津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井門宗中覚書(1)

2024-04-01 07:05:01 | ご挨拶

 井門宗中とは宇土支藩重臣・井門家の3代目・次郎左衛門重之のこと。寛永十年正月に細川立孝(立允)附となる。14歳。
天草島原の乱に於いて立允に付て先登す。新知150石。行孝代150石加増。承応2年200石、延宝元年200石加増都合700石となる。
細川行孝の死去に当たり剃髪して宗中と号した。元禄9年10月10日歿。77歳。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          井門宗中覚書            廿六歳

一、正保ニ乙酉五月廿五日、宮松様(宇土支藩初代・行孝)江戸へ初御下之前日、河崎迄御着之儀相知付、文三郎(次郎左衛門父)、
  清田弥八郎両人芝御屋敷参上、肥後守様、明日御着之儀ヲ田中左兵衛ヲ以申上候処、即刻両人御前江被召出、御直段々御意成候
  は、宮松爰元へ参候事思召モ無之儀候、肥後守様ヨリ御差圖之外、誰々之指圖ニ而被下候や、此段ヲ急度有之侭可申上候。其刻
  御立腹御機嫌之悪敷ハ、たとへに可申上様無之程之御事、御前ハ林外記・田中左兵衛召置、段々御意成候処、文三郎御請は、此
  儀弥八郎義ハ初中後不存儀御座候間、御請ハ私可申上候。宮松爰元へ被参候儀たれ/\の御差圖ト申儀毛頭無之儀儀候。中務病中甚
  敷御座候時分、最早本復ハ難叶儀ニ候間、幼少ニ御座候トモ一生一代之義候条、末期ニ被参候様と存候。若其内果候ハゝ焼香
  罷登候共、一度下候所ヲ本意ト存候、トケ様ニ申遣候。其刻奉得御意可申遣候処、病ハ甚敷十(途)方暮、即刻申遣トひとへに心得、
  至只今御意之旨行当、御尤之仰出可申上様無御座候。私之外申遣候者無御座候。ト申上候得は、又 御意成候ハ、病中申遣候所
  は断(ことわり)ト思召上候。十一日卯ノ刻果候儀申遣、十五日ノ朝上方罷立候日積テ候、ケ様ニハ不存候や、と外記、左兵衛
  御意成候。又押返シ申上候ハ、何ケ度テモ右申上候通候。中務相果申、注進ノ飛脚道中ニ而如何滞申候や、関テ宮松逢申候。
  側居申候者共心得果候義ヲ承其侭宮松申聞候テハ、幼年之儀御座候間途中ニ而歎キ、最早江戸ヘハ参間敷抔ト申候は如何と存、
  態と隠シ、河崎迄ハ果申候義不存候由、ケ様申候得は、具ハ不聞召分甚御機嫌悪敷、暫ク物ヲも御意不成、御前左兵衛申
  候ハ、御前罷立候様ト申所、又 御意成候ハ、最早此上ハ無了簡候。河崎迄参候事候間、明日屋敷迄参候ラハ、注進可申旨御
  意付、其侭御下屋敷(芝)ヨリ夜通河崎参候。右申通文三郎罷出候迄中務様御逝去之段聞召上、前廉両人落髪之躰ヲ御覧
  成、不申上内御推量遊、御落涙、中々の御事共御座候。兎角仕候内夜モ明ヶ申付御供仕、愛宕下御屋敷御着之上、肥後守様御注
  進申上候ヘハ、先々御息災御着目出度思召候。暑氣之時分御煩不成様、と思召候由テ、其後御使なと進候。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする