前回の井門文三郎の志方半兵衛に対する発言は、聞き役の沼田勘解由からすると如何にも批判めいて聞こえたらしく、勘解由は文三郎に
「将来の身代の妨げになる」とさえ言っている。
そしてよく考えなおして改めて申し上げよと諭しているが、文三郎は発言したことを改めることはないとはっきり断っている。お仕えした
主人の遺言を承ったものとしては、そのことを実行するのが家臣の務めであると述べ、死罪を仰せつけられても命を惜しむものではないと
まで述べてているから、これほど説得力のある言葉はない
文三郎のこの強い意志とともに、実質宇土支藩初代の行孝は半兵衛を「お構い」にしているから、本藩の光尚は半兵衛に知行することが出
来ず50人扶持を与えたとされる。行孝の半兵衛に対する怒りのほどが伺える。
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ケ様ニ申候ヘハ勘解由押し返し申候は、半兵衛申分之通ハ具ニ承置候。只今ハ其方申分ハ肥後守様へ之御請ニは何とて可被申上や。
近比存外之申分而其方之身躰(代)之妨と存候。此段は只今御請ニ不申上候とても不苦候間、罷帰分別仕申上候而尤ニ候由、被申候。
又私申分ハ、ケ様之義ニ重而ト申儀も如何ニ存候付、只今之被仰出様畏候得共、罷帰分別仕様於此儀無御座候。私御請之様子存外之
仕合身上妨と被思召候由、爰ヲ以最前申上候ハ、御免被成候ハ心侭ニ様子具申上度と御断ヲ申上候。此一巻ニおゐてハ私之申分ニテ
無御座候。相果候中務被申置候筋目ヲ立申度、其上帯刀幼少ニ候得は、有や無や之依怙に仕候所ヲ不及是非申上儀、縦死罪ニ被仰付
候とても惜一命、亡者之申分ヲ反故ニ仕候儀ハ、私ニ限り不申、世二主人之遺言承候者之不非、覚悟候事。同は於御前此一巻御直ニ
言上仕度ト申候得は、追付勘解由被申分ニ、其方存念之様子ハ 肥後守様被 仰出之品々、分ケモなき義ヲ被 仰出と存候や、と被
申候ニ付私申候は、御直ニ申上度と存處此所ニ而御座候。連来 殿様之御事候得は、一々始終私之存念之通り申上候而、右之御意ハ
曾テ有御座間敷様ニ奉存候。如何様之御取成と不存、最前より半兵衛申分迄己が心ニ邪気ヲ含候を隠置、利順之様ニ申上候所、終ニ
私手前ニハ無御尋、今日初而御尋ニ付申上ル事候。然は私存念之通り頓ニ被聞召上候は、何とて半兵衛申分尤ト可被思召上や。此所ニ
相違御座候故、御直ニ申上度ト申義候處、證據之出遅ト存候由。又申候ハ、最前も申候通、肥後守様ヨリ半兵衛手前之義御尋之事、
今日初而被 仰出候。御国ニ被成御座候刻被仰出候ハ、半兵衛手前帯刀悪ミモ御座候や、と迄御尋ニ付申上候。遠國隔り書中にては難
申上、如何様重而御尋可被遊と被存、唯今迄延引之処御尋ニ付申上候。此上ハ半兵衛被召出、肥後守様被召仕候処ヲ、如何程之不届御
座候とても、帯刀分ニテ奉對肥後守様へ何とて可被申上候や。此段は兎も角も御意次第之義ニ被存候。今日之御請之段は半兵衛不所
存之義被聞召上度との御事付、其儀を申上タルヿニ候。然共半兵衛義 肥後守様御構不被遊、他国江心侭ニ罷出申様之首尾ニ而御座候
ハ、あつはれ何方迄も構可被申候。ケ様申候得は無十万申分之様ニ被申候。御請之御事ニ候間、先々達御耳可被申との義ニ候。其後勘
解由罷出、私共ニ被申聞候ハ、先刻より之段々達御耳候処 御意被成候ハ、被聞召分タル義も御座候。兎角帯刀殿盛長之上、如何様
共可被仰付候。先両人ハ罷帰候得、ト被申候。又其刻申候ハ、先程ヨリ之段々被聞召上如何様可被仰出茂難計仕合奉存所、御取成故、
只今之被仰出之処ひとへニ忝奉存候由申達候而罷帰候。右之趣殿様御十歳ノ春申上候也。
この項・了