書館に走り調べて人生を楽しんでいる。そういう意味で、私の生き方を導いていただいたと感謝している。ご冥福をお祈り申し上げる、合掌。

参考サイト:風のコンパス、清和文楽館公式サイト、アートポリス・清和文楽館
      それぞれリンクを張ろうとしましたが、「本文に不正な書式が含まれています」というコメントが出てしまいますので、
      恐れ入りますが上記文言で検索をお願いいたします。

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