マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

10月24日~30日のトレーニング・レース

2011年10月30日 | RUN<週報>
24日 最高気温:21.4℃
 <朝> 皇居
      アップジョグ 0.5km
      皇居 2周  22分38秒-23分09秒
      ダウンジョグ 0.5km
                                                  11km
  骨盤を前傾させる感覚ってどんなだ?


25日/ 最高気温:25.0℃
 Rest
  恵比寿の鍼治療に。


26日/ 最高気温:19.3℃
 <朝> 皇居
      アップジョグ 0.5km
      皇居 2周  24分00秒(P190)-22分22秒(P200) ※P=ピッチ数
      ダウンジョグ 0.5km
                                                  11km
  ピッチを徐々に上げてリズムよくジョグをやる意識。少しでも体が速く動くようにならないかな。


27日 最高気温:18.5℃
 <朝> 皇居
      アップジョグ 0.5km
      皇居 3周ビルドアップ  23分41秒(P190)-22分46秒(P200)-21分03秒  ※P=ピッチ数
      ダウンジョグ 0.5km
                                                  16km
  200ピッチにうまく合わせられず。最後の周回はフリーで。ちゃんと上げられたので良かった。


28日 最高気温:19.3℃
 Rest
  関西へ移動もあるし、一応週末は40km走だし。温存。


29日 最高気温(彦根):22.9℃
 <朝> 彦根駅~佐和山城址~彦根駅
      舗装路・クロカン
                                                   6km
  佐和山は車では行けずで歩きで行くしかない。そこで走って行ったら山ですよ山。道がね。
  観光で城めぐり(佐和山城址・彦根城・長浜城・安土城址)


30日/ 最高気温(大阪):19.6℃
 <昼> 第1回大阪マラソン
      3時間25分13秒
                                                  42km
  ちゃんと40km走できた!



今週の走行距離 86km




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串揚げ 活

2011年10月30日 | グルメ
大阪マラソンの打ち上げで。

串かつ&で簡単に。

動く気力もあんまりないし、梅田で降りたらすごい人・人・人。

阪急の中にある串カツ「活」で手を打ちました。








串は完全お任せ。

お腹いっぱいになったら「ストップ」をかける。

つけたれが5種類。それぞれおすすめのたれに合わせて揚げたて串を置いてくれる。

この形式だと串揚げ特有の「2度づけ禁止」もない。これはちょっとさびしい。

クジラ・マグロ・豚ヒレ・アスパラ(超ロング)・餅・栗 などが出てきた。

珍しいものも揚げてくれた。

締めて2人で10,100円也。ちょっと高いなぁ。。。

次はやっぱり新世界やな。。。




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第1回大阪マラソン

2011年10月30日 | RUN<大会出場レポ>
第1回となる「大阪マラソン」に出場。

東京の1回目は落選だったけれど、こちらは運よく当選。

前日は観光で歩き回ってかなり疲れてしまった中で、レース。もともと記録を狙っての参加ではないけれど。


荷物預け時間を勘違いしててかなりギリギリ(8時までのところ7時58分に預け…)で会場入り。


 
公園の噴水付近。選手はスタートボックスの方へと移動していてかなり少人数に。

荷物預けトラックの前もかなり人がはけてしまっていた。


 
大阪城とスタート前の風景


気象コンディションは8時50分で・20℃とのこと。微風。

そんな中9時ちょうどの号砲!

スタートラインまで45秒。そのあとは軽いアップダウンがあって最初の5kmを25分通過目指して走る。


最初にコースの感想を言っておくと…


  改善の余地あり!3万人がスタートするのに道幅が狭すぎる!
    ●スタート~1km付近まで
    ●御堂筋(最初に通過する際に、側道のような部分でかなり窮屈)
    ●淀屋橋あたりで左折後⇒天満橋駅付近 狭い道幅で折り返し選手との擦れ違い&給水所


この部分は改善したほうがいいよね。自分は㌔5分くらいだったけれど、集団のピークはサブ4ペースだとすると…

接触・転倒などが起きかねない。自己記録を狙うには少し走りづらさを感じる。

(折り返して2度目の御堂筋ではコースが広がっていたようなので、最初の誘導が「?」だったのかな?)


さて、今日の自分の設定は

  ① ㌔5分で25kmまで
  ② 25km~40kmまでビルドアップ
  ③ 40km~ゴールまでダウンジョグ

の完全40km走の練習モード。落選した人申し訳ない。

でも通天閣までは観光がてら周りを良く見ての


記録:3時間25分13秒

5kmLap:24分56秒(ロス45秒含む)-24分39秒-24分27秒-24分35秒-24分23秒-23分08秒-22分30秒-23分04秒-13分31秒

 
スタート後は結構みなさんガッツリ行きますね。バテますよぉ(笑)

1km地点通過後に下り。そのあと一旦平坦が来たあとにだらだら上り。鶴橋のあたり?右折した後ね。

まだ元気なうちなので全然影響ないけれど。

そのあと5km地点手前で一気に下る。ここでタイム調整できて「25分」ちょい切り。


タイムロスを含めて目標タイムに合わさったのでここからは『㌔5』を意識して走る。

ちょっとトイレに。30秒くらいのロス。戻ったら目の前に3時間30分のペースセッターが。

後ろについていたんだけれども、走りづらいので…



天満橋駅付近(10km) 3時間30分のペースセッターのペースセッターをしてる(笑)

このペースセッター、㌔4分50秒で走ってるんだから3時間30分チャレンジランナーにとってはつらいよね。

9km地点で10秒くらいペースが速まって『貯金です~』とか言って集団の笑いを誘っていたけれど、

そのあとペース落ちずにいたので先に行かせた。


中央公会堂 ⇒ 心斎橋 ⇒ なんば ⇒ 大阪ドーム

と応援者は多い。でも御堂筋は少し沿道の応援者と距離があって(仕切られていて)ちょっと残念。

心斎橋では刀水の関西支部長が応援



25km手前


同じく25km手前で

この付近までは行きたいのを我慢しての走り。このあとは西成の方へ行くけれど観光スポットから外れるし、

沿道の応援も少し減ってしまうのでかなり真剣モードに切り替え。

先行していた3時間30分のペースセッターも20~25km区間でパス。


25km~30kmがちょっと速かったかなぁ?

30km~35kmが22分30秒で本当はこのペースで最初から最後まで行きたいんだけれど。

現状からするととても無理。この1区間だけでやっと。

35km過ぎには南港大橋の大きなアップダウン。ここまで来たランナーにとってはかなりの難所。

この橋を下り終えたところでK森さんに遭遇。ちょうど40kmに向けて状態だったので挨拶のみで通過。

無事40km地点まで最後追い込めた。

40km過ぎの給水ポイントでドリンクを両手にとってスローダウン。

ここからは後ろを振り返ったり、ステップ踏んだり、ゆるジョグでクーリング。

沿道からは「がんばれー!」の声援。たぶん疲れ果てて走れなくなったランナーのように見えただろうね。



40km地点。最後なので周りの応援を見ながらゆっくりとゴールへ進む。


まずは行きたくなる気持ちを抑えての25km、その後のペースアップとプラン通りに進められて良かった。

なによりも「当分フルマラソンはいいかな」という気持ちにならずにゴールできたし。

危惧されたもゴール付近で降り始め。途中ぱらっと来たけれど影響なし。

まぁ、良い練習となりました。



◆車いす・トップランナー・大会風景

①スタート直後の馬場長交差点

 




②天満橋付近の先頭ランナー





◆帰りの新幹線の中


新大阪から新幹線=蓬莱551の豚まんですな。やっぱり。




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大阪マラソン 前日受付

2011年10月29日 | RUN<大会関連>
東京と同じように当日の受付はなし。

南港の【インテックス大阪】での前日受付に。結構遅くなってしまったけれども。

受付に行く人より、帰る人の方が多い時間帯に。


 


まずは受付。



最後の時間に近づいてきているだけにスタッフも疲れの色が…(笑)


 
こちらのメインスポンサーはミズノ

ドリンクはアミノバリューだし。協賛各社ブースを転々と。

ミスドも出展。(この場合「出店」じゃないよね)



ポンデライオン

ついでアザースブースの方へ。



Colantotte(コラントッテ)のブース。旧パッケージの黒が半額以下だったので買っちゃった。

Phiten(ファイテン)とは違って、「効果効能を認められています!」というフレーズに反応してしまった。

遅い時間に行ったので最後は片付けが始まっていたけれど…

東京とは違っていろんなものをもらうことはできなかった。

もらっていても困ったんだけどね。


さぁ、明日頑張ろう



隣にあった「大阪うまいもん市場」




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ナビスコカップ決勝  vs 鹿島アントラーズ

2011年10月29日 | 浦和レッズ
10月29日(土) ナビスコカップ決勝 @国立競技場
◆試合結果
浦和レッズ0-1(前半0-0・延前0-1・延後0-0)鹿島アントラーズ
得点者:105分 大迫勇也(鹿島)
入場者数:46,599人


【TV観戦記】

久しぶりにナビスコ決勝の舞台。

4回目の決勝進出でうち3回が鹿島が相手。

鹿島を越えなければタイトルはないということか。(2007年リーグも結局鹿島に逆転で優勝さらわれ…)


ゲームは完璧に鹿島ペース。

若手主体のレッズに鹿島は簡単にいなしながらボールをポゼッション。

前半を何とか凌いだものの、後半開始早々にイエロー2枚で直輝が退場。

ここからはさらに一方的な状態に。

  「よく点を取られなかったなぁ」

としか言えない。

後半35分くらいに鹿島・青木が退場。ちょっと厳しい判定で10人対10人に。

それでも流れを引き寄せることはできなかった。

なぜか?

4-1-4-1フォーメーション(退場者が出て4-1-3-1になっていたが)では1ボランチの横のスペースを使うと

前後が完全に分断できるし、攻撃に厚みを出せ、セカンドボールも拾いやすい。

だからずーっと鹿島がボールを持って攻撃を続けることになる。

今の浦和の力量からすると、しっかりと守ってカウンターしかチャンスはない。

目指した「ボールポゼッション」「リアクションサッカーからの脱却」「人もボールも動くサッカー」は封印し、

勝利への近道を探らなければならなかったのではないか?

