Sightsong

自縄自縛日記

過剰が嬉しい 『けとばし山のおてんば画家 大道あや展』

2008-08-17 23:05:48 | アート・映画

ザ・ミュージアムを訪れる前に、Bunkamuraの横を抜けて渋谷区立松濤美術館に行った。目当ては、『生誕100年記念 けとばし山のおてんば画家 大道あや展』である。

松濤美術館、以前に足を運んだのはいつだったかと思い出そうとするが、10年くらい前に木喰の仏像を観て以来のことを思い出せない。久しぶりのようだ。しかし、大学に入って散歩のついでに入った際に、吉原治良らの「具体」のことを、田舎者の私に教えてくれたところで、馴染がある。入館料も大人300円に小中学生タダ(土曜日のみ)と安い。入館料なしという海外の美術館に比べてはならないが、異常に高くて家族連れで行くと大変な出費になる国立の美術館は見習ってほしい。

大道あやは画家・丸木スマの娘、そしてやはり画家の丸木位里の妹。家業の花火工場の事故で家族を失い、そのとき60歳に絵筆をとったという。知らなかったが、義理の姉である丸木俊とはそりが合わなかったようだ。「母や兄にできて自分にできんことはない」と公言していたように、強い個と個の共存の結果に過ぎない、のかもしれないなとおもった。

絵は素朴でありとにかく過剰だ。溢れんばかりのエネルギー、というより手の作業そのもの、に驚く。不気味だったり、よくわからないものだったりするが、過剰なものが歓びなのだとすれば、そう言っていいのだろう。たくさんのドクダミのなかから猪や猫が顔を少し出す『薬草』が、もっとも気に入る作品だった。

美術館の2階には、大道あやによる絵本の原画が展示してあり、絵本も手にとって楽しむことができるようになっている。美術館に幼児を連れて行くと、だいたいは大騒ぎするのを如何に回避するか(誤魔化すか)という仕事が大変なのだが、今回はやりやすかった(笑)。猫だよ、蛙だよ、と示せば歓ぶのだ。といえば不純だが、子どもの心にも訴えるということだろう。自宅用に、大道あやの絵本が欲しくなる。

●参考
丸木位里・丸木俊二人展(檜画廊、2008年1月)
佐喜真美術館(丸木夫妻『沖縄戦の図』)


フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』

2008-08-16 23:18:32 | 北アジア・中央アジア

会期終了ぎりぎりに、『青春のロシア・アヴァンギャルド』(Bunkamura ザ・ミュージアム)を観た。ロシア・アヴァンギャルド好きなのだ。

何といってもカジミール・マレーヴィチ。いわゆるスプレマティズムの、空間に歪んだ矩形が構成されているものも悪くないが、農民たちを描いた作品群に眼が悦ぶ。ベビーカーを押しながら、「カッコいいねえ」「いやたまらないねえ」を連発してしまう。すべてを超越するかのように手足をなす円錐のすばらしさだ。イタリア未来派とも共通する、複眼で爆発を眺めるような作品もとてもいい。

グルジアの画家、ニコ・ピロスマニの作品をまとめて観られることも、あまりないことにちがいない。のちの画家が「発見」したのは、素朴さそのものよりも、そこからにじみ出る土着性だったのかなという印象だ。

それから、もっとも楽しみだったのが、幻の画家パーヴェル・フィローノフの作品だ。『11の顔のあるコンポジション』という作品1点のみだった。11の顔はシリアスでユーモラスなのだが、それ以上に、額が結晶化したような感覚、そして間を埋め尽くすミクロコスモスが圧倒的である。

「フィローノフによると、絵画芸術は「カノン(先見的なもの)」と「ザコン(有機的なもの)」に区別され、いまめざすべき芸術は、当然のことながら、後者すなわち宇宙と人間の一体性、そしてその有機的全体性の表現ということになる。それはどうすれば可能となるか。
 フィローノフは書いている。「私は直感する。いかなるオブジェも、フォルムと色彩という二つの述語しかもたないわけではなく、可視ないし不可視の現象、それらの流出、反応、連係、発生、存在、これまた無数の述語をもつ既知ないし未知の特質の全き世界がある、ということ」。非常にわかりにくい文章だが、フィローノフがここでいわんとしているのは、すべてのオブジェはその外観の背後にきわめて多様な存在の可能性をひめており、それらの可能性をもふくめた全存在が絵画という表象行為の対象となるべきだ、ということである。つまり、自然の、生命のエネルギー状態そのものを描きとること。」

(亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書、1996年)

 フィローノフは生前ろくな評価を受けず、社会主義リアリズム絵画しか認めないという当局の圧力を受けて右往左往した挙句、孤立し、1941年、ドイツ包囲下のレニングラードで忘れ去られ餓死した。

●リンク
パーベル・フィローノフ
ニコ・ピロスマニ


青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』

2008-08-15 23:59:20 | 中国・四国

青木亮『二重被爆』(2005年)を観た。タイトルの意味するところは、広島と長崎のふたつの地で被爆してしまったことだ。不運という言葉だけでは語ることができない受苦の存在だが、実際に何人もおられるようだ。

映画に登場する山口彊さんは、三菱重工長崎から広島に出張中、同僚と被爆し、すぐに戻った長崎でも被爆している。長崎で原爆の光を見た途端に海に飛び込んで助かった、と映画でも語っているその同僚は、今年春、亡くなっておられる。(『毎日新聞』2008年4月30日、>>リンク

いまだ原爆症認定基準の拡大もあり被爆の問題は風化しえないとおもうが、この「二重被爆」についても、補償などの考慮がなされていないことが、映画で示される。現在、「被爆者援護法」に基づく「被爆者健康手帳」には、第1号(直接被爆者)、第2号(入市被爆者:爆心地の近くに入った者)、第3号(救護等で被爆)とカテゴライズされている。そして、この分類においては、「二重被爆者」は正当に位置づけられないことを、故・伊藤一長・前長崎市長(2007年に銃撃され亡くなる)が、映画でも語っている。

山口彊さんは、歌集『人間筏』を自ら出している。筏とは、川に浮かんだひとびとの姿だ。そのなかの短歌をいくつか詠みながら、気持ちがこみ上げて続けられない姿がある。山口さんは、今年も、長崎に原爆が投下された8月9日の報道においても、経験を語り継ぐことを述べている。

うち重なり 灼けて死にたる人間の 脂滲みたる土は乾かず

ところで、東松照明『長崎曼荼羅』(長崎新聞選書、2005年)は、後で視る者としてのまなざしを、写真と文章に結実させている。

廃墟の究極に原子野がある。究極兵器と呼ばれている原爆によって破壊された都市や人間の変質した姿である。いうまでもなく広島・長崎の廃墟のことである。原子野は、二〇世紀中葉にはじめて登場した全く新しいタイプの廃墟である。それは、核時代を生きるものの誰もが怖れている世界の終焉を先取りした光景の一端である。
 私は、いまでも長崎を撮りつづけている。

●参考
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために
東松照明の『南島ハテルマ』


ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』

2008-08-12 23:59:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

かつてフリージャズの有力レーベルであったESPが、最近また活発になっている。バートン・グリーンだとかチャールズ・タイラーだとかパティ・ウォーターズだとか、あまり売れそうもない録音を再発したりしている。このDVD、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(アラン・ロス、2001年)も、あきらかにウケ狙いではない。

1時間程度のドキュメンタリーだが、作品としてさほど素晴らしいものには思えない。それでも、ESP馴染みの「昔の顔」が次々に出てきて、少々興奮してしまう。

ジョセフ・ジャーマンは、インプロヴィゼーションにあたって「自分を消去すること」を説く。アラン・シルヴァは、演奏を通じて「オリジナルな自分」になることが如何に難しいかと言う。バートン・グリーンは、60年代を回顧しつつ、皆、インプロヴィゼーションによって「ブレイキング・ポイント」を模索していたのだと言う。ウィリアム・パーカーは、インプロヴィゼーションの無意識性について笑いながら示唆する(意識的に演奏するタイプに見えていたのだが)。ざっくり言って、誰もがフリージャズの精神論ばかりを口にしている。ただ、これはこれで面白い。

日本で観ることができないでいる、ジョン・チカイのソロを聴くことができるのは嬉しい。


北京にあわせて『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』

2008-08-11 23:59:52 | スポーツ

北京オリンピックのことを忘れていてラーメン屋に入ったら、開会式を中継していた。あそこまで国力を見せつけようとされると、ビビりながら白けまくってしまう。演出は張芸謀(チャン・イーモウ)だそうだが、何でこんなもの引き受けたのだろう。中国映画の大物がハリウッド化する現象と同じか。テレビで、張芸謀の『単騎、千里を走る。』(2006年)を観ようとおもったが気が乗らずやめた。

かように苛々させられる政治の祭典オリンピックだが、競技自体はもちろん面白い。野球についてもいろいろと腹が立つこと満載なのだが、やはり応援する。初戦の対キューバは先発投手がダルビッシュ有(ファイターズ)か和田毅(ホークス)という予想のようなので、気になっていた、佐野真『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書、2005年)を古本屋で105円で買って読んだ。

これによると、和田の球が遅いのに打者が振り遅れてしまうのは、縦スピンの驚異的な回転数によるものだという。縦スピンによる揚力が重力とバランスする条件は、何でも「球速・時速150キロならスピン・毎秒50回転」なのだが、これは人間には無理で、平均的なプロ選手は30回転、松坂大輔は38回転。しかし初速と終速の差は平均10キロ、松坂が7、8キロに対して、和田は4、5キロだとする。したがって、和田が投げる球の縦スピンはもの凄いに違いないという理屈。

だいたいは推測で固められた論理なのだが、プロ野球は記録のスポーツであり、妄想のスポーツであり、神話のスポーツであるから、これでいいのだ。

o

北井一夫『境川の人々』、浦安写真横丁2008

2008-08-10 23:39:27 | 関東

北井一夫『境川の人々』のオリジナルプリントが観られるというので、浦安フラワー通りの「ギャラリーどんぐりころころ」まで足を運んだ。近所なので、ベビーカーを押しながらゆるりと出かけたといったところだ。もちろんここは、境川のすぐ近くだ。

このオリジナルプリントを観るのははじめてである。写真集の表紙にもなっている橋の写真や、家の中のおばあさんと小さい娘の光が滲んだ写真など、好きな作品を間近でじろじろ鑑賞できて、やはり感激する。


右頁の写真も展示されていた

北井一夫、秋山武雄、大西みつぐ(蕎麦屋の中の展示なので観なかった)など錚々たる写真家たちによる浦安の写真が、「浦安写真横丁2008」というイベントで展示されたのだ。ついでに、旧大塚家という文化財住宅で展示されていた、秋山武雄作品を覗いた。もの干し竿、貝売り、海苔の天日干しなんかが見事に記録されている。なかでも、七五三なのか、着飾った女の子たちが並んだ背後に、いまもあるボウリング場「サンボウル」の印である大きなピンが見えるのが、新旧混じっていて面白い。写真家の秋山さん本人に「いいカメラですね」と話しかけられて(私はライカM4を下げていた)、秋山さんのカメラを見ると、それはライカM7にワインダーを付けたものだった。

別の文化財住宅である旧宇田川家で行われたトークショーも聴いた。蝉の声が聞こえる旧家だ。

北井さんの穏やかで飄々とした話し振りはいつもの通りだ。『境川の人々』は、浦安町(当時)の依頼により製作されたものだが、これを持って船橋市に『フナバシストーリー』製作を持ちかけたという裏話を聞くことができた。また、『境川の人々』が町民に無料配布された当時、新たな住民がこれを持って古い街並みを散歩する光景がよくみられたということだ。これは、DVD写真集『北井一夫全集2』でも聞かれる。

秋山さんが語る浦安は、被写体としての魅力を持った地域であったということだった。家業を続けることの条件として写真を続けていた十代のころ、早朝に、浅草から浦安まで自転車で片道2時間をかけて毎日通っていたという。自転車は家業にも使うので、さっさと帰らなければならない若き日の秋山さんにとって、撮影の持ち時間は10分だったらしい(笑)。秋山さんによると、当時、都電が葛西橋まで続いていて、そこから先はもの凄いでこぼこ道とハス畑、今とは隔世の感がある。私も、よく深夜帰宅の際に、古くからのタクシー運転手さんに教えてもらった話ではあるが。

ところで、トークショーの間、縁側の向こうの塀から顔を出して話を聴いたり、ペンタックス67で撮影していた外国人がいた。トークショーが終って家族と合流すべく歩いていた私に「あっライカM4!ケースはルイジ?」などと声をかけてきたそのひとは、ジョン・サイパルさんという高校の英語教師だった(>> リンク)。別の場所で、サイパルさんも67で撮ったモノクロプリント(バライタ紙)を飾っていた。視線がいい意味で発散していて好感を持った。

私が写真にウツツを抜かしている間、息子は、浦安市郷土博物館で、昔の貝の掘り方などについて教えてもらっていた。それもあって、東京湾のあさりを買って帰り、夕食は海老とあさりのフォーにした。

○参考 北井一夫『ドイツ表現派1920年代の旅』、『境川の人々』
     北井一夫『フナバシストーリー』


★★★泡瀬干潟の署名と写真展★★★

2008-08-10 01:25:56 | 環境・自然

沖縄の泡瀬干潟、想像を超えるほど貴重な共有財産が、ろくな合意形成なく、埋め立てられそうになっている。紙またはオンラインでの署名を集めている。(※なお手段が違うだけなので両方に署名しても2倍にはならない。オンラインは匿名可。)

◆【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
◆【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf
◆【オンライン署名】http://www.shomei.tv/project-97.html

それから、泡瀬干潟の写真展を、また都内で開いている。先日、銀座の画廊で観た泡瀬の写真は、三番瀬や盤洲干潟とも随分違って、本当に目を奪われるものだった。たとえば、仮に三番瀬が無意味な理由で一方的に潰されるとなったら大騒ぎになるとおもうが、泡瀬干潟の件がろくに報道されないのはこれいかに。

 救え・沖縄泡瀬干潟とサンゴ礁の海写真展のお知らせ

 日時:2008年8月8日(金)~20日(水)
 平日 10:00~19:30 土曜 10:00~17:00
 休館 日曜日、月曜日
 会場: 地球環境パートナーシッププラザ(03-3407-8107)
 150ー0001 渋谷区神宮前5-53-70 国連大学ビル1F
 地下鉄銀座線、半蔵門線、千代田線表参道駅B2出口より徒歩5分

 詳しくは >>リンク (『リーフチェッカー'さめ'の日記』)

【泡瀬干潟の写真】(これも『リーフチェッカー’さめ’の日記』のさめさんより教えて頂いた)
○泡瀬干潟 ヒメマツミドリイシ産卵確認
http://reefcheck.net/2008/06/22/awasespawning-2/
○オイシイ泡瀬干潟
http://reefcheck.net/2008/07/31/topic30/
○泡瀬干潟にふらり
http://reefcheck.net/2008/05/02/topic27/
○2本足で歩くタコ~泡瀬干潟のンヌジグワァの話~
http://reefcheck.net/2007/11/23/topic16/

○参考 またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
○参考 救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
○参考 盤洲干潟(木更津にある)
○参考 三番瀬(浦安、行徳、船橋あたり)①


小森陽一『ポストコロニアル』

2008-08-09 23:58:33 | 政治

小森陽一『思考のフロンティア ポストコロニアル』(岩波書店、2001年)が期待以上に刺激的だった。期待以上というのは、ポストコロニアル問題を巡る諸キーワードを中心にした概説のようなものかとおもい気楽に読んだが、そのようなものではなかったということだ。著者の小森氏については、先日聴いた、「沖縄戦首都圏の会」での講演が、言語に依って立つ者としてことばを重視したものだったことから、ぜひ著作を読んでみようとおもっていた。

著者は、19世紀より、英米という大きな力に晒されて病んでしまった日本の姿を検証する。列強の価値観や論理による自己植民地化、そしてその列強と対等でありたいとねがう精神が、自己植民地化の隠蔽と、他の被支配国を見出すことによる帝国主義的植民地主義の発現の形となったというわけである。被支配の恐怖から支配のポジションを中二階に見出すあり方、ミクロにみれば「いじめ」の構造と変わるところはない。(個人の精神と集団の精神とをパラレルに見比べる方法は、岸田秀の精神分析論を想起させる。)

そして、敗戦後、それまでの自らの姿を見ないよう、責任の取り方も精神形成も曖昧なままであり続けていることを、著者はひとつひとつ告発する。朝鮮半島や沖縄や東南アジア諸国などにおける脱植民地化に積極的にかかわることなく、逆に、沖縄での再植民地化(米国の軍事要塞として)、アジア諸国の新植民地化(経済的進出を通じて)などがなされてきたとする。

「「國體」としての天皇制の存続と、戦争放棄と軍事力の放棄をめぐる新憲法の条項、そして「沖縄の要塞化」は、密接不可分な三点セットとして機能した。古関(彰一)によれば「憲法第九条は、国際社会、なかでも日本の侵略戦争の被害国に対し、天皇制を存続させるための説得条件として必要なものであり、その条件を明確にするには、戦力不保持を憲法に盛り込むことであり、これによって失われる軍事上の保証は沖縄の要塞化であるというマッカーサーの政治的・軍事的判断によって憲法上の規定となったのである」」

さらには、過剰なほどの対米追従や教育の場への介入が、そのような自分たちの歴史と無縁ではないことが示される。いかに明白なものであっても、幾度となく繰り返されるプロセスは、これらが日本社会の無意識エリアに巣食っていることをあらわすものであり、そうしてみれば、現在の諸相はすべて過去とつながっているのである。実際に、1946年に文部省(当時)が発行した歴史教科書『くにのあゆみ』に関する記述をみれば、現在の沖縄戦記述における主語や論理の喪失と重なって見えてくる。

「井上(清)は、『くにのあゆみ』が「日清戦役の原因となったとする壬午軍乱と甲申事変について、「明治十五年(西暦一八八二年)朝鮮の京城で、とつぜんさわぎがおこり、引きつづいて十七年にまたおこりました」と記述していることに対し、「これらが戦争の原因となると書くが、さわぎは誰がおこしたか、朝鮮のことで日本と清国がたたかうとは何のことか、戦争の原因をあきらかにせず、したがってその結果の意味もわからない」と批判し、「韓国併合」にいたる記述に対しても、日本の敗戦時に「朝鮮人民」が「日本から解放されたことをよろこんでいるという事実をどうみるか」という問題をつきつけたのである。」

●参考 沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条


ウカマウ集団の映画(2) ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』

2008-08-08 23:59:14 | 中南米

スペイン国営セルバンテス文化センター東京で開催しているボリビア映画祭、今日は、ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』(1974年)を観た。

ボリビア映画だが、ロケはペルーの農村でなされている。冒頭からマチュピチュの様子が映し出され、そこに腰をおろした老人が、画面に向かって、この素晴らしい石の建造物と精神文化は自壊しない、破壊したのは白人たちだと糾弾する。老人は、かつてのボリビア農村における革命ゲリラの様子を思い出し、語り始める。

これは明らかに、キューバ革命を成功させたチェ・ゲバラが、次に革命をこころざし失敗に終ったボリビアでの話をもとにしているようだ。ゲバラがボリビア政府軍とCIAに捕らえられ処刑されたのが1967年、そして映画は1974年だ。ゲリラたちは概ね好意的に描かれ、ゲバラに相当するようなカリスマは登場しない(もっとも、村人の治療をする医者はいる)。権力に抗する農民たちも同様に好意的な描写である。

映画を観ながら、農民たちの支持を規模として得ることができなかったゲバラたちに対する、その後の贖罪の気持が込められているのではないかと感じていた。語り部の老人は言う。農村にとどまっていたなら、革命組織は拡大していたかもしれない。密林に入ったのが間違いだったのだ。ボリビア政府軍と米国は卑劣な方法を用いてゲリラを追い詰めていったのだ、と。

回想は終わる。革命は成功しなかった。ヒロイックに滅びていく様子を描くような下品な真似は、ホルヘ・サンヒネスは好まないようだ。そして最後に、老人は、「第一の敵」は米国なのだと告発する。あまりにもソリッドな政治プロパガンダながら、それだけに、観るものを刺す。

●参考 チェ・ゲバラの命日

ついでに四谷から新宿御苑まで歩いて、模索舎で本を物色して帰ろうとおもったのだが、着いてみると9時に閉まっていた(10時までだと思い込んでいた)。エクササイズにしてはしょうもないので、歌舞伎町「ナルシス」でビールを一杯飲んだ。

「ナルシス」はありえないくらい混んでいたが、何でも先日亡くなった土本典昭さんの本を完成させたひとたちが打ち上げをやっているようだった。川島ママがかけた音楽は、エルヴィン・ジョーンズ&リチャード・デイヴィス『ヘヴィ・サウンズ』、武満徹の映画音楽集から羽仁進『不良少年』の音楽、それからビター・フューネラル・ビアー・バンド『ライブ・イン・フランクフルト82』(>> リンク)。最後の盤ははじめて聴いた。民族音楽のテイストの中にドン・チェリーのポケットトランペットが入ってくるという「はまり過ぎ」ぶりで、気に入ってしまった。こんど探そう。


ウカマウ集団の映画(1) ホルヘ・サンヒネス『落盤』、『コンドルの血』

2008-08-06 23:59:24 | 中南米

太田昌国によりしばしば引用される、ボリビアの映画製作集団「ウカマウ」の特集上映が行われている(スペイン国営セルバンテス文化センター東京)。夕方所用で新宿に出たので、そのまま市ヶ谷で降りて観てきた。ホルヘ・サンヒネス『落盤』(1965年)、『コンドルの血』(1969年)の2本である。

『落盤』は台詞のない短編であり、廃坑でひとりダイナマイトを仕掛け続ける男を追っている。市場に出かける妻を見送るときの孤独さ、インサートされる結婚式などの甘美な記憶、そしていまの辛さを凝視するまなざしが混ざり合って、既に職人的なつくりに見える。

『コンドルの血』は恐ろしい。いかにも「のうのう」と先住民社会に入り込んでいる「ヤンキー」の医師たちは、実は、優生思想の持ち主であり、先住民に不妊治療を施し続けている。また、警察を使って、公然と弾圧を行っている。その「ヤンキー」たちの正体に気付いた先住民たちは決起する。「ヤンキー」たちの描写はステレオタイプだが、実際に、アジアのバックパッカーたちの姿にかぶって見えてしまう。

ラストシーンで大勢が空に銃を掲げるところは、赤瀬川原平による『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』のポスターを思い出させる。それにしても、正視がこわいほどの、スクリーンの向こう側からの凝視、それから理不尽な弾圧者への憎しみなど、ナマの姿に圧倒される。

ところで、会場に行ってみてはじめて、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルに関する展覧会が開かれていることに気がついた。コルタサルに関係する映画の特集上映もあるようなので、そのときにじっくり観るつもりだ。気がついてよかった。


またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる

2008-08-05 23:59:17 | 環境・自然

ブログ『リーフチェッカー’さめ’の日記』(>> リンク)で、事態はここまで切迫しているのかと思い知らされている。国や沖縄県が進めている泡瀬干潟の埋め立て事業、何のためかよくわからないリゾート事業などのための公共事業に対して、『泡瀬干潟を守る会』(写真家の小橋川共男さんらが共同代表)の方々が、昨日、座り込みを開始したようだ。

○琉球新報 「泡瀬干潟を守る会、入り口封鎖 10人が「工事阻止」」 2008/8/4 >> リンク
○沖縄タイムス 「「守る会」が座り込み/泡瀬埋め立て」 2008/8/4 >> リンク
○全国紙 報道なし

先日東京で開かれた写真展(>> リンク)を観て、多様な生き物とひとびとの生活の場として大事にしなければならないものだと、あらためておもった。そのようなコモンズとしての自然を土で埋めるなど許されないことは直感的に明らかだ。そして直感的に正しいことが、尊重されるべきことである。如何に形ばかりの環境影響評価を行おうと、おかしいものはおかしいのだ

『泡瀬干潟を守る会』は、以下のような問題点を指摘している。これを読んで、ああまた、ありそうな話だとおもってしまうことが、この国の暴力の蔓延と麻痺ぶりを端的にあらわしているのだろう。

写真展では、NHK沖縄の番組『ハイサイ!ニュース610』で2007年4月から2008年3月まで放送されたコーナー「四季・泡瀬干潟」をまとめたDVDを配布していた。サンゴ、貝、蟹、魚、鳥などのコスモスに目を奪われてしまう。

紹介されている生き物は本当にいろいろだが、たとえば。

○マリモのようなクビレミドロ。世界でも沖縄本島の泡瀬を含む3箇所にしかいない。
○3万m2の面積を誇るヒメマツミドリイシ(サンゴ)。
○イソギンチャクと共生するトウアカクマノミ。ボスの雌がいなくなると、雄が雌に性転換する。そしてナンバーツーであった雄が大きくなる。あまりにも不思議。
○貝にへばりつく小さな貝、ニライカナイゴウナ。泡瀬で発見され、100個体くらいしか確認されていない。他の海域にはほとんどいない。
○とんとんみーの一種、トカゲハゼ。これも非常に少ない。
ムナグロ(渡り鳥)は、日本の半分の1000羽程度が泡瀬で越冬する。
コアジサシ(渡り鳥)は、砂浜で卵を産み孵化させる。環境影響評価においてなぜか対象外となっているので、「存在しない」扱い。
○巣穴を掘ってくれるテッポウエビと一緒に棲むハゼ。ハゼは見張り番。
○死んだサンゴに海藻を育てる「ファーマーフィッシュ」であるクロソラスズメダイ、ハナナガスズメダイ
○砂団子をつくり、前歩きもできるミナミコメツキガニ
○口がヘラみたいなクロツラヘラサギ。世界で1600羽程度しか確認されていないが、泡瀬には何羽かいる。
○泡瀬で発見された、殻を持たない貝イソアワモチの種類(まだ名前がついていない)。
○蟹そっくりな貝、アワセカニダマシマメアゲマキ。3年くらいまえに2個体のみ確認された。

上のブログにもあるが、大きなものには小さな意思を集めて抗するべきなので、自分もせめて署名を出そうとおもう。締め切りは8月31日に設定しているそうだ。

◆【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
◆【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf
◆オンライン署名 → http://www.shomei.tv/project-97.html(匿名可)


『季刊at』 有機農業は誰のものか

2008-08-04 21:22:34 | 環境・自然

『季刊at』12号(太田出版)では、「有機農業は誰のものか」と題した特集を組んでいる。前号のコーヒー特集がかなり面白かったので読もうかと思っていたところ、編集者のYさんに頂いた。

有機農業と聞くと、「向こう側の世界」だと思ってしまう都市住民、すなわち私も含めて、生きる手段を身につけていない駄目人間にとっての考えるきっかけを、本誌からも拾い、考えていくことができるかどうか。中国の餃子事件によって突然ことさらに驚き、極端な言動に出る多くのひとの愚を見るにつけ、この断絶は絶望的なほど大きいのだろうとおもう。(なお、餃子工場のあった石家荘を訪れたことがあるが、外で食べた朝食は本当に旨かった。)

さまざまな視野の報告や論文がおさめられているが、その多くにおいて危機感として感じられるのが、ネオリベラリズムに有機農業が取り込まれてしまうことだ。有機農業なるものの存在が、極端にいえば、<農業の本来のあり方>に意識的であることを喚起すべきものだとしても(もっとも、有機農業が<農業の本来のあり方>とは一意にはいえないのだろうが)、いつの間にか、流通構造における望ましい差異として資本主義のフェティシズムの一端を担ってしまうというシナリオである。それはひとによって、高級スーパーでのブランドであったり、安全性や旨さと価格とのバランスを真剣に検討すべきものであったり、「マックとコーラ」以外関係ない、というものであったりする。

