Sightsong

自縄自縛日記

スティーヴ・リーマン『Sélébéyone』

2016-09-10 09:54:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴ・リーマン『Sélébéyone』(Pi Recordings、2016年)を聴く。

Steve Lehman (as)
Maciek Lasserre (ss)
HPrizm (vo (English))
Gaston Bandimic (vo (Wolof))
Carlos Homs (key)
Drew Gress (b)
Damion Reid (ds)

またずいぶんと異色作を出してきたものだ。ここでリーマンは、ラップ・ミュージシャンをふたり迎え入れている。ひとりは英語、ひとりはセネガル等で使われるウォルフ語。このウォルフ語にはフランス語、英語、アラビア語が混じりあっているという。タイトルの「Sélébéyone」とはウォルフ語で交差点を意味する。

すなわちリーマンが現出させているサウンドにおいては、ヒップホップというアメリカにおける多くのコミュニティの交差、ジャズとヒップホップとの交差、ウォルフ語と英語との交差、ウォルフ語という言語の中での多言語の交差、フランスの植民地主義による交差といったものが明に暗に見え隠れする。そして交差の交差が、おそろしいほど平等に見つめられ、リーマンの美意識によって再構築されている。

それにしてもリーマンの冷たくて熱いアルトは何だ。他の者とまったく平等でいて、しかもマチェク・ラセールのソプラノとの間で発せられる軋みや、ジャズのイディオムの集合体を飛び越えたようなダミオン・リードの異次元のドラムスや、カルロス・ホムスのクールなキーボードなどのなかで、見事に浮かび上がっている。

ジャズとラップとの交差といえば、かつてブランフォード・マルサリスらがストリート文化を自身のものとして発信したことや、スティーヴ・コールマンらM-BASEの音楽家たちがそれを所与のものとしてサウンドを作り上げていったことを想起させられる。個人的に印象深い作品は、ゲイリー・トーマス『The Kold Kage』(1991年)だ。衝撃作として喧伝されていた記憶がある。思い出して久しぶりに聴いてみると、ジャズの要素のひとつとしてラップを取り込んだような感覚である(そして、いまや少しダサい)。そこから20-30年が経ち、『Sélébéyone』は、「取り込み」から「多層的な交差」というまったく次のフェーズへと移行してしまっている。

●参照
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
スティーヴ・リーマンのクインテットとオクテット(2007、2008、2014年)
スティーヴ・リーマンのデュオとトリオ(2010、2011年)
フィールドワーク『Door』(2007年)


川内倫子『The rain of blessing』@Gallery 916

2016-09-10 08:33:37 | 写真

竹芝のGallery 916で、川内倫子の写真展『The rain of blessing』を観る。

この写真展は4つのシリーズで構成されている。そのいずれも水や空気といった相との接触点に近づこうとしているように見える。

実際に被写界深度はとても狭く、ときにハイキーな露出も相まって、世界における相とのかかわりが非常に瑞々しく迫ってくる。何度見てもさらりとした鮮やかさ、これが川内倫子写真である。倉庫スペースを贅沢に利用した展示も効果的。

ギャラリーの一室では映像も上映している。田畑に群がる鳥や、鉄の溶湯を花火のように壁に投げつける様子が収められている。後者は何だろうと思っていたのだが、パンフに解説があった。河北省の「打樹花」という祝祭であるらしい。


渡辺将人『アメリカ政治の壁』

2016-09-10 00:14:20 | 北米

渡辺将人『アメリカ政治の壁―利益と理念の狭間で』(岩波新書、2016年)を読む。

「アメリカって国は・・・」と、アメリカをひとつの人格を持った者であるかのように言い放つことは馬鹿げている。ましてや、そのときの大統領によってアメリカ政治を代表させることも、同時に馬鹿げている。なぜなら、大統領が内政に対してできることなど限られているからである。

著者によれば、大統領の質(玉)、世論=議会(風)、政策エリート集団(技)が合わさったときに、政治が実現化していくのだという。風を失ったオバマ大統領の状況をみればわかることである。また、愚かな悪人呼ばわりされたブッシュ息子でさえ、本人の権限でイラク戦争が実行できたわけではなく、9・11後の集団圧力的な議会の動きと、新保守主義(ネオコン)的な政策エリートがあってのことであったとする。

カーター時代のあと政権を失った民主党は、リベラル色が強まるままでは力を失うとみて、経済や国際ビジネスを重視する中道寄りに舵を切った。これにより成功したのがクリントン時代である。ところが、最近の調査によれば、民主党支持者はまたしても純化されたリベラルに、またその一方で、共和党支持者は純化された保守にシフトした。分極化であり、カルト化である。佐藤学さんも2年前にそのような指摘をしていた(佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」)。極端な保守・反動化であり、そのあらわれがトランプ現象でありサンダース現象でもあるのだろう。

日本の民進党も、極端なリベラルではいまの自民党に対抗できないとみて、意図的に保守寄りに軸足を移そうとしているように見えるのだがどうか。

●参照
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」
室謙二『非アメリカを生きる』
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む