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マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

旧東海道を行く 草津宿〜

2025年03月21日 | 旧東海道を行く

◆東海道52番目 中山道68番目 草津宿

東海道と中山道の合流地点すぐ近くに本陣跡があります。

 

現在、耐震工事中で臨時休業でした。

今年の4月1日に営業再開とのこと。

 

街道はまっすぐ。宿場の景観を残しつつも高層マンションも。

 

 

ベーカリー&カフェ脇本陣は本当に脇本陣だったところです。

 

草津宿全景 中山道は青色になっていますが、草津川渡しのところが見附だったからか。

いや、東海道の東見附の外側も・・言い出したらキリないか。

 

またまた酒蔵さんです。

 

読みづら〜

 

東海道と中山道の分岐であり、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒と大きな宿場だったようです。

でも大津・石部の方が大きかったと書いてあったな。

京都を朝出立すると、1日35km前後進むとして草津の先に行けてしまうからかな。

➡東海道なら石部宿、中山道なら守山宿。

 

黒門跡 ここで宿場はずれに。

 

この川に黒門があったようですね。

 

 

またまたまた酒蔵さんです。

 

 

矢倉道標 やばせ道との追分

「急がば回れ」の由来となったところ。京へ向かうのに

 やばせ道で琵琶湖に出て舟で渡れば早いが、風で舟が出ず足止めされると遅くなる。

 唐橋回りは遠回りだが着実に進めるので結果、先を急ぐならば唐橋を回れ➡急がば回れ

ということですね。

 

 

一里塚公園を抜けていくのが街道。

塚には松が植えられていたということから復元は小さいながら松なんですね。

 

 

胴塚 でも平家最期の地は鏡の宿のところにあったが。。。

 

 

 

 

一里山という地名、一里塚があったはず。

交差点で信号に引っかかり、「気づかなかったな、通り過ぎちゃったかな?」と振り返ったら

これがありました。

京から来ないと気づかないよ。

 

一里塚跡があった交差点には道標も。

右に写っている道が街道です。

 

 

瀬田の唐橋に到着しました。

 

唐橋

瀬田川は中の島があってこちらは細い方の川。

 

瀬田の唐橋は天下を左右する重要な橋だったんですね。

 

橋の先、右手に曲がり進んだところで

JRと京阪の石山駅前交差点 ここで本日終了にします。

昨日の70kmに今日は32kmで脚の疲れがきていますし、

残すところは大津宿と三条大橋まで。

次回の道を残しておこうと思います。

 

旧中山道武佐宿から草津宿を経て唐橋過ぎまで。32.8kmでした。

 


◆旧東海道を行く
  第2回:2013年2月17日(日) 日本橋~品川宿~ 川崎宿~神奈川宿~ 保土ヶ谷宿~戸塚宿
  第3回:2013年3月3日(日) 戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~ 大磯宿~小田原宿
  第1回:2013年2月9日(土) 小田原宿~ 箱根宿~三島宿
  第4回:2013年5月3日(金・祝) 三島宿~沼津宿~原宿~ 吉原宿~蒲原宿
  第5回:2013年5月4日(土) 蒲原宿~由比宿~興津宿~ 江尻宿~府中宿~丸子宿
  第6回:2013年5月5日(日) 丸子宿~岡部宿~ 藤枝宿~島田宿~ 金谷宿~日坂宿
  第7回:2013年12月21日(土) 日坂宿~掛川宿~袋井宿~ 見附宿~浜松宿~舞坂宿
  第8回:2013年12月22日(日) 舞坂宿~新居宿~ 白須賀宿~二川宿
  第9回:2022年5月28日(土) 二川宿~吉田宿~御油宿~ 赤坂宿~ 藤川宿~岡崎宿
  第10回:2022年5月29日(日) 岡崎宿~池鯉鮒宿~ 鳴海宿~宮宿・七里の渡し
  第11回:2024年4月13日(土) 宮宿・七里の渡し~桑名宿~ 四日市宿~石薬師宿~
  第12回:2025年3月20日(木・祝) 庄野宿~亀山宿~ 関宿~坂下宿〜 土山宿~ 水口宿~石部宿〜草津宿
  第13回:2025年3月21日(金) 草津宿〜唐橋〜

 

 

『旧五街道を行く』
   ◆旧東海道を行く 日本橋~
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旧東海道を行く 水口宿〜石部宿〜草津宿

2025年03月20日 | 旧東海道を行く

東海道五十三次もようやく50番台に乗りました!

◆50番目 水口宿

 

この道の奥、坂を上ったところが。。

 

 

水口宿の東見附跡でした。ここから宿場に入っていきます。

 

色褪せているけれど水口宿の説明板。

図の右端のところが現在地。

 

似たような道で分岐があります。

ここは高札場跡でした。

 

 

問屋場跡

 

 

石橋 昔はここが京口と言われていたということなので宿場としては小さかったのか?

宿場町と城下が分かれて作られていたことの影響か。

江戸時代中に城下を迂回するルートに付け替えられたので宿場も多くなったのかもしれません。

 

城下町をもとに、街道の分岐点ということで近江国内では大津宿に次ぐ規模にまで大きくなったようです。

東海道と中山道の追分である草津宿が大きそうなイメージでしたがそうではないのですね。

 

 

ちょっと見づらいですが、飛び出しボーヤの足元の石のことです。

 

北側をぐるりと回っていく道です。

 

 

こちらの塚も復元でした。そうだよな、このサイズ感だと。

 

一里塚跡を左に曲がり、最初の角を右へ。この場所が西見附のあった場所。

 

石部宿へ向かって西進します。

 

酒屋さん

ここから草津、瀬田(勢田)あたりまで酒蔵が多いように思いました。その最初がここ。

 

 

ずーっとまっすぐの道が続きます。

城下、宿場はすこし曲がった道だったり、桝形を作ったりと

攻め込まれた場合に守りやすい、一気になだれ込みづらい造りをしていましたが、

この辺りの道はまっすぐにしてあったようです。

 

 

川にぶち当たりそうです。野洲川に。

 

 

その前に一里塚跡がありました。

こちらは少し位置を変えての復元とのこと。

 

横田の渡し 野洲川(横田川)の渡しが設けられていた場所です。

水量の減る冬場は橋が架けられ、春夏期は渡し船だったようですね。

 

 

巨大な石灯籠

 

横田橋の説明

 

ここから橋が。。渡しが。。野洲川の川幅はそこそこありますし、

この時期でも水量はありますね。

 

で、現在の横田橋を回って対岸へ向かいましたが、

ここでトラブル発生!

小さな凸凹につま先が引っかかってしまい、こけちゃました。

50kmも走ってくるとだんだん脚も上がらなくなります。

両掌、右小指、右腰、そして右ひざ。

ロングタイツを履いていたので、右ひざが大きく擦り剝けているのは走り終わるまで未確認。

ただ痛かったので推測できましたが。

土汚れの手を早く洗いたい一心で、対岸にあるJR三雲駅へ向かって走りました。

 

 

渡しで渡ったところ。常夜灯がありました。

 

JR三雲駅〜甲西駅の先までが説明されています。

桃色の線が旧東海道。

 

 

江戸から百十五里の夏見一里塚。説明板と地面に埋め込まれた「一里塚跡」だけです。

一里=3.927kmで計算すると江戸日本橋から451kmです。

 

 

鈴鹿峠を越えてから街道沿いにあった2軒目の酒造さん、北島酒造さん。

 

 

高木陣屋跡(街道左側)

石部宿が近づいてきました。

 

◆51番目 石部宿

 

東の見附跡(街道の左側)

ここから宿場です。

 

 

交差点にあった公園、石部宿に関連するような史跡等の説明板がたくさんありました。

 

 

公園のお向かいにも説明板がありました。

 

 

街道の風景 2軒の本陣、そして62軒の旅籠。旅籠多いですね。

 

 

小島本陣跡

 

 

街道が桝形になっているところに茶屋はありました。

今では再現された茶屋があります。夕方だったのですでに締まっていて残念でした。

 

 

西の見附跡 今は公園でした。

ここで石部宿は終わり。

次の宿場は草津宿。

そう、中山道との合流です。

 

 

この左は公園。公園の中に

東海道五十三次の図が石で作られていました。

 

 

国指定名勝があるけれど見られない。建物も目を引きます。

 

 

一里塚跡 説明板がなかったので名前は何でしょう?

江戸から百十七里かな。

 

梅の木立場は江戸にも京にも大阪にも知れていた観光名所だったんですね。

 

 

手前の建物は醤油屋さん。奥の建物は県?指定の文化財になっていました。

 

 

すずめ茶屋跡

陽が傾いてきました。

目標の草津宿は近づいているものの、急いでいかなくちゃ。。

 

 

東海道と中郡街道の分岐

 

一里塚跡(右側) 百十八里かな?

 

 

ここの茶屋が田楽を始めたようですね。伊勢屋さん。

 

旧草津川沿いにきました。

ここから土手に上がるのが東海道のようですが、工事で通行止め。

もう少し先に進んだところか土手をあがりました。

旧草津川は天井川でした。災害リスクから草津川は別に移され、

現在は公園になっていました。

 

 

旧草津川を越えて土手を降りると草津1丁目という住所に。

草津宿の中心に近いですね。

 

 

突き当りが中山道との合流地点。道標があります。

市指定文化財です。

「右 東海道いせみち」「左 中仙道美のぢ」

 

今日はJR加佐登駅をスタートにここまで来ました。

走行距離70.1kmのロングラン。

途中転んで大変でしたがなんとか予定の行程を攻略できました。

 

 

◆旧東海道を行く
  第2回:2013年2月17日(日) 日本橋~品川宿~ 川崎宿~神奈川宿~ 保土ヶ谷宿~戸塚宿
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  第13回:2025年3月21日(金) 草津宿〜

 

 

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旧東海道を行く 土山宿〜

2025年03月20日 | 旧東海道を行く

土山に来ました。

ここから宿場まで800mとのこと。

川を越えて神社を曲がっていくと宿場らしいです。

 

鉄砲伝来の前年の戦。

北畠氏は伊勢を治めていたのは「信長の野望」(KOEIの歴史シミュレーションゲーム)で知っています。

山中氏が援軍を求めた六角氏も同様。信長の野望を久しぶりにやりたくなってしまいます。

 

元々は渡しがありました。ただ大雨になると溺れ死んだりする人、川止めになるなどの問題があり、

田村橋を架けることになった。幕府がらみや地元の生活上必要な往来は無料も

それ以外は渡るのに三文(人も馬も)取られたようですね。

この高札場のあたりに東の番所があったと思われます。

 

 

田村川橋を再現したことが説明されています。

この橋を渡ったところから西の川までが土山宿のようです。

 

 

田村神社と高札場跡

坂上田村麻呂を祀っているようですね。

 

江戸から来ると神社本殿の方から出てくる形になります。

 

◆49番目 土山宿

この地図の左端が田村神社。この説明板は左上の曲がり角。

地図の両端に川があります。この間が宿場です。

 

本陣2軒、旅籠44軒の宿場町。追分もあり、鈴鹿峠を控えて宿泊者も多く、賑わっていたようです

 

宿場の景観 国道1号と並行している生活道路なので静かです。

 

 

土山の一里塚跡 塚がほぼ昔のまま残っているのは亀山の野村一里塚と記載があります。

 

宿場の名残のような景観が続きます。

 

 

ここも旅籠跡とわかるようにたくさんの碑が建てられています。

 

 

本陣跡 幕末には衰退し、大旅籠の大黒屋さんが本陣の役割を果たしたようです。

盛者必衰ですからね。。こういう場では使わない??

 

 

問屋場跡

 

 

こちらも同様ですね。

 

  

もう一つの本陣跡 明治天皇全国行幸の際に使われたようです。

 

 

旅籠屋跡

 

  

この大黒屋本陣は江戸時代後半に大旅籠だった大黒屋が本陣の役割を果たしたというやつですね。

 

 

ここが追分

 

宿場の外れの方に来ました。

野洲川(旧名だと松尾川)を渡りたいけど行き止まりのようなのでここで曲がっちゃいます。

 

野洲川(松尾川)

 

渡しがあったであろう処から旧道が伸びています。

ここで旧東海道を歩いている老夫婦がいらっしゃいました。

お互いに頑張りましょう!と言い合って別れました。

 

旧道の景観

 

 

 

 

大日川 掘割 水害を防ぐために野洲川への排水路として作られたもの。

4年の歳月がかかったようです。

 

松並木跡…と書いてあったが1〜2本しか松は無かったです。

 

 

これより東、淀領?

 

また宿場のような雰囲気になってきました。

 

大野地区。土山宿と水口宿の間の宿だったようですね。

公には宿泊は認められていなくても、それは名目上。

これまでに東海道や中山道でもあった間の宿も同様です。

 

 

なので間の宿でも旅籠屋さんはいくつもありました。

 

実際に明治時代の巡幸の際、明治天皇はこの大野でお休みを取られています。

 

 

今在家の一里塚跡 江戸から112里。約436km。

こちらも復元の一里塚。普通は榎が植えらえていたがこちらは桜だったとありますね。

 

一旦野洲川へ出てきましたがすぐに右の道で川沿いではなくなりました。

 

 

 

 

松並木があったらしい。微塵も残っていませんが。

そろそろ水口宿になります。

 

 

◆旧東海道を行く
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旧東海道を行く 関宿〜坂下宿〜

2025年03月20日 | 旧東海道を行く

◆47番目 関宿

「せきやど」ではなくて「せきじゅく」です。

関東(特に茨城・栃木・埼玉界隈)の人だとそう呼んでしまう人、いるでしょ。

 

ここは東海道随一の昔の景観を保存しているところ(のはず)

 

神社があるところ。ここは宿場の中心地に入るところであると同時に追分でもあります。

 

この鳥居をくぐって道を下っていくと伊勢別街道。ここは関宿の東の追分。

 

 

ここに一里塚跡がありました。東海道のものなのか、追分したほうの道のものなのか。

 

 

 

 

関宿の景観

郵便ポストは「書状集箱」です。(すゑひろがりずか⁉)

 

 

川北本陣跡。関宿には2つの本陣がありました。その一つ。

 

関宿の説明 これを見れば本陣2つ、脇本陣1つ、東西に追分があることがわかります。

 

 

伊藤本陣跡

 

高札場跡

 

元々あった場所に復元されたことが書かれています。

 

関宿の説明、前述のものよりもこちらの方が細かく書かれていますね。

 

本町地区から西側への景観。

 

西の追分に来ました。ここで関宿は終わりです。

 

この西の追分は「ひたり いか やまとみち」とあるように大和街道(奈良へ)でした。

ここからは鈴鹿峠へ向けて上り基調になっていきます。

 

 

転び石

 

 

一里塚跡 歩道がない側にあったので近づけず。

 

◆48番目 坂下宿

西の難所、鈴鹿峠の麓ということ。

難所すぐ近くの宿場町は賑わうはずだがこの山中はどうだったのでしょうか。

 

この通りは日本橋から五十三次の名前が書かれていました。

今日は庄野宿スタートということでこの写真を撮りました。

 

松屋本陣跡

 

本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒とまぁまぁの規模感ですね。

現在のこの付近の景観からは想像つきませんが。

 

 

大竹屋本陣跡

 

 

梅屋本陣跡 これで本陣3つですね。

 

 

この写真の右側が脇本陣でした。

 

この右側の道が旧道。鈴鹿峠へ本格的に上ります。未舗装路部分が多くなっていきます。

 

  

山中はこんな感じです。

 

片山神社があるこの付近が元々の坂下宿のあったところとのこと。

1650年の大洪水で流され、東寄り(下)へ移っていったようです。

 

 

片山神社と常夜灯

 

 

 

つづら折りになり、石畳のところもありました。

 

東の箱根峠、西の鈴鹿峠。峠越えではこの2つが大きかったようですね。

実際にたどってきて川越を除けばそう思います。

 

ここが峠。平坦になっています。

 

 

峠を過ぎて100mも行けば県境でした。

 

 

特大の常夜灯

 

 

鈴鹿峠を降りてくると山中城址がありましたが、雰囲気は何も残っていません。

 

 

間の宿、山中。土山宿までは距離があり、

峠越え前後の旅人はここに泊まった人も多かったかもしれません。

一里塚跡がありました。

 

 

猪鼻村 ちょこっとだけ国道を逸れて旧道が残されている地区。

 

ここを過ぎれば土山宿が近いです。

 

 

◆旧東海道を行く
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旧東海道を行く 庄野宿~亀山宿~

2025年03月20日 | 旧東海道を行く

約1年ぶりの「旧東海道を行く」です。

今回は草津宿まで走るのが目標。

宿も南草津に取っていますし。

南草津駅 6時08分発の電車に乗り、草津駅➡柘植駅➡亀山駅と乗り換えて加佐登駅に到着。

8時にランスタート!

 

◆45番目 庄野宿

 

前回はここで終了したので、この看板から再スタートです!

 

 

庄野宿の景観

朝早かったので静かですが、散歩しているおばあちゃん2人組がいました。

 

 

問屋場跡

 

 

本陣跡

本陣の説明するものは何もなかったですね。めずらしいかも。

 

高札場跡

この先、宿場外に。

大きな道路を越えていくと、川が近づいてきて石柱が現れました。

  

道標 字が読めない…従是。。

 

 

中冨田の一里塚跡。ここでおよそ百里か。。って後でわかったけれどここは百じゃない。

百三里じゃね?