選手交代ではこれ以上の失点を防ぎつつ、チャンスがあれば1点を!という采配だっただけに、

まずは選手が守りやすいフォーメーションを採用すべき。

攻撃的MFにタレントがいて使い切りたい気持ちもわかるが、そのようなことをしている場合じゃない。


ナビスコ準優勝。前もここから始まった。あの時、達也・啓太・長谷部などの若手が台頭してきて

翌年ナビスコ初優勝。リーグステージ制覇。天皇杯優勝。リーグ優勝。ACL制覇へとつながった。

今回の経験をつなげていくためにもリーグ戦では絶対残留をしなければならない。

気持ち切り替えて行こう。


準優勝おめでとう。




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安土城址

2011年10月29日 | 
大阪マラソンでの関西遠征・城めぐり最終「安土城址」。

JRから見ると小さい山でしかないけれど、行ってみるとかなりの急勾配だった。



長浜・彦根を過ぎて南下。左手に観音寺城跡。右側に安土城址。



まずは安土城跡の説明から。



脇を見れば石垣が。



入場料を支払って…この急激な坂を上って行かなくてはならない。これがかなりしんどい。

家来は毎日この坂を上って登城すると考えるとかなり大変だっただろうな。


 
上り始めてすぐ左側が羽柴秀吉邸跡。



2段に分かれていたみたい。



向かい側には前田利家邸跡。



石垣は結構立派に残っているみたい。


 
まだまだ続く急坂。



森蘭丸邸跡。



ここを過ぎれば平坦に。黒門。



二の丸跡



信長公廟



本丸跡


  
天守閣跡 あまり広くはないけれど6層くらいある天守が建っていたらしい。それと天守閣の石垣。



天守閣跡から。天守閣からだともっと眺めは良かったんだろうな。



琵琶湖方面の眺望


  
3重の塔とそこから下へ向かうには結構な急勾配の坂




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長浜城

2011年10月29日 | 
 
長浜城址 秀吉が初めて城持ちになったときに「今浜」から信長から一文字いただいて「長浜」にしたとかしないとか。



本丸跡


  
天守からの眺め




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菓心 おおすが

2011年10月29日 | スイーツ・お菓子
彦根のお菓子屋さんをご紹介。



本店ではなくて夢京橋店の方へ伺った。


 
三十五万石最中 緑文字が求肥餅入り。茶色が一粒栗入り


 
黒どら 冷凍してあるから自然解凍させながら…でもカチカチじゃないからすぐにでも食べられる。



横から見るとこんな感じ



ここでも”ひこにゃん”




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いと重菓舗 ~和菓子~

2011年10月29日 | スイーツ・お菓子
創業「文化六年」っていつ?

いまから約200年ほど前だって。正確には 1809年 だった。



店舗



銘菓「埋れ木」 やわらかくもっちり。白餡を求肥で包んである。6個入り840円。

この名前は彦根十三代藩主・井伊直弼大老が若き日を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」に因んだもの。

井伊直弼と言えば「安政の大獄」であり、その報復として「桜田門外の変」に倒れた人であり、

外国との不平等条約を締結して国を開いた人。(正しくは開かざるを得なかった人か?)

でも国に帰ると大老を複数出し、徳川幕府300年弱を支えた名家であり、その誉れの十三代。


この”国を開く”というのは今の政治状況と似ているな。外国の圧力に負け、日本不利の内容ならば

「桜田門外の変」ではないけれど、総理も大変だ。


話を元に戻すと、この「いと重」さん、美味しそうなお菓子がたくさん陳列中。

ほかにも気になるものがあったけれど、ここはぐっと我慢。



いと重菓舗
  滋賀県彦根市本町1-3-37
  TEL:0120-21-6003




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「武将たちの関ヶ原」彦根城での特別展

2011年10月29日 | 旅行・ぶらぶら



関ヶ原を戦った有名どころ武将の甲冑が展示されている。

展示の一番奥では甲冑を身につけて写真を撮るコーナーもあった。

(以下の紹介は陳列の順番ではありません)



東軍総大将・徳川家康


    
後に彦根藩初代・井伊直政      徳川四天王の一人・本多忠勝    徳川四天王の一人・榊原康政


  
福岡五十二万石・黒田長政      熊本藩初代・細川忠興

    
賤ヶ岳七本槍・福島正則        築城名手伊賀上野・藤堂高虎    土佐藩初代・山内一豊




西軍総大将・毛利輝元 大阪城から動かず。2ヵ国に厳封される。


    
西軍指揮者・石田三成        大谷吉継                 島左近



島津義弘 九州随一の猛将。敗戦後の敵中突破が後々まで伝わる。


 
真田昌幸                真田幸村(信繁)

上田の地で東軍本体・徳川秀忠軍を足止めし、関ヶ原に参戦させず。


  
五大老・上杉景勝           参謀・直江兼続

徳川家康が会津討伐へ向かった隙に三成挙兵。関ヶ原には参戦できず、北からの伊達を抑える。

兼続は【直江状】をもって徳川家康を激高させたと伝えられる。



立花宗茂 関ヶ原時は大津城攻めの為参戦できず。柳川立花藩初代。改易後復帰。

西軍に与して改易後に復帰したのは宗茂のみ。


そうそうたる顔ぶれの甲冑展示でした。




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