非常に悲しい発表でした。
「エスビー食品陸上部は2013年3月末をもって廃部することといたします。」
魂抜かれる思いです
今から29年前、1983年12月4日(日)はでした。
伯母さんたちに連れられて福岡市の平和台陸上競技場に行きました。
その競技場、石垣を上って陣取ったのは第3コーナー付近の芝生席です。
しばらくして歓声が上がりました。
競技場に入ってきたのはタンザニアのジュマ・イカンガー選手。
そのすぐ後ろについているのが瀬古利彦選手(エスビー食品)。
そう、第37回福岡国際マラソンを見るために訪れていたのです。
レースは第4コーナーまで並走が続き、最後100mのラストスパートで
瀬古選手がイカンガー選手を振り切って優勝を飾ったのです。
その時の陸上競技場の盛り上がりはとにかくすごかったことを思い出します。
(映像をスロー再生すると第3コーナー付近の前から3人目くらいで
西武ライオンズの青い帽子をかぶっている10歳の少年が自分)
小学校のマラソン大会でビリの方を走る自分が、
「人生一度だけでいいからマラソンを走ってみたい」
と思った最初のきっかけがこの大会、そして瀬古選手だったのです。
そして今、鈍足の私は一応マラソンランナーになっています。
あの時思った夢・目標を達成することができています。
本当にありがとうございます、瀬古さん!
これから選手6名、スタッフ含む総勢12名を受け入れてくれる企業を探すとのこと。
今所属している6名は非常に強い選手たちばかりです。
この受け入れで陸上部を立ち上げる企業であっても、あと3名くらい補強すれば
2014年元旦のニューイヤー駅伝(実業団駅伝)に出場、優勝争いをできるくらいだと思います。
選手の皆さんにはぜひこの悔しさを力に替えていただいて、
今後益々の活躍を期待したいと思います。
◆エスビー食品陸上競技部メンバープロフィール
記者会見に臨む瀬古さん
◆第37回福岡国際マラソン結果
優勝:瀬古利彦(エスビー食品)
2位:ジュマ・イカンガー(タンザニア)
3位:宗茂(旭化成)
4位:宗猛(旭化成)
5位:アルベルト・サラザール(アメリカ)
6位:伊藤国光(鐘紡)
結果、ロサンゼルスオリンピックマラソン日本代表に瀬古・宗兄弟の3人が選出。
<PS>
知らなかったんですが、この大会には中山竹通選手(ダイエー)も出ていたんですね。
主役になるのはソウルオリンピック選考会を兼ねていた4年後の同大会。
いわゆる「這ってでも出てこい」発言ですね。
大会そのものは序盤からぶっちぎりで優勝を飾られました。
そんなことも思い出しました
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『ご協力ありがとうございます。』
「エスビー食品陸上部は2013年3月末をもって廃部することといたします。」
魂抜かれる思いです
今から29年前、1983年12月4日(日)はでした。
伯母さんたちに連れられて福岡市の平和台陸上競技場に行きました。
その競技場、石垣を上って陣取ったのは第3コーナー付近の芝生席です。
しばらくして歓声が上がりました。
競技場に入ってきたのはタンザニアのジュマ・イカンガー選手。
そのすぐ後ろについているのが瀬古利彦選手(エスビー食品)。
そう、第37回福岡国際マラソンを見るために訪れていたのです。
レースは第4コーナーまで並走が続き、最後100mのラストスパートで
瀬古選手がイカンガー選手を振り切って優勝を飾ったのです。
その時の陸上競技場の盛り上がりはとにかくすごかったことを思い出します。
(映像をスロー再生すると第3コーナー付近の前から3人目くらいで
西武ライオンズの青い帽子をかぶっている10歳の少年が自分)
小学校のマラソン大会でビリの方を走る自分が、
「人生一度だけでいいからマラソンを走ってみたい」
と思った最初のきっかけがこの大会、そして瀬古選手だったのです。
そして今、鈍足の私は一応マラソンランナーになっています。
あの時思った夢・目標を達成することができています。
本当にありがとうございます、瀬古さん!
これから選手6名、スタッフ含む総勢12名を受け入れてくれる企業を探すとのこと。
今所属している6名は非常に強い選手たちばかりです。
この受け入れで陸上部を立ち上げる企業であっても、あと3名くらい補強すれば
2014年元旦のニューイヤー駅伝(実業団駅伝)に出場、優勝争いをできるくらいだと思います。
選手の皆さんにはぜひこの悔しさを力に替えていただいて、
今後益々の活躍を期待したいと思います。
◆エスビー食品陸上競技部メンバープロフィール
記者会見に臨む瀬古さん
◆第37回福岡国際マラソン結果
優勝:瀬古利彦(エスビー食品)
2位:ジュマ・イカンガー(タンザニア)
3位:宗茂(旭化成)
4位:宗猛(旭化成)
5位:アルベルト・サラザール(アメリカ)
6位:伊藤国光(鐘紡)
結果、ロサンゼルスオリンピックマラソン日本代表に瀬古・宗兄弟の3人が選出。
<PS>
知らなかったんですが、この大会には中山竹通選手(ダイエー)も出ていたんですね。
主役になるのはソウルオリンピック選考会を兼ねていた4年後の同大会。
いわゆる「這ってでも出てこい」発言ですね。
大会そのものは序盤からぶっちぎりで優勝を飾られました。
そんなことも思い出しました
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