Sightsong

自縄自縛日記

小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』

2016-09-19 23:27:29 | 関東

小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)を観る。

同年の小川紳介『日本解放戦線・三里塚』に続く作品であり、再び白黒フィルムが使われている。警察と機動隊に警護された公団(新東京国際空港公団)が空港予定地の測量を行おうとするときに集中して撮られ、クレジット等はまったくない。ニュース映画のように速報性が重視されたものだという。

ここに登場する農民たちは、ひとりひとりの名前が字幕として表示される。一方、公団職員や警察の面々は顔を隠していたり、抗議されて敢えて感情を押し殺したような不気味な表情を浮かべたりしている。機械のように土地収用法を盾にしながら、「そういうことは本社に言ってください」と、自らを手先におとしめた声も聞えてくる。

最初に登場する農民の男が言う。弟は沖縄で自爆した。敗戦からちょうど1年後の1946年8月15日にここにやって来て鍬入れをした、と。つまり国策としての開拓により三里塚に来て、二十数年が経っていたわけである。それに対し、「意見を聴かんでここに決めたとか」と憤る。

そしてまた、農民たちが口々に抗議する。「自分の土地を守るのに何が抗議だ」「何が妨害だ、自分の畑に座って何が悪い」「公団の職員だって百姓だろ」「ヌシらはゼニもらってやってる。イーカゲンにやれ!」。名前の無い者たちは何も答えられない。

強制測量に対する抵抗は激しいものだった。皆が手にビニール袋の「糞尿弾」を手にしている。「ここはくそまみれでやる」と言いながら、糞尿をカッパに塗ったりもしている。打たれる杭の上に飛び込んだりもする。それに対して機動隊が発する声は「排除!排除!」であり、いまと同じ姿をここにみることができる。

抵抗の結果、公団は1週間の測量の予定を3日間で切り上げ、測量は終わったと発表した。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


小川紳介『日本解放戦線・三里塚』

2016-09-19 08:56:27 | 関東

小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)を観る。(三里塚シリーズのDVDボックスを買った。)

小川プロが三里塚を撮ったものとしては、『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)に続く作品である。またカラーであり、音声は前作とは違って映像とシンクロしている。カメラマンは大津幸四郎から田村正毅に交代。エンドロールには「写真 北井一夫」とも書かれている。

千葉の三里塚は明治以降の開拓の地であり、戦後は引き揚げてきた満洲開拓民や土地を奪われた沖縄人たちも開拓に加わった。明治天皇の御料牧場もあったことは偶然ではなく、牧畜はできても農地には適さない場所であった。それを開拓者たちは10年以上かけて開墾した。1963年、政府により、養蚕を推進するシルクコンビナート構想が開始される。ところが、1966年、政府により突如として新空港用地として指定される。これが三里塚における反対運動のはじまりである。

その御料牧場が重機で整地されようとするところから、映画がはじまる。反対同盟(三里塚芝山連合空港反対同盟)の故・戸村代表が重機の間に座り込んだりもしているが、目立つのはむしろ農民の女性たちだ。ここでも、「東京を焼け出されて裸足で来た」との声が聞える。開拓民が長い時間をかけて得た自分の土地を明け渡せという権力に対する怒りである。また、土地収用法を盾に強制測量にやってきた公団(新東京国際空港公団)の面々に対し、「自分の良心はないのか、やれと言われればやるのか、ロボットか」との直接的な声をぶつける。それに対し、空港開発を進める側は、正視できなかったり、居直ったり、判断できない手先として振る舞ったりしている。どうしても、ここに今の沖縄の様子が重なってきてしまう。

もちろん女性たちばかりではない。カメラは駒井野で2軒だけの反対者となった初老の男を見つめる。かれは藪の中を歩き、淡々と自分の想いを吐露する。家の中には、おそらくは開拓を促す国策のポスターが貼られている。かれの口からは「死んでも仕方がない」といった言葉もしばしば漏れる。人が自身の人生を作り上げていく切実さと、その正反対の形を取った空港開発という両極の姿が実感される場面である。

かれだけでなく、各における孤立や住民同士の分断は怖ろしい問題だった。また、こうして開発が意図的に進められてきたということができる。住民たちはカメラを意識してかしなくてか、ひたすらに話し合い続ける(車座で住民たちの顔をひたすらに見つめ続ける、実に執拗な映画である)。曰く、土地買い上げの値段がどんどん吊り上げられてきた。開拓民の後継者として農業を続けるべきか。木ノ根のように移転者が多くなって神社も荒廃したようなところもある。東峰も天神峰も少なくなった。いかに「強い自分」であっても、の中で一軒だけ孤立するようなことがあったら脱落しないと言えるのか(戸村代表の「人間ってのはおっかないものだ」との言葉が印象的だ)。人間関係だけが権力に抗しうる力なのではないか。―――と。

分断に関しては、公団のガードマンとして地元に戻ってきた者たちを吊し上げる場面がある。長い車座の場面では、兄弟や親戚が賛成反対に分かれることは辛いとの切実な声もある。分断は不可逆なものでもあって、大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)において、早期に土地を売って去っていった者が偶然墓参りに訪れ、空気が緊迫する場面があることを思い出す。

映画は、反対者たちによる地下壕の建設を見つめつつ、公団が工事の大幅な遅れを認めた時点で終わる。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


スティーヴ・リーマン『Interface』

2016-09-19 08:16:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴ・リーマン『Interface』(clean feed、2003年)を聴く。

Steve Lehman (as, ss)
Mark Dresser (b)
Pheeroan akLaff (ds)

遅れてスティーヴ・リーマンを聴き始めたわたしにとっては、あのフェローン・アクラフと共演したトリオ作があったことを最近まで知らなかった(アナログ再発を機に気が付いた)。

確かに若いときの大暴れの記録である。アクラフのドラムスはアクセルだけでなくブレーキの力も大したもので、それが大容量エンジンとして攻めたり引いたりするものだから興奮させられるのだが、リーマンの圧もアクラフに負けていない。M-BASE的なフレーズを受け継いで、冷たくも熱くもあり、音割れも自在に制御している。

このあとに吹き込まれたトリオ作『Door』(2007年)や 『Dialect Fluorescent』(2011年)と比べると、ブロウの勢い自体は明らかに年を追って抑制的になってきていることがわかる。また、それとあわせて他の作品では豊穣で未来的なアンサンブルも展開してきて、やはりリーマンは凄まじく変貌を続けている。ということは、また何か別の形で、このようなシンプルな編成に戻らないとも限らない。しかしわたしとしては、サックス奏者としてのリーマンよりも、野心的な作品を世に問い続ける音楽家としてのリーマンのほうに惹かれる。

●参照
スティーヴ・リーマン『Sélébéyone』(2016年)
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
スティーヴ・リーマンのクインテットとオクテット(2007、2008、2014年)
スティーヴ・リーマンのデュオとトリオ(2010、2011年)
フィールドワーク『Door』(2007年)