 

  

と思ったらまたも中冨田の一里塚跡の説明。

なぜこの場所に、同一年度に2つの説明板を作ったのか??

 

 

和田道標

 

  

旧道の景観 右手に大きな木があるなぁと思っていたら、一里塚跡でした。

 

塚が残っている!と思ったら復元のでした。

でも往時の雰囲気を残すにはとても重要ですね。

 

◆46番目 亀山宿

  

亀山に入りました。

すぐに気づいたのは江戸時代・旧店舗名が分かるように上記の札がついていました。

 

 

中心地に入ってきました。

肝心の本陣跡はどこにあるのか不明。。

公園のようなところがあったのでそこなのかな?と思いましたが言い切れず。

そうすると交差点に来て、左に進むことになります。

 

曲がる前の交差点に高札場が設けられていたようです。

人通りが多いところに掲げられますからね。

ここから江戸まで「百四里半」で、庄野宿まで「二里」であれば、先ほど通過した中冨田は

百里じゃないよね。

 

左折すると桝形になっていました。

ここを通過し、下っていきます。

 

公園が良い雰囲気です。梅が咲いてきれい。

 

公園横の坂を上ったところ。西町問屋場跡でした。

 

 

西町問屋場跡から西に進むと程なくして小さな道標が置いてあります。

右に行くと「郡役所」、左に行くと「東海道」の表記がありました。

そのまま直進します。

 

亀山城下の宿場町なんですね、亀山宿。

その外堀の脇を通過していきます。

城跡の方は別途、訪問したいですね。

 

この付近は旧東海道を歩道=あずき色、車道=黄色で塗られていてわかりやすかったです。

 

森家住宅 かなり年季の入った建物だなぁと思っていたら国の有形文化財に登録されていました。

 

東海道の景観を保ったエリア。

 

今焼肉屋のところに「明治天皇御召替所跡」と貼られていました。

明治天皇が全国を回られていましたが、こちらでお休みを取り、

お茶代として3円をお支払いになられたと。当時の3円は現在のいくら?

明治30年くらいで小学校の先生の初任給が8〜9円だったらしい。

となると明治30年の1円≒現在の3万円弱?

明治13年の3円だと現在の25万円くらいか。

御一行の分も払ってくれた計算なのかな?

 

 

野村一里塚跡 文字が読みづらい。

写真を撮って、後から拡大して読みました。

三重県内には一里塚が十二か所あったようですが、現存しているのはこの一基とのこと。

 

亀山と関の間。桜並木。あと2週間後は満開のさくらになるのでしょうね。

 

鈴鹿川を上流に向かって進んでいます。

この先でJR関西本線を越えたら関宿です。

 

 

◆旧東海道を行く
  第2回:2013年2月17日(日) 日本橋~品川宿~ 川崎宿~神奈川宿~ 保土ヶ谷宿~戸塚宿
  第3回:2013年3月3日(日) 戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~ 大磯宿~小田原宿
  第1回:2013年2月9日(土) 小田原宿~ 箱根宿~三島宿
  第4回:2013年5月3日(金・祝) 三島宿~沼津宿~原宿~ 吉原宿~蒲原宿
  第5回:2013年5月4日(土) 蒲原宿~由比宿~興津宿~ 江尻宿~府中宿~丸子宿
  第6回:2013年5月5日(日) 丸子宿~岡部宿~ 藤枝宿~島田宿~ 金谷宿~日坂宿
  第7回:2013年12月21日(土) 日坂宿~掛川宿~袋井宿~ 見附宿~浜松宿~舞坂宿
  第8回:2013年12月22日(日) 舞坂宿~新居宿~ 白須賀宿~二川宿
  第9回:2022年5月28日(土) 二川宿~吉田宿~御油宿~ 赤坂宿~ 藤川宿~岡崎宿
  第10回:2022年5月29日(日) 岡崎宿~池鯉鮒宿~ 鳴海宿~宮宿・七里の渡し
  第11回:2024年4月13日(土) 宮宿・七里の渡し~桑名宿~ 四日市宿~石薬師宿~
  第12回:2025年3月20日(木・祝) 庄野宿~亀山宿~ 関宿~坂下宿〜 土山宿~ 水口宿~石部宿〜草津宿
  第13回:2025年3月21日(金) 草津宿〜

 

 

『旧五街道を行く』
   ◆旧東海道を行く 日本橋~
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旧東海道を行く 四日市宿~石薬師宿~

2024年04月13日 | 旧東海道を行く

◆43番目 四日市宿

 

川を越えて四日市宿に入りました。

すぐに目に入ってきたのはこの老舗お菓子屋さん。

 

  

笹井屋さん なが餅と言えば。。。名前は知らなくてもこのビジュアルは御存じですよね?

私もなが餅というのとこの商品が結び付いていませんでした。

なが餅、何度も食べたことあります。

 

資料館がありますがこちらはもともと問屋場だったとのこと。

本陣、脇本陣についてはよくわかりませんでした。

 

 

道標を過ぎていきます。

 

アーケード通りになりました。

このアーケードを抜けて右手に行くと近鉄四日市駅があります。

そしてその先には人気のたい焼きやさんがあります。

食べたかったですが10人近く並んでいたのでパスしました。

 

 

日永一里塚跡 江戸から100里にあたります。ここまで400km弱です。

 

 

ここにも一本の松。名残の一本松です。大事に育ててほしいですね。

 

 

 

日永の追分 東海道と伊勢路の分岐点です。


日永の追分について

 

  

 

杖衝坂 説明では箱根峠に次ぐ難所とありましたが、鈴鹿峠は?薩田峠は?と聞きたくなりますね。

東海道を歩いたことを無い人が説明板を書いたのでは??

 

101番目の一里塚、采女一里塚跡

 

◆44番目 石薬師宿

 

石薬師宿に入ります。

 

静かな通りです。今のところ特に何もありませんが。。

 

 

 

本陣跡がありました。敷地が大きいからなのか?2つも説明板がありました。

 

徳川家康の思案橋 本能寺の変後、伊賀越えをしてここまで来た家康公は思案し、

四日市宿に向かったようですね。

 

 

石薬師宿の名前の由来である石薬師寺

 

 

大きな木が植わっています。周りに何もないので目立ちますね。

 

 

石薬師の一里塚でした。江戸から102番目。

 

この辺りで石薬師宿から外れるようですね。

庄野宿に向かいます。

 

で、庄野宿の入口に到着しましたが16時を過ぎておりここまでとしました。

庄野宿を走るのは次回に。

本当は亀山まで行きたかったのですが、思ったよりも早く脚が痛んだのが影響しました。

 

 

 

庄野宿から最寄りのJR加佐登駅 こちらで名古屋まで戻りました。



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旧東海道を行く 宮宿~七里の渡し~桑名宿~

2024年04月13日 | 旧東海道を行く

約2年ぶりの旧東海道を行く!です。

前回は熱田神宮近く、宮宿側の七里の渡しで終了。

ここから桑名宿の七里の渡し船着場まで舟で行ければ良いのですが、そうはいかないので

陸路を進みます。そのルートは下記。

 

小さな河川をちょこちょこ渡った先、木曽川・長良川・揖斐川と木曽三川を越えていきます。

 

 

木曽川 川の真ん中で三重県に入ります。

 

 

 

途中で和菓子屋さんがあり立ち寄り。長島二万石なんですね。河口ということで貝類がたくさん取れたのでしょう。

こちらでは名物「はまぐり最中」を購入、いただきました。

 

続いて長良川。

 

土手を挟んで揖斐川が平行に流れています。遠くに見えるのが桑名宿。

 

◆42番目 桑名宿

 

ということで25kmくらいで桑名の七里の渡しに到着です。

 

船着場

 

櫓 これは桑名城の一番外側に位置し、防御に備えたものですね。

 

船着場から城周辺は桑名宿で宿場町。

本陣跡と脇本陣跡が船着場すぐのところにあったようです。

 

 

左は本陣跡で小料理屋のようでしたが右の脇本陣跡は更地になっていました。

 

 

旧東海道四日市方面へ南下していきます。途中左手に桑名城跡があるのでそれます。

 

徳川四天王の一人、本多忠勝公。この桑名を治めていました。

 

このように城跡は公園として整備されています。

このなかをゆっくりと回りました。

 

浮島となっているところ

 

 

天守台跡 小さいですけど。

 

桑名城城壁 石垣がしっかりと残されています。入り江になっていて漁船もたくさんあり

ちょっと水は汚れてますね。

 

船着場から南下してT字路になっているところを右折。この先で宿場町も終わりかな。

 

 

道標はどこに接地されていたのか不明のようですが移設されてここにあります。

 「左 江戸  右 京いせ」

 

 

この付近はこのように東海道の案内がついていてわかりやすいです。

ちなみに四日市市に入ると小学生の作?木製の看板がところどころ設置されていました。

ただ「東海道」と表記され、「旧」ではないんですよね。

国道1号は「いちこく」「いちごう」と呼んでいるんでしょうかね。

東海道に旧も現もないということかな。

 

 

立場跡

 

町屋橋跡 今は少しずれて橋が架けられています。

 

 

この辺りから常夜灯がたくさん出てきます。

東海道というのもありでしょうが、伊勢道であるというのが大きく影響しているのでしょう。

 

 

一里塚跡 桑名から来て最初の一里塚。名称は何だろう??

