Sightsong

自縄自縛日記

小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』

2016-09-23 07:14:59 | 関東

小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)を観る。

小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)の続編。前作では、1971年2-3月の土地収用に係る第一次強制代執行に伴う激しい攻防が描かれた。

本作では、1971年9月16日に行われた第二次強制代執行からはじまる。砦や穴(地下壕)がこわされ、反対同盟(三里塚芝山連合空港反対同盟)の面々は、とりあえずは機動隊に囲まれて団結小屋や穴を明け渡す。その前にということで、暗い穴の中で、懐中電灯でお互いの顔を照らしながらの酒盛りが行われる。農民の老人は意気軒高だ。曰く、6年間の戦いがあって、砦がユンボでこわされたが、胸の砦はこわせない。そこまでしなければ空港建設を進められない公団の限界である、と。

ここで時間が1972年3月8日までジャンプする。なぜか、9月16日に機動隊員が亡くなったこと(東峰十字路事件)にはまったく触れられない。

次の反対同盟の行動は、滑走路予定地に離着陸を阻止する鉄塔を建設することだった。集会場で反対同盟が議論している。中には法に抵触するために鉄塔建設をやめようとする声があったようで、それを察知した男が、これまで頑張ってきたのになぜやめるのかとほとんど泣き叫んで抗議している。その姿を延々ととらえるカメラは意地悪だと言えなくもない。

弁護士が発言する。違法なのは明らかであって、おそらく、工事中止の仮処分が出されることだろう(撤去の仮処分にはもう少し時間を要する)。そうなれば機動隊が出動できる事態となる。つまり仮処分までにどれだけ建設できるかだ、と。

とび職の支援者たちによる工事がはじまる。手持ちのクレーンではある程度の高さまでしか鉄骨を上げることができない。ここで丸太を使って力学的なバランスを取るなど工夫を重ね、ついに飛行機が飛ぶ高さにまで鉄塔を組み上げることに成功した。ここでもカメラは議論と工事の様子をとらえることに、異常なまでに固執する。編集したプロットや重大な出来事や結論ではなく、ひとつひとつの過程の手触り感こそが重要なのだと言わんばかりである。

全体感としての解釈に対する疑問は、映画作りにおいてだけ見られるものではない。鉄塔を作ったメンバーのひとりが、娘がまわりで遊ぶ中で、自分の想いを呟き続ける。かれは6年間の戦いの全貌や、反対同盟の中での議論について、ほとんど認識してはいなかった。これは抵抗の正当性に疑いの目を向けるものというよりも、戦いが続き組織化してゆく場合に起きてしまう現象として、提示されたものではないか。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)