津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川幽齋の誕生日

2024-04-22 07:34:50 | ご挨拶

 今日は藤孝公の誕生日であるが、細川家の記録では永源師檀紀年録ではそれを天文四年とするが、家記は天文三年としている。
細川護貞さまの御著においては天文三年とされている。このような錯誤が細川家資料で見受けられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

永源師檀紀年録・巻之四
〇天文三年九月大樹義晴公ハ三好カ逆乱ヲ避テ営ヲ北白川ニ移ス、屋形供奉ス、大樹或ル時三淵宗薫大和入道殿ヲ召ス、時ニ
 大樹ノ側ニ妾侍坐ス、此ノ妾ハ船橋大納言清原宣賢真人法名環翠軒宗尤ノナリ、大樹其ノ妾ヲ指シテ入道殿ニ謂テ曰ク、     ➝智慶院

 此女我カ胤ヲ妊メリ、誕生シテ若男ナラハ鞠テ汝カ継嗣トセヨ、入道殿敬テ諾ス、是ヲ以テ入道殿ハ京ニ留ル。
同四乙未年四月廿二日巳下刻三淵大和入道殿ノ養子誕生ス、然モ男ナル故へ約ニ応ス、万吉殿ト小字ス。

細川家記
天文三年甲午四月廿二日三淵晴員別墅ニテ生ル 将軍義晴妊身ノ側室ヲ晴員ニ賜ウ、男子ヲ生ム、晴員之ヲ育テ以テニ子トナス  三淵萬吉ト称ス
   同八年已亥六月元常将軍義晴ノ命ニ依リ養子トナス 同十五年丙午十二月将軍 義藤、ノチ義輝ト改ム  諱字ヲ賜リ細川與一郎藤孝ト称ス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■川上の桃源郷

2024-04-22 06:53:20 | 俳句

            けいしょうざん
 夏目漱石に「行く春や 瓊觴山を流れ出る」という句がある。
漱石俳句集には「けいしょうざん」としているが、浅学菲才の身には「瓊觴山を流れ出る」の意を解し得ない。
ところが、半藤一利先生は「けいしょう、やまを」と読むべきだとされる。「瓊=玉」であり「觴=酒杯」だから、「瓊觴=玉杯」だとされる。
そして、これは漱石先生お好みの「蒙求」の「劉阮天台」の話しからこの句をものにしたのだろうと推理される。
ある人が山中に迷い込み、桃の実を食べていたら川に玉杯浮かんで流れてくるのを見て、上流に人が住んでいると思った。
仙女と出会い歓楽を共にして半年後に帰宅してみると、知る人は居らず七代後の子孫にであったという話である。

別の一句にはやはり「蒙求」の「武陵桃源」から「桃の花民天子の姓を知らず」という句があるが、桃源の別天地を詠んでいるのだという。
難しい話はよくわからん~~~。

 球磨川のことを「木綿葉川」といった。「ゆうば川」と読むが、綿の葉かと思わせるが「麻の葉」だとされる。
往古、下流の八代の人たちは木綿葉川に上流から「麻の葉」が流れてくるのをみて、その上流部に人が住んでいることを確認したという話がある。
桃源郷ならずとも、その「麻の葉」の流されたところをたどると、まさに平家の落ち武者の隠里があった。
扨そんな風景を句にしようとなると‥‥難題過ぎて遁走しなければならない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする