◆内野宿
東構口跡 内野宿に入りました。
旅籠若松屋跡 こじんまりとした宿の割に旅籠が多い(と思いました)
郡屋跡
内野宿絵図と説明図
太宰府への追分。本陣跡へ。
旅籠肥前屋
脇本陣・下の茶屋で長崎屋。シーボルトも小休止したようです。
西構口跡
内野宿もここまで。いよいよ冷水越しが始まります。
大根地神社荒田の鳥居を奥に進んで行きます。
舗装路から未舗装路に変わりました。
冷水峠の石畳が始まりました。
首なし地蔵
<首なし地蔵の話>
悪者がつれの男を殺した。横の地蔵に「誰にも言うな」と言うと、地蔵が「わしは言わぬがわれ言うな」と言った。
びっくりした悪者は、地蔵の首を刎ねた。何年か後2人連れの旅人の一人が地蔵の首の無いことを自慢げに話した。
つれは殺された人の縁者だった。地蔵の忠告を忘れ話した悪者はかたきを討たれた。
冷水越しの名の由来、この川の流れ。冷たい水でのど潤し、疲れをいやしたからのようです。
一里塚跡 この先急勾配に…
急勾配です。象も歩いた長崎街道、この急坂を象はどのようにして下ったのでしょうか。
大根地神社へはこの上りを行くようです。
郡境石
長崎街道・冷水峠の説明板 やっぱり長崎から来た人向けの書き方だなぁ。。。
街道随一の難所を越えました。上れば下り…
下りは整備されてます。
人の畑ですが「長崎街道」と建てられています。失礼して進んでみます。
道じゃないくらい…街道だった頃はもう少し道幅が確保されていたと思いますけどね。
国道わきに残る旧道、箱根峠から三島に向かう道に似ています。
細く・急勾配で荒れ果てた感じの道です。が看板を立ててくれているので間違いはありません。
「長崎街道迂回路」と書いた看板あり。では正しい道は?と山の上へ向かう「らしき道」へ。
上れば下りる。再び国道に出る。
念のためガードレール下を覗いてみた。
道ではない。が、下に見慣れた看板が立っているようだ…
間違いないと思ってこの道なき斜面を下りた。
やっぱり看板だった。誰も歩かないからこうなってしまうんだな。
ふたたび道なき道へ。ゴミが投げ捨てられているところに「長崎街道」と。
奥に入ると川を渡れる。
渡ったところに再び看板。
右側写真のコンクリートの柱は元々橋だったのではないか。
渡った先から振り返るとこんな場所。やっぱり長崎から歩いてきた人向けに作られている感がある。
肥後細川藩本陣跡と思われます。
もう少し下っていくと次の宿場です。
◆旧長崎街道を行く
第1回:2014年12月27日(土)
小倉・常盤橋~ 黒崎宿~木屋瀬宿~小竹駅
第2回:2014年12月30日(火)
小竹駅~飯塚宿~ 内野宿~ 山家宿~原田宿~弥生が丘駅
第3回:2015年2月15日(日)
弥生が丘駅~田代宿~轟木宿~ 中原宿~神埼宿~境原宿~ 佐賀城下~牛津宿~肥前山口駅
第4回:2015年6月20日(土)
肥前山口駅~小田宿~北方宿 北方宿~塚崎宿 塚崎宿~嬉野宿~彼杵宿
第5回:2015年10月31日(土)
彼杵宿~松原宿 松原宿~大村宿~永昌宿 永昌宿(諫早城下)~肥前古賀駅
第6回:2016年3月21日(月・祝)
肥前古賀駅~矢上宿~日見宿 日見宿~長崎
『旧街道を行く』シリーズ
◆五街道
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~
◆その他
旧川越街道を行く 板橋~
◆九州
旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
旧唐津街道を行く 小倉・常盤橋~
旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~
旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
旧日田往還(朝倉街道)を行く 筑前山家宿~
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