4ヶ月の長丁場な写真展、気付けばこの連休で閉幕!油断してたらこれだ。気付いて良かった、ちょうど東京方面へ向かうことにしたので行ってみよう。
会場が「旧新橋停車場」なので、「昭和モダンの」と謳いつつも鉄道を絡めた写真がメインだろうと見当をつけ入ったところ、必ずしもそうではなかった。もちろん鉄道もある。車両は客車で茶一色、ダブルルーフで機関車はSLが殆どの頃だ。円タクもある、初期のボンネットバス(と言うより乗合自動車)もある。
だが当時の様子を写した風俗写真も多い。モボ・モガが一般的になった頃。カフェーが流行り始めた頃。そして戦後復興の頃。さほど広くはない会場だがパネルサイズが小ぶりなので展示枚数は多く、見終わっての満足感は高い。
今より社会は絶対的に貧しい。社会インフラは貧弱で人々の家々は粗末、着ているものは質素でバリエーションに乏しい。なのに人々の表情に憂鬱さは見えない。苦しい顔はあっても「鬱」な気配がないのが現代と決定的に違う。それは、アジア諸国を歩いた人々が抱く感想と似てはいないか。
これ見て「写真展みてきました」と言うのは正しくない気がする。作画がどうの、技術がどうのではなく被写体や背景なのだから。でも、なぜ石川カメラマンがその被写体にレンズを向けシャッターを切ったのか、単なる記録的使命からだったのかそれとも…と考えれば少しは「名もなき報道写真展」ではなく個人名を冠された本展の意義があるような気がした。
2011年3月19日 鉄道歴史展示室(旧新橋停車場)にて
会場が「旧新橋停車場」なので、「昭和モダンの」と謳いつつも鉄道を絡めた写真がメインだろうと見当をつけ入ったところ、必ずしもそうではなかった。もちろん鉄道もある。車両は客車で茶一色、ダブルルーフで機関車はSLが殆どの頃だ。円タクもある、初期のボンネットバス(と言うより乗合自動車)もある。
だが当時の様子を写した風俗写真も多い。モボ・モガが一般的になった頃。カフェーが流行り始めた頃。そして戦後復興の頃。さほど広くはない会場だがパネルサイズが小ぶりなので展示枚数は多く、見終わっての満足感は高い。
今より社会は絶対的に貧しい。社会インフラは貧弱で人々の家々は粗末、着ているものは質素でバリエーションに乏しい。なのに人々の表情に憂鬱さは見えない。苦しい顔はあっても「鬱」な気配がないのが現代と決定的に違う。それは、アジア諸国を歩いた人々が抱く感想と似てはいないか。
これ見て「写真展みてきました」と言うのは正しくない気がする。作画がどうの、技術がどうのではなく被写体や背景なのだから。でも、なぜ石川カメラマンがその被写体にレンズを向けシャッターを切ったのか、単