Sightsong

自縄自縛日記

ラルフ・ピーターソン『Triangular III』

2016-09-30 16:22:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラルフ・ピーターソン『Triangular III』(Onyx、2015年)を聴く。

Ralph Peterson (ds)
Zaccai Curtis (p)
Luques Curtis (b)

『Outer Reaches』(2010年)のあまりのコピーバンドぶりに愕然として、ピーターソンを追いかけるのがバカバカしくなっていたのだが、これはなかなかの盤である。

ピーターソンは「Triangular」というシリーズでピアノトリオ物を出していて、1枚目がジェリ・アレン、2枚目がデイヴィッド・キコスキ。そして今回の3枚目がザッカイ・カーティス。なおベースはザッカイの弟である。以前にテナー吹きのレイモンド・マクモーリンさんが、好きなピアニストはデイヴィッド・ブライアントとザッカイ・カーティスだと話していて、いつかちゃんと聴こうと思っていたのだ。

このザッカイ・カーティスのピアノがスマートで尖ってもいて確かに素晴らしい。才気煥発という感じである。ピーターソンは、相変わらず、不要な土煙をたてながら爆走する無駄にハイスペックなクルマのようで(『マッドマックス』を思い出した)、やはりトマソン=人間扇風機たるものこうでなくては。

曲がまたいい。サム・リヴァース「Beatrice」、ジョー・ヘンダーソン「Inner Urge」、それにウォルター・デイヴィス・ジュニアのオリジナルが3曲(渋い)。こういうのが好きなんだろうね。ワイルドな爆走に知的なメロディ、悪いわけがない。

ピーターソンの好きなユニットは「Fotet」なのだが、ピアノトリオも追いかける価値大。この人にはシンプルな編成が合っているに違いない。

●ラルフ・ピーターソン
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)


三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話』

2016-09-30 13:29:24 | 沖縄

三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話 在京メディアが伝えない沖縄問題の深層』(かもがわ出版、2016年)を読む。

QABのアナウンサーなどを経て『標的の村』を撮った三上智恵さんと、琉球新報で基地問題に切り込み『ひずみの構造―基地と沖縄経済』の連載を手掛けた島洋子さんとの対談。タイトルはなんだかよくわからないが、ふたりが話す内容はさすがである。

沖縄は基地経済で成り立っているという神話がもはや崩壊していること。基地関連収入は沖縄における収入の5%に過ぎず、その7割ほどは日本の「思いやり予算」から出された軍用地料と従業員収入であり、北谷、新都心、小禄などで返還後のほうがはるかに経済的な効果がある。

辺野古の埋め立てと代執行に対する政府と沖縄県との和解について(2016年3月)。これが政府の選挙対策であったことは言うまでもないが、さらに言えば、福岡高裁が政府にヒントを与えたのだとする解釈には納得させられる。つまり、いくら何でも地方自治を破壊する代執行については、司法はお墨付きを与えられない。それよりも勝てる方法はこうなのだ、と示唆したという見方である。

1996年のSACO合意に基づく普天間の返還。あくまで当時は負担を強いている沖縄への返還であり、移設などではなかった。また危険性の除去がもっともらしい理由とされてもいなかった。これがパッケージであることを批判的に報道したメディアはなかった。従って、長い滑走路が2本あり、強襲揚陸艦が停泊でき、弾薬庫もあるような基地は「辺野古新基地」と呼ぶべきであり、「普天間移設」と呼ぶことはおかしい(その意味で、「本土」メディアでも東京新聞は正しく「辺野古新基地」と書いているように思う)。

など、など。丹念に沖縄の動向をウォッチしていれば当たり前の見方なのだが、それらの判断材料ができるにあたっても、このふたりの貢献はきっと大きかったに違いない。

●参照
島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』(2016年)
島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」(2014年)
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』(2012年)
三上智恵『標的の村』映画版(2013年)
『標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~』(2012年)