ネオリベの文脈でいえば、WTO、農業の大規模化あるいは保護すべきものとしての<埋め込み>、反動としての食糧自給率の問題視、などが依然として問題としてある。私自身は、原剛『日本の農業』(岩波新書、1994年)を読んでより特に、小規模農家への直接補償(デカップリング)が必要だとおもっているし、大規模化という幻想には限界があるだろうとおもっている。実際のところ、本誌でも篠原孝『政治家が農業・農村・食料に責任を持つ』でも言及されているように、民主党の「農業者戸別所得補償法案」が衆議院で否決されるなど進展は難しいようだ。その民主党にしても、テレビの討論番組を見ていると、(他の政策と同様に)意見がばらばらであり、コンセンサスができあがるには時間がかかるのだとおもう。しかし、農業支援が、食料自給率向上という、(前から問題であったにも関わらず突然騒ぎ始めた)ナショナリズムの形をとってなされるとすれば、随分歪んだ形だ。

中国の野菜に関する報道には、過剰な農薬の利用という実態が必ず含まれている。なぜ農薬を使うかといえば、市場があるからだということは、誰でも考えればわかる。過剰な農薬が、商品の市場価値を下げてしまうのではないかという、漠然とした市場への期待があるかもしれないが、それが充分に市場に反映されないことと、上で述べたようなフェティシズムの充足のみというアンバランスさ、という答えがいまはあるのだろう。<自分の身は自分で守ろう>では、それに対する解としては素朴すぎる。

農薬の記憶にはろくなものがない。農薬散布中は、田舎道なので回避もできず、農薬のカーテンのなかでやむを得ず息をしてしまい喘息をこじらせた。小川からどじょうもタガメも姿を消した。しかし、他ならぬ農業従事者の声として、農薬は過酷な労働から大勢の農民を解放した事実があったとする山下惚一『私が有機農業をやらない理由』は凄まじく、具体的で、説得力がある。この一篇だけでも、絶対に本誌を読む価値がある。

●参考 コーヒー(1) 『季刊at』11号 コーヒー産業の現在


シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』

2008-08-03 22:58:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ(ピアノ)、エヴァン・パーカー(サックス)、パウル・ローフェンス(ドラムス)によるシュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ(GOLD IS WHERE YOU FIND IT)』(INTAKT、2008年)を聴いた。

このトリオでの来日が予定された97年だか98年だかには、エヴァン・パーカーが妻の手術により急に参加できなくなって、代役がルディ・マハールだった。六本木ロマニシェス・カフェに着いてからはじめてそれを知った。それでも素晴らしかったので、その後、新宿ピットインにも聴きに行った。

エヴァン・パーカーは、そのアレックスが率いるベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ、ソロ演奏、エレクトロアコースティック・アンサンブルなどを目の当りにしている。顔を赤くしての循環呼吸によるサックスは、小鳥のようでもあり、エクトプラズムのようでもあり、そのたびにヒヒヒヒヒと笑ってしまうほど感激した。シュリッペンバッハ・トリオではさらに化学変化のようなものがあるに違いない。

録音されたものとしては、最初に手にいれた『11のバガテル(ELF BAGATELLEN)』(FMP、1991年)『物理学(PHYSICS)』(FMP、1993年)を何度となく聴いている。特に前者の、ピアノソロからはじまり、濃密なインタラクションになだれ込む様子には、緊張感が漲っていて凄絶にさえ感じてしまう。その後、『完全燃焼(COMPLETE COMBUSTION)』(FMP、1999年)は何だか無機的な感じがして、もういいやとおもってしまった。今回の新作まで何作品も出ているのは知っていたが、聴くのは久しぶりだ。

やはりというべきか、円熟なのか落ち着いたのか、逸脱のあやうい魅力はない。もちろん、稀代のインプロヴァイザー3人によるインタラクションはいつ聴いても素晴らしいもので、最後の「三位一体(THREE IN ONE)」、「聖Kの鐘(THE BELLS OF ST. K.)」の盛り上がりにいたり感動を覚える。この名グループが存続しているうちに、実際の演奏を聴いてみたいものだ。


『11のバガテル』(FMP、1991年) アレックスとパウルのサインが重なっている


『物理学』(FMP、1993年) さらにパウルは語尾を裏まで伸ばすというお茶目


『完全燃焼』(FMP、1999年)

●参考 『失望』の新作


『OHの肖像 大伴昌司とその時代』

2008-08-03 00:55:08 | 思想・文学

先日、「中東カフェ」場外乱闘編ということで根津に飲みに行った際、早く着いてしまったのでぶらぶらしていて、「オヨヨ書林」という古本屋を見つけた。近所に住んでいた90年代前半にはなかった。

ちょっと高めだったが入手してしまったのが、『OHの肖像 大伴昌司とその時代』(竹内博編、飛鳥新社、1988年)だ。これが出版されたとき、田舎の高校三年生だった。新聞の下に広告を見つけ、実はいまに至るまで読みたいとおもっていた。ささやかな念願が叶ったわけだ。

大伴昌司といえば、まっさきに出てくるのが『少年マガジン』のグラビアページのようだが、それは私が生まれる前後のことで読んでいない。それよりも、小さい頃家にあった『怪獣図鑑』の、怪獣の内部図解が、強烈な記憶として残っている。正確には覚えていないが、バルタン星人であれば、「バルタン胃」とか「バルタンはさみ」などといちいち解説してあり、バルタン星人が歩いたところは腐ってその後は草木が生えない・・・といったようなものだったとおもう。

本書を読んで、非常に多くのひとの証言から見えてくることは、有象無象の情報の洪水を収集し、編集し、グラフィカルな形にしていく方法のまぎれもない先駆者であったという点だ。70年代のヴィジュアル雑誌の構想は大伴昌司の流れを受け継いでいるし、『DAYS JAPAN』創刊時には、何と編集部員やデザイナーが図書館で『少年マガジン』を首っ引きで学んだという。そういえば、『東京新聞』日曜版の特集もきっとOHの影響の下にあるに違いない。

大伴昌司が亡くなったのは1973年。私が『怪獣図鑑』を興奮して読んでいたのはそのあとだ。円谷英二は1970年、円谷一は1973年(大伴昌司死去のすぐ後)、金城哲夫は1969年に沖縄に帰郷し1976年、に、それぞれ亡くなっている。だからどうだということははっきりとは言えないが、少なくとも、この頃に巨星があいついで鬼籍に入ったことは、ウルトラの歴史、特撮映画の歴史、それから子どもの記憶の歴史に確実に影響を及ぼしているに違いないことは確実だ。

その後の評価も含めて、新たに出版してほしい評伝である。

●参考
怪獣は反体制のシンボルだった
『怪獣と美術』 貴重な成田亨の作品


植物画、石井信義氏、『市川の自然』

2008-08-02 23:02:35 | 関東

市川市芳澤ガーデンギャラリーというところで、「博物画にちょうせん!きみも未来の博物学者に」という子ども向けのワークショップがあるということなので、息子を連れて行った。はりきって教えてもらって描いている間、ツマ・娘と「英国植物画の世界」展を観た。

18世紀や19世紀のボタニカルアートであり、すべて匿名性の作品だ。ヘビイチゴ、ケシ、ウキクサといった目立たない植物が丹念に描いてあり、地味なだけに却って博物学の魅力をみせつけられる。そういえば、小さい頃、近くの山でよく野苺を取って食べたが(田舎だったので)、あれは何の種類だったのだろう。

ここの敷地の庭は綺麗に管理されている。アオギリの葉に蝉の抜け殻がくっついていた。息子に教えると、それもスケッチしていた。

近くには、市川市木内ギャラリーという、明治・大正期の洋館もある。真間の森にちょっと入ったところだ。ここでは、「市川の自然を見つめ続けて―地域で生き抜いた生物教諭・石井信義先生の足跡を辿る―」という展示がなされていた。

中学や高校の生徒の指導や地元紙の連載のため、氏が延々と描き続けた細密画が沢山展示してある。すべて足繁くあちこちをまわり、丹念に観察しながらでなければ成立しえない世界であり、ちょっと感動的だ。

妙典のいまは少ない湿地帯や、江戸川放水路下流の干潟のアシハラガニやマメコブシガニなんかが丁寧に描いてあって、今度あらためて観察に行こうとおもった。

普段は足を運ぶことが少ない市川市北部の台地だが、真間の森は鬱蒼としていて、近くに住んでみたいと思わせる。このあたりは、確か石川文一(カメラマン石川文洋の父)や井上ひさしが住んでいたり、島尾ミホが一時期入院した病院があったりしたところだ(相当アバウトな記憶だが)。市川駅近くに「りぶる」というライヴハウスが以前あって、川下直広やら片山広明やら何度か聴きに行ったことがあったが、マスターの失踪事件があってから店じまいしてしまったようだ。今日あえて確かめるのも不純な気がしてやめた。

ところで、市川市芳澤ガーデンギャラリーで、『発見 市川の自然』(「発見 市川の自然」刊行委員会、市川市発行、2006年)という本を見つけた。こんな良い本が出ているとは迂闊にも気が付かなかった。帰宅してざっと目を通したが、街中にクロマツが目立つ理由や、北部の森の様子(ここにも石井信義画が使ってある)、低地や湿地の状況なんかが詳しく説明してあってとても嬉しい。近いうちに、これを持って・・・。