津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■小笠原長基手前不成、銀20貫借用

2024-04-12 16:39:15 | 人物

     (寛永五年正四月)十二日         

         | (長元)小笠原備前家二代・長基、ガラシャ夫人に殉死した少斎の嫡子 6,000石      
小笠原長元困窮シ |一、小笠原備前殿御手前不成ニ付而、寛永四年ニ 御袖判壱枚被仰請、上方にて銀弐拾貫目御借用
借銀二ツキ忠利ノ |  候、左候て、当春被成御請返、 御袖判被差上候、則飯田才兵衛を以、 御前へ上申候処、御前
袖判ヲ乞ウ    |                                            〃
銀二十貫上方ニテ |  判御やふりなされ御出候、又備前殿右之 御袖判請返上可申との請状、 御前ニ上被置候をも、
ノ借状ヲ請返ス  |                         (松井興長)
忠利借状ヲ破棄ス |  同前ニ 御前ゟ出申候、明日上方へ便宜御座候ニ付、式ア殿ゟ備前殿へ御上せ可有由、■■被仰
         |  越候間、則式ア殿へ持せ遣候、

 頭注には長元とあるが、長基が本当だと思う。豊前時代の話である。
寛永四年に家政が立ち行かないので、忠利公の袖判をお願いして上方で銀20貫を借用したが、その返済が済んだので借用書を受け
取り返上したというのである。
すぐさま破却(焼却か)するようにとの仰せつけであった。

この時期の金と銀・銭の関係は、1両=銀50匁=銭4,000文といわれるから、銀20貫=20,000匁/50=400両、1両=10万円とす
ると4,000万円という膨大な金額である。
なぜこのような借銀が必要であったのかは良くわからないが、6,000石の御大身ともなれば家臣その他相当数抱える必要があるから
その経費は莫大であったろう。
しかし、1年ほどで返却ができたということは、ざっと米400石+利息がコメ相場を見ながら返却されたのだろう。
袖判とは、藩主の確実な保証があることを示すために、藩主の花押が入った借用書の事である。
6,000石の大身であるとともに、ガラシャ夫人に殉死した小笠原少斎の嫡子であるということもあるだろう。
袖判での借銀だから利息は普通より安いのだろうが、それでも10%くらいは取られたのではないか。
侍の借金は年率18%だともいうから、身代はつぶれてしまう。

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■生田又助覺書(1)

2024-04-12 06:10:47 | ご挨拶

 先に細川宗孝公の江戸城内での凶事を取り上げた「隱見細倉記」をご紹介してきた。
実はこの記録は何方が書かれたものかがはっきりしていない。今回ご紹介する「生田又助覺書」は、其日に江戸城登城に
供頭として随伴した御小姓頭・生田又助の記録であるから、これぞ正確な報告書であろうと思う。

御紹介する順番を間違えたようにも思うが、44頁に及ぶもので読み下しながらタイピングしてご紹介してみたい。
3頁で15日、4頁で11日、頑張りましょう。

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隆徳院様御変之記録也
    生 田 又 助 覺 書

  延享四丁夘年八月五時早速 御登城御供左之通
     御小姓頭     生田又助
     御側御取次    伊藤忠左衛門
     右同       山田嘉左衛門
  右三人御城御玄関迄御供仕候
     御側御取次下乗江残候
              平野庄太夫
              篠原喜左衛門
              高岡吉左衛門
     御駕奉行     平野太郎四郎
              門岡弾之允
     御小姓組     梁瀬八左衛門
              宇田又左衛門
              田屋尉左衛門
              高瀬喜左衛門
              安井左内
              神西長右衛門
     御中小姓     村上又太郎
              續 彦太夫
              坂口文次
              多田段助
              神戸尉右衛門
              魚住弥兵衛
     歩御使番     鈴木伴助
              三宅才右衛門
              永原新蔵
              吉川五大夫
              矢田郡次右衛門
              浅見源右衛門
     御供押御側足軽  佐藤順右衛門
              中津伊三
              荒木五太夫
              池田仲右衛門
              中原新助
              三和及平
     御注進外様足軽  前原伴七
              津林庄兵衛
     合羽支配外様足軽 江藤傳右衛門
              黒瀬團平
     御中間小頭藤井徳右衛門、御駕小頭下川加右衛門・御手廻小頭鹿島次右衛門
     御留守居御城御供御行列之外村山傳右衛門

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