(寛永三年六月)朔日~五日
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| 朔日
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長崎買物奉行出船 |一、長崎へ為御買物奉行、石寺加兵衛・飯銅庄内両人ニ、御長柄衆弐人相添、今日出船仕候事、
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| 二日
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走小者ノ借銀ノ取 |一、江戸ニて、宮村専斎小者走り申、替之もの奉公相届罷下候、然処ニ、走り候小者借銀三拾目仕
立 | 候、去年借状帳おそく江戸ゟ参候ニ付、替りの小者ニ遣候切手之内ニて引不申候間、右之請人
小者与中へ取立 | 被 (豊岡)
| 手前ゟ、当暮取立可申之由、甚丞ニ申渡候処ニ、被得其意、当暮与中ニかゝり候て取立カ申由、
| 申定候、甚丞所へ之使ハ奥村少兵衛也、
| (隠カ)
織田信長法会泰厳 |一、於泰岸寺、如早晩、従中津御法事御座候、為 御名代、従中津、蜂屋讃岐守被罷越、焼香被仕
寺ニテ執行 | 候、小倉御侍衆何も被罷出候事、 (谷)
| 釘本半左衛門
鋳銭諸道具 |一、鋳銭、手前ゟ万被 召上諸道具林小兵衛ニ被請取候へと申渡候、
| 〃〃〃〃
|一、渡部清兵衛儀ハ、手前之算用仕舞次第、友田二郎兵衛与之中山忠左衛門替ニ遣可申由、申渡候
| 事
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| 三日
| (曳島、長門豊浦郡)
海中ノ鹿殺生 |一、ひき嶋ノまへニて、鹿うミニ居申候処ニ、猟師共あミニかゝり申候を、うちころし申由申来候、
| 御物師衆ゟ ( 宗 珠 院 )
伊与ヨリ宗珠院へ |一、いよ殿ゟそうしゅいん殿へ参候状壱通・ちや弐俵、くろ瀬九郎右衛門持来候を、御台所道具つミ
音信物 | 〃〃〃〃 (東)
| 上り候御船頭ひかし次介ニ、相渡候事、
本文に於いては「いよ殿」の下に間違いであることの表示「〃」をつけているにもかかわらず、頭注では「伊与」としている。
どうやら「〃」が間違いと思われ、「御物衆が伊与殿の書状その他を宗珠院に届けた」ものと思われる。
|一、下関へ被遣置候生源寺市兵衛・真下喜左衛門、与共ニ被罷戻候事、
| (ママ)
堀干上リ鮒取 |一、下ノ北方村堤ひ候ゆへ、ふな五十六枚取上ヶ候ニ付、平井五郎兵衛壱人相添、被差上候を、生候
長池へ放ス | (ママ)
|分ハ長池ニ入、死候分ハ
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| 四日
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|一、御船頭東次介、今日出船仕候、京・大坂へ之書状共相渡候事、
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| 五日
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米銀不足ノ目録 |一、小早御船頭小出九郎左衛門ニ、御米銀不足之目録持せ上せ候事、
足軽兄ニ替ラント |一、西沢文右衛門与小頭庄平右衛門登城仕、申候ハ、与ノ内ニ中村長兵衛と申もの御座候、かのものゝ
帰農ヲ願フ | 兄善吉と申ものハ、篠崎村ノ御百性仕居候へ共、めげはて、田地作付不罷成ニ付、右ノ長兵衛、
| 兄跡ノ田畠を作、御百性を仕、主代を御奉公ニ出申度と申由、申来候ニ付、一段可然候ハん由、
| 申付候事、
長崎ヨリノ巻物ノ |一、服部左次兵衛、長崎ゟ参候巻物ノ御算用被仕上候、切手共ニ我々加印無之分をつき候様ニと被申
算用 | ニ付、財津惣兵衛ニ相尋申候ヘハ、不苦儀ニ候間、つき候へと被申ニ付、加印仕、遣候事、
| (藍島、規矩郡)
藍島ノ鹿ノ検分 |一、山田七左衛門与ノ有田弥左衛門、あいノ嶋ニ御はなしなされ候鹿居候か、不居か、様子見せニ被
| 遣候事、