日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
割とまめに書くようにしています。
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2011年3月11日 あいのり

2011-03-16 19:49:48 | エセ善人ねた
 先に書いた通り、自宅から横浜までファーゴ(ワンボックス車)で行った。途中の歩道にはたくさんの人が歩いていた。

 こうした災害時には助け合わなければならない。移動においても然り。定員8名のウチのクルマ、横浜方面まで帰る誰か乗って行かない…?だが、足早に歩く人々に対し助手席の窓を開けて運転席から呼びかけることができなかった。

 理由の1つは、あまりにクルマの進み具合が遅かったこと。何しろ歩いた方が早いのだ。そこら辺までの人だったら「いいよ、歩いてくから」になるだろう。何度も声を掛けるのも大変だしヘンなオヤジに見られそうだ。歩いてるグループを見つけてと思ったが生憎といない。

 2つ目の理由は具合悪そうな人がいなかったこと。例えば見るからに高齢であったり、足を引き摺っていたり、子供連れでいたりすれば声も掛けやすいのだが。実際のところ、歩いていたのは20代~40代くらいの人ばかりだった。

 でも結局は人に「お困りではありませんか」と声を掛ける勇気がなかったからなのだろうと思う。例えば駅前なら「横浜方面、無料でお乗せします」と紙に書いて貼ってクルマ停めるとかできたかな…いや、こんなスローペースならボディサイドに貼っておけば気付いた人が声かけてくれたかも…進まないクルマの運転席で、そんなことを考えていた。

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2011年3月11日 地震、私のケース(後半)

2011-03-16 07:22:12 | ノンジャンル
 よりによって、と言う言葉があるが今日がまさにそれ。
 今日の午後は、静岡県に住む両親が羽田空港近くに向けて移動中だった。

 無事は比較的すぐに分かった。JR横浜駅に着いたところで全列車の運行が止まったとのこと。横浜から羽田までの足は確保できそうにない。「前編」の通りに帰宅し、そこからクルマで迎えに出かけた。この時点で両親は横浜駅を追い出されYCATへ、さらにパシフィコ横浜に避難していた。

 拙宅から国道に出た瞬間からクルマはほとんど動かず。親を乗せるためなのでクルマで出かけるのは止むを得ないと言い訳。帰宅までの道すがら同様、徒歩帰宅する人の姿は途絶えない。歩行者の方がクルマより早い。どんどん追い抜かれでしまう。大した抜け道があるわけでもなく、大人しく渋滞の中をノロノロ進んでゆく。

 結局、3時間近くかかって深夜12時過ぎに到着、パシフィコではようやく毛布と水とを配るところだった。すぐに両親と会えクルマへ収容。寒い晩だったので、雨風を凌げるとは言え70代後半の両親をコンクリの床で一晩は居させたくなかった。

 事前予約かつ本日なにがなんでも行くと連絡しておいたホテルへ。海沿いの国道は渋滞が酷かったので内陸の国道を、こちらは割とスムーズ(時間帯を考えればやはり混んではいたが)。誤算だったのは羽田周辺、環八が動かないとは…ホテル到着は2時。パシフィコから1時間半かかった計算。

 その後の帰宅はスムース、3時には寝ることができた。短い眠りだが屋根も布団もある。両親も元気だった。これ以上なにを望むと言うのか。

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