マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~田川後藤寺

2021年11月14日 | 旧街道を行く<その他>
小倉常盤橋を起点とした街道が5つあります。

先週の旧中津街道を走ったことで4街道を制覇しました。

となると残る1つ。旧秋月街道です。

やり切りたいですね。ということで急遽下調べして出発!

本日の走破ルートと高低差は






35.4km 実走行時間:4時間ちょうど でした。


◆小倉常盤橋

 

中津街道同様に橋を渡らずに紫川東側をスタートです。




香春口交差点。今日は香春の先が目的地です。








この地を治めた細川氏、幽斎や忠興など京都嵐山に似ているということで歌に詠んだということです。

どうですか?嵐山に見えますか?川脇に山、その山が川に迫っているところなど似てますかね。


 

切腹岩 加用公民館のところにありました。

香春岳城主原田義種の支城があり、守将として山川式部が守っていたが、

大友軍に攻められて敗れ、この岩の上で切腹したと伝えられています。




石灰岩の採石場、このあたりはこのように山を削っているところがいくつもあります。

こちらの山は平尾台の方角になります。もうすぐ呼野宿になります。


◆呼野宿

 

この辺りが宿場。柿の実がたくさんなっています。公民館の敷地に柱が建っていました。


  



里程標 「小倉迄三里弐拾四町」「採銅所迄壱拾四町」「大里迄四里弐拾七町」

※里:約3.93km 町:109m

この里程標はもともと50mほど先(南・秋月側)にあるお糸地蔵のところにあったとのこと。




お糸地蔵堂

この先で宿場外れます。


 

旧道らしく土道。山道で上ったところが金辺峠です。




金辺峠


 

島村志津摩の碑




下りに入ると舗装されていました。この先旧道は私有地になっていたので大きく迂回。




田畑と紅葉


◆採銅所宿



この辺りで採銅所宿になります。




古宮八幡宮 参道は急な階段でした。この神社の横に柱がありました。


 

「香春迄壱里(?)」「呼野迄…」




日田彦山線 1時間に1本くらいで走っています。




また里程標がありました。


  

採銅所から一里 上野まで二里二十二町

この先で香春宿になります。


◆香春宿



この辺りが宿場です。


 

御茶屋藩庁跡 ここがこの宿場の中心だったと思います。

桝形になっているところに






札ノ辻がありました。


 



光願寺 ここには測量の旅をしていた伊能忠敬が宿泊したとのこと。

この先で宿場外れになります。




写真右端にあるのが里程標、直進は日田街道、右折は秋月街道。


 

「従是南豊後日田道」「従是西猪膝道」と彫られています。

日田に向かうのは英彦山方面から抜けていくのでしょうか。


 

ここも追分 左に行くと秋月、右に行くと上野。




伊田商店街 彦山川を越えて街道筋にある商店街。伊田・後藤寺辺りは宿場ではなかったんですね。

ですが香春と猪膝は距離があるので間の宿というか茶屋等があったのではないでしょうか。

ここまでくると後藤寺駅ももうすぐのはず…(乗らなければならない電車の時間が迫っています)




後藤寺駅のところで線路をくぐってここで今日は終了。

右が旧道、左に行くと駅です。




田川後藤寺駅


 

後藤寺駅で見た平成筑豊鉄道の車両           新飯塚へ向けて乗った1両編成


◆旧秋月街道を行く
  第1回:2021年 11月 14日(日) 小倉・常盤橋~呼野宿~採銅所宿~香春宿~田川後藤寺駅
  第2回:            田川後藤寺駅~猪膝宿~大隈宿~千手宿~秋月城下~野町宿~松崎宿



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
   旧東海道を行く 日本橋~
   旧中山道を行く 日本橋~
   旧日光道中を行く 日本橋~
   旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
   旧甲州道中を行く 日本橋~

 ◆その他
   旧川越街道を行く 板橋~

 ◆九州
   旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
   旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧唐津街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
   旧日田往還(朝倉街道)を行く 筑前山家宿~



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旧中津街道をゆく (椎田宿~中津城下)

2021年11月07日 | 旧街道を行く<その他>
◆椎田宿

 

椎田宿内の道




旧役場は現在歴史資料館になっていますが郡屋だったとのこと。




説明板

この先で宿場を外れます。


 



滝の本橋 この界隈は入江だったので海岸線沿いを街道が通っていたようですが干拓事業で今は田んぼばかりです。


◆松江宿

「まつえ」ではなく「しょうえ」と読みます。




この辺りが宿場だったと思われます。

あまり大きくなかったと。すぐにJR日豊本線へ。




そこで海を見ることができました。

その先で郡境道標がありました。


 

「従是西築城郡」「従是東上毛郡」と郡境

今まで見たものは字は彫られていても黒塗りではなかったのでこれは最近何か手を入れた??


◆八屋宿

現在で言えばJR宇島駅近くです。


 



宿場の中に道標がありました。「西小倉道」




教圓寺 立派な門と塔でした。


 

この細い川が藩界
豊前一国を治めていた細川氏の後、中津藩と小倉藩の境目がこの川。




明治になる直前に替地で藩界が佐井川に変わったようで、


 

その藩界石が佐井川近くのあるお宅の庭先にありました。

佐井川を越えてまっすぐ行くと山国川にあたります。




ここで初めて中津城を目にすることができました。






山国川は基本的に船での渡しだったとのこと。上が小倉側、下が中津川の説明板です。






中津城内に入るにはいくつかある入口を通る必要がありますが小倉口から城内へ向かいます。






中津城西門からさらに中へ入っていきます




中津城本丸にある天守

ここで街道終了としました。


<おまけ>

中津城からJR中津駅に向かう途中に寺町を通りました。

そこにある「合元寺」は壁が真っ赤。







黒田氏以前に中津を治めていた宇都宮一族は黒田氏に反旗を翻し、幾度もの激しい攻防が繰り広げられるも最後には降伏。

宇都宮鎮房を中津城内で討ち、この合元寺で待機していた家臣を急襲。

不意をつかれた家臣たちは奮戦むなしく最期を遂げたとのこと。

その際の返り血が壁に。なんど白に塗り替えても赤い色が浮かび上がるために壁をすべてあかに塗ったとの逸話が残る寺です。



◆旧中津街道を行く
  2021年 11月 7日(日) 小倉・常盤橋~苅田宿~大橋宿~ 椎田宿~松江宿~八屋宿~中津城下



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
   旧東海道を行く 日本橋~
   旧中山道を行く 日本橋~
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   旧甲州道中を行く 日本橋~

 ◆その他
   旧川越街道を行く 板橋~

 ◆九州
   旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
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旧中津街道をゆく (小倉・常盤橋~椎田宿)

2021年11月07日 | 旧街道を行く<その他>
小倉・常盤橋を起点とした街道は5つありますが4つ目の街道、旧中津街道を行きます。

細川忠興公が拠点を中津城から小倉城に移し、小倉~中津間の移動のために整備させたルートになっています。

今日の走破ルートはこちら



54.8kmでした。


◆小倉・常盤橋



今回はこの橋を渡らず、紫川の東側を通っていきます。




中津口交差点 旦過市場近くを抜けて国道3号・10号重用区間に出るとこの交差点です。

中津に向かうぞ!ってわかりやすいですね。


  

旧道はこの道幅です。




中津街道に関する最初のものは説明板でした。


  

湯川交差点で左折、旧道がそのまま残っています。公園の木が色づいています。






葛原八幡神社


◆苅田宿



この先で苅田宿に入ります。




道標がありました。「久保まで四里」「椎田宿まで四里半」と彫られています。

苅田宿はこれくらいでした。






白庭神社・御所山古墳


◆大橋宿

  

この川(万年橋)を越えると大橋宿になります。現在の地名は行橋です。

宿場内で桝形になっていて道標がありました。

※道標で曲がってしまいましたが正式な中津街道は直進して大きく迂回するようです。




正八幡宮 ここに中津街道説明板がありました。




旧中津街道が大きく迂回していること、でも近道を使う人が多かったことなどが説明されていました。

私も近道しましたからね。

この先の今川で宿場は終わり。






高瀬のお休み場 宿場の間で休憩できる茶屋が複数あったようです。




航空自衛隊築城基地




城井川横にあったススキ

この先で日豊本線を横断しますが


 

ななつ星でした。ラッキー!(慌てて撮ったのであまり良い写真ではありませんが)


 

この先で椎田宿に入っていきます。



◆旧中津街道を行く
  2021年 11月 7日(日) 小倉・常盤橋~苅田宿~大橋宿~ 椎田宿~松江宿~八屋宿~中津城下



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
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 ◆その他
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 ◆九州
   旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
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   旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
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旧門司往還を行く

2014年12月27日 | 旧街道を行く<その他>
せっかくの九州。九州の大動脈「旧長崎街道」を走ってみます。

その前に九州上陸から街道起点の常盤橋までを制覇したいと思って

博多⇒小倉を新幹線、在来線に乗り換えて小森江駅へ。

この「門司~小倉・常盤橋」間のことを門司往還と呼ぶようです。


 
大里宿の最寄駅。関門海峡を渡って最初の宿場が大里です。


 
大里本町一丁目交差点。このあたりが船着き場だったんでしょうかね。



◆大里宿


旧街道の風景


 
庄屋屋敷跡


  
本陣(御茶屋)跡


 
重松屋敷(脇本陣)跡



高札場・南郡屋跡


 
人馬継所


 
大里一里塚跡



長崎番所跡



大里宿案内図



門司麦酒煉瓦館

現在の門司駅辺りで宿場外れに。



旧道は残っているものの鹿児島本線の敷地になり行方不明になっているところがあります。



企救の高浜として万葉集に二首載っているらしいです。


 
門司口橋と門跡 ここを渡れば小倉城下です。



◆小倉城下

 
旧道を進むと正面に百貨店が。旧中山道の八木橋百貨店同様、街道をふさいでいました。



小倉中央商店街が旧道です。

商店街を抜けると…



左前方に小倉城が見えていたはずなのですが、NHKをはじめ高い建物で見ることができません。


 
伊能忠敬測量記念碑


 
常盤橋

この常盤橋は江戸の日本橋のようなもので、九州の街道の起点です。

長崎街道、唐津街道、中津街道、秋月街道、門司往還。

5つか。制覇する日は来るのか?



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
   旧東海道を行く 日本橋~
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 ◆その他
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 ◆九州
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旧街道を行く、九州編の調査開始

2014年08月09日 | 旧街道を行く<その他>
江戸時代の旧五街道を完全踏破する目標はまだ道半ばですが、

福岡にいる間に九州の街道を走ってみようかと市の図書館に行ってみました。

そしたら…

長崎街道(別名シュガーロード)、唐津街道の本がありまして。

しっかり説明書きされていますから非常にわかりやすい。

でも本文読むのは疲れるので道路地図だけコピー。

涼しくなったら?フルマラソン前にマラニックとして走りましょうかね。



長崎街道は佐賀と長崎の県境辺りで複数のルートがあります。



唐津街道は唐津城下を過ぎても先がありますがそこまで行くのは難しいかな…


そのうち『旧街道を行く』にアップします。



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旧日光例幣使街道を行く 今市宿~栃木宿

2012年05月13日 | 旧街道を行く<その他>
◆日光例幣使街道とは?
徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道で、
中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通で、地元(栃木県鹿沼市~日光市)では
現在もこの区間(国道293号~国道121号)を「例幣使街道」と呼んでいる。この区間にも日光杉並木が現存する。


ということで倉賀野が起点とのことですが、逆に日光側(今市宿)から走ってみました。

昔の風情が残るのは鹿沼まで、ですが蔵の街として町おこしをしている栃木宿までを走ってみました。

ちなみにこの例幣使街道の宿場は

   1.倉賀野宿(群馬県高崎市)
   2.玉村宿(群馬県佐波郡玉村町)
   3.五料(ごりょう)宿・五料関(群馬県佐波郡玉村町)
   4.柴宿(群馬県伊勢崎市)
   5.境宿(群馬県伊勢崎市)
   6.木崎宿(群馬県太田市)
   7.太田宿(群馬県太田市)
   8.八木宿(栃木県足利市)
   9.梁田宿(栃木県足利市)
  10.天明宿(栃木県佐野市)
  11.犬伏宿(栃木県佐野市)
  12.富田宿(栃木県栃木市)
  13.栃木宿(栃木県栃木市)
  14.合戦場(かっせんば)宿(栃木県栃木市)
  15.金崎宿(栃木県栃木市)
  16.楡木宿(栃木県鹿沼市)
  17.奈佐原宿(栃木県鹿沼市)
  18.鹿沼宿(栃木県鹿沼市)
  19.文挟(ふばさみ)宿(栃木県日光市)
  20.板橋宿(栃木県日光市)
  21.今市宿(栃木県日光市)


二十一次になりますが、赤字部分だけが本日のコースです。




 
日光道中との追分です。左日光道中、右例幣使街道。

別れてから鹿沼市に入るまでほとんど杉並木が残っており、ひんやりとした空気感の中で進むのは心地よいよりも

少し寒いくらいでした。


  
杉並木内の風景


 
室瀬一里塚


 
地震坂 昭和二十四年の地震で地すべりしたとのこと。そんな大きな地震があったんですね。


 
本多正盛公の墓

このお寺さんのあたりは杉並木が途切れておりました。

勝手な推測ですが、この辺りが「板橋宿」だったと思います。(ホント!?)


 
板橋一里塚



ずーっと向こうまで杉並木



次に杉並木が途切れたところ、文挟宿のようです。漬物屋さんの看板からも。


 
文挟信号の下に道標がありました。『左大谷 右鹿沼』


 
左のこんもりしたのが一里塚ですね。道の反対側には「小倉一里塚」の棒が建っていました。


  
杉並木の中の風景は変わり映えしませんが、ずーっと続いてまして、右の写真でようやく鹿沼市に入りました。


 
並木寄進の碑


 
鹿沼土 つつじとかさつきを植えるのに使ってましたね。子供のころからなじみのある土色です。


 
杉並木も形を随分と変えています。保存状態の違いは日光市と鹿沼市の考え方の違いでしょうか?


 
鹿沼例幣使物産直売所 熊の剥製が置いてありました。



これが杉並木最後ですね。わずかですが。ここは鹿沼さつきマラソンで走るコースで、レースでは向こうから走ってきます。



御成橋と黒川 これを渡れば鹿沼宿ですね。



古い建物です。


 


屋台



まちの駅 新・鹿沼宿 仲町です。ランナーが集合してました。



石橋町交差点 いったんここで終了です。

このあと鹿沼さつきマラソン10kmの部(実際は9.4km)に出場しました。


さて、レース後ですがまたまた石橋町から南に向かって走ります。

既に足が重たいです


 
鳥居跡



街道に看板はありましたが、日光例幣使街道に関するものというのではないですね。

五街道以外は遺産として残していくという考えがあまりなかったのかもしれません。



残されているのは道祖神・庚申などですね。これはどこの道筋にも残されています。


 
追分交差点の下のところに道標がありました。近寄ってみると既に文字が消えつつあります。

辛うじて判別できたのは『右中仙道』で、『左』はよくわかりませんでした。


 

 
大地主などでしょうか。家が非常に大きく、門構えもすごかったりします。



思川を渡ります。

渡ってすぐに左手に折れていきますが、このあたりが金崎宿のようです。東武金崎駅もあります。


 


個々で昔からの建物が残されています。すごい立派ですねぇ。



合戦場宿だったようですね。郵便局のところにありました。

その郵便局のお向かいは


 
日立製作所創業者の生家でした。


栃木宿へ


万町交番の前にある桜井肥料店

例幣使街道の旧道としては平柳一丁目交差点から右に入っていく道だと思うのですが、

県道3号線をそのまま直進しました。


 
下野新聞社


 
古久磯提灯店見世蔵


 
山本有三記念館



蔵の街観光館



古い商家



JR線・東武線栃木駅

ここまでで終了!

街道沿いには特に見る物があまりないので、この先倉賀野まで行くかどうか…

たぶん行かないでしょうね。

日光例幣使街道の旅でした。




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