関八州(上野・下野・常陸・武蔵・相模・上総・下総・安房)にある100名城では
最後の訪問、八王子城です。89個目です。
北条氏の家紋、三つ鱗紋。
八王子城跡はこのように山に登って本丸跡と
川沿いにある御主殿跡に分かれています。
八王子城の概要
小さくて読めないですね。
滝山城を武田氏に攻められ落城寸前までになったことから
武田氏からの守りとより堅牢な城をということで甲州道中からほど近いこの地に
八王子城を築城したとのこと。
武田氏ではなく、豊臣家の小田原攻めで前田利家・上杉景勝などと戦闘。
城主の北条氏照は小田原にあって、一日で落城したという歴史を持つ。
まず八王子城本丸を目指します。登る道は新道と旧道があり、旧道を上りました(写真右)
ここから更に登って、八王子神社を目指します。
途中、八王子の街・都心方面を見ることができました。
上に見えるのが八王子神社。
古い社が傷まないように囲うようになっている建物です。
本丸周辺の曲輪について。
本丸を守るために松木曲輪、小宮曲輪の2つの曲輪があったようです。
松木曲輪
八王子神社の横から更に登る道があります。
本丸跡 広くないので大きな建物はなかったと思われます。
一旦下まで降りました。御主殿の方へ向かいます。
この橋を渡って御主殿の方へ。
この石垣は築城当時のものらしく、約400年前のものになりますね。
御主殿虎口 その踊り場に櫓門があったようです。
左に折れてこの階段を上ると御主殿のあった広場になります。
右側の石があるところが主殿だったところです。
このあと、北条氏照の墓へ向かいました。
墓まで急な上り。階段を下からと上から撮ってみました。
北条氏照とその家臣の墓
北条氏照は小田原にて切腹させられており、こちらの墓に埋葬されたわけではありません。
豊臣の小田原攻めの際に松木曲輪で奮闘した中山勘解由家範の遺児を徳川家康が取り立て、
水戸徳川家の家老になったとのこと。
その家老の子(勘解由の孫)で水戸藩家老の中山信治は北条氏照100年忌にあたり
追善供養として建てたもの。
横に氏照家臣で祖父の勘解由、信治自身の墓もあります。
なんかステキな話ですね。
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