過去に「地震の間」についていろいろ調べてきた私にとって、この192講の記事はうれしい。
今般の熊本地震に遭遇し、多くの倒壊家屋を見るにつけ建築士の私にとっては忸怩たる想いがある。
幸い私が関わった住宅建築は、ほとんど無傷で会ったことは救いであった。
しかし現在の耐震工法で建てられた住宅でも倒壊した事例が幾つもある。二回にわたる震度7では耐震工法でも無理だったということである。
この192講でも触れられているように、地震の間は「免震工法」の構造となっている。大きな殿舎が倒壊しても、「地震の間」に逃げ込めば一安心という訳である。
現在の建築基準法には限界を感じるし、建築士の多様な発想で「免震工法住宅」が多いに検討されることを願いたい。
論考「彦根城楽々園地震之間について」
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/10504/1/ji0184009.pdf
私が地震の間に興味を持ったきっかけは、やはり地震が発端である。最初に書いたのが 地震の間 で、2008:4:25に書いている。
その後いろいろ書いてきたが、こうして改めて眺めてみると建築士としての想いが含まれているように思える。
■寛永10年の地震
白金邸
こりずに「地震屋」
またまた・・又、地震の間
またまた地震の間
初期の御花畑邸
加賀前田藩上屋敷--地震之間 (二)
加賀前田藩上屋敷 -- 地震之間
「地震之間(屋)」情報を集めてみる
彦根城楽々園-- 地震之間
熊本城内地震之間
又々 地震の間
御花畑邸の「地震の間」
地震屋(間)
唯一地震之間の存在が書き込まれている、花畑邸絵図のトレスである。○印の部分が地震之間である。この絵図が作成された時期は判らないが、忠利の入国後寛永期のものではないかと私は推測している。ただ能舞台などがあるところをみると、時代は下るかもしれない。披雲閣とあるあたりは後年藩主の私室・陽春之間が出来ることになり、その後の絵図ではこの地震之間はなくなっている。 2012-08-28記事再掲