 

近鉄線を越えたところ 東海道はこんな雰囲気で続いていきます。

 

またまた常夜灯です。大きいですね。

 

 

富田の一里塚跡 近くの小さな川に架かる橋も一里塚橋という名。

ひっそりと碑が建っています。

 

 

また常夜灯です。撮っていないのもありますから相当数です。

 

東海道の雰囲気(写っている常夜灯は上のと同じ)

 

 

またまた常夜灯。八幡常夜灯。やはり説明板に伊勢参りのことも記載されていますね。

 

 

かわらづの松 一本残っている街道筋の松。この先も残してほしいですね。

 

川にあたりました。そこに三ツ谷の一里塚跡がありました。

 

さくらが満開(散りはじめ)でした。

この海蔵川を越え、次にある三滝川を渡ると四日市宿に。



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旧東海道を行く 三河・尾張国境~鳴海宿~宮宿・七里の渡し

2022年05月29日 | 旧東海道を行く
尾張国に入って最初の一里塚です。


 

 

阿野一里塚

こちらは来迎寺一里塚同様に両の塚が残っています。


 

桶狭間古戦場

当時は東海道が整備されていないため、鎌倉道を進んで沓掛城から大高城・鳴海城へ向かって街道筋から離れた

湿地帯で谷のようになっているこの場所に入ってきました。

そこで織田信長軍の急襲を受け、今川義元は討ち取られたということです。


 

今川義元が討たれた場所とされています(実際はどうかはわかりませんが)


 

今川義元の墓(もちろん身体がここに眠っているわけではありません)


◇間の宿 有松

桶狭間古戦場からすぐ近く、宿場ではありませんが昔ながらの景観を維持している有松を通過します。













有形文化財 服部家の住宅・蔵








このようにたくさん昔ながらの住宅が残されています。






竹田家住宅 こちらも有形文化財






岡家住宅 こちらも有形文化財


 



有松一里塚 これは復元です。なので両に塚を模したような形で作られています。

江戸から87里。

有松宿を過ぎていきます。


◆40番目 鳴海宿

 

この常夜灯から鳴海宿に入っていきます。




鳴海宿について






桝形から宿場の雰囲気を




鳴海城跡のところに高札場がありました。




 

鳴海城跡 桶狭間の戦い際には今川軍の岡部元信が入城していました。


 

鳴海宿本陣跡




右のお店、問屋場。もともと問屋場跡だったのでしょうか?









丹下町常夜灯 ここが鳴海宿の西口。








笠寺の一里塚 片方しか残されていませんが立派な塚です。


 



山崎の長坂




この橋を超えたあたりから宮宿でしょうか。



◆41番目 宮宿



宿場の雰囲気はありませんが。




宮地区について 41番目の宿、唯一の海上舟渡しなどで街道随一の賑わいを見せたとのこと。

そんなで進んでいくと熱田神宮近くを通って、蓬莱軒本店の前を通ります。

※以前伺った際には目の前の道が東海道であるとか、先に会場舟渡し場があるなんてみじんも思いませんでした。

すると本日のゴール地点が見えてきました。






熱田湊常夜灯






舟着場 ゴール!











舟着場周辺は旅籠屋なども集まり賑わっていたようです。


次、海路を行くのか陸路を行くのか。どうしますかね。



◆旧東海道を行く
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旧道街道を行く 岡崎宿~池鯉鮒宿~三河・尾張国境

2022年05月29日 | 旧東海道を行く
「旧東海道を行く」再開2日目ですが




岡崎宿から宮宿の宮の渡し(七里の渡し)まで走ってきました。32km。


◆38番目 岡崎宿

二十七曲がりも二十五を通過し、この先2か所を残すのみ。




八丁味噌の看板から再開です。


 

八丁味噌 合名会社大田商店 ⇒ (株)まるや八丁味噌

岡崎市八帖町(旧八丁村)で作られた味噌。

大田弥治右衛門家を由来とする「まるや八丁味噌」と、早川久右衛門家を由来とする「カクキュー」の2社が始まりだそうです。




矢作川 岡崎宿から外れます。






若き日の秀吉(日吉丸)と蜂須賀正勝(小六)が出合った言い伝えで作られたものです。


 

松並木


 

一里塚跡




鎌倉街道について

江戸幕府による東海道の整備がなされる前は京から鎌倉へ向かう道がありました。これが鎌倉街道。

東海道と重なったり横切ったり、似たルートをたどって鎌倉に通じていたようです。

⇒この先で桶狭間の合戦場も訪問しますが、今川義元軍は鎌倉街道を進軍したようです。


 

茶屋とつくところには昔茶屋があったはずなのですが現在は特になし。




東海道側から




本堂側から




永安寺の雲竜の松の説明 とても立派な松でした。


 

 

知立の松並木 池鯉鮒宿の外れにあたります。約500mに渡って残っています。




池鯉鮒宿へ この界隈の説明がされています。


 

元禄の道標




町並み




2つの塚の間に建っているのは公民館です。








来迎寺の一里塚 2つとも塚が残されています。

東海道で2つの塚がきちんと残されているところは少ないと思います(何しろ8年以上前のことなので覚えてない…)


◆39番目 池鯉鮒宿


 

 

松並木のところに池鯉鮒宿をアナウンスする碑がありました。

京まで41里。150km強となりますね。

そして江戸から84里ということで2/3を通過したことになります。




池鯉鮒宿近辺の案内板


 



知立松並木








ここは馬の市が開かれていたところのようです。




左の細い道が旧道。歩いていらっしゃる方がいますね。








池鯉鮒宿本陣跡


 

知立古城跡 今は公園です。




池鯉鮒宿の西側の説明板






この川で池鯉鮒宿は終わりです。






昔から残る建物のようです。市の重要文化財とかになっていないのかな??






この橋が三河と尾張の境となる橋のようです。なので境橋。




尾張に入ります。



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旧東海道を行く 藤川宿~岡崎宿

2022年05月28日 | 旧東海道を行く
3分割しましたが、藤川宿ではいろいろあり長くなっています。


◆37番目 藤川宿




藤川宿に到着です。左の細い道が旧道。


 

藤川のここからの距離?本陣からの距離?この辺りはあいまいながら東海道の6割以上になりました。

岡崎まで一里半、6km前後と近づいてきています。








東棒鼻 人の通行をチェック。これは平成になって復元されたようです。

なぜか東棒鼻の説明が2つもありました。






藤川宿の説明と歌川広重の描いた藤川宿東棒鼻

東と西の棒鼻間の距離は約600mほど。






曲手 一般的には桝形で通っているクランク状の道


 

宿場の町並み


 



問屋場跡








本陣跡






高札場

本陣のところに高札場がありました。




東海道と藤川宿の説明。37番目の宿場、あまり大きくなかったことなどが記載されています。








脇本陣跡






西棒鼻跡 東があれば西も復元されていますよね。

ここで藤川宿は終わり。


 

東棒鼻で記載されていた江戸・京への距離表示と同じです。

本陣を起点に書いているのかな?






藤川宿の一里塚跡


 

この先、松並木


 




ちょっと脇道にそれます。








時代劇テレビドラマ「大岡越前」でも「大岡裁き」でも有名な大岡越前守忠相さんも3年いた西大平藩屋敷。


旧街道に戻ります。


 



大平の一里塚 江戸から見て左側だけとなっていますが塚がしっかりと残っています。

大事に保存してもらいたいですね。

そしてこの一里塚、江戸から80里。

この先、岡崎宿・城下へ入っていきます。


◆38番目 岡崎宿

今日の最終目的地。ようやく到達です。ちょっと脚が痛くなってきています。






岡崎城下は城を守る意味もあり、桝形だらけ。

これが27もあるので「二十七曲がり」と名付けられています。

高級な石にそれを表記したのでしょうが、鏡のようになって非常に見づらいものになっています。

これに関して設置した自治体は何も思わなかったのでしょうか??




曲がり角にこのような目印があります。

一部無くて迷子になりましたが。でも助かりました。


 

本陣跡




くねくね進んでいくと岡崎城をぐるりと遠く回っていくようになっています。

名鉄線の高架下に到着。名鉄線2つが交差しているところ。ここで終わりにします。

八丁味噌の工場から先を明日走ります。


以前行ったことのある岡崎城にもう一度立ち寄りました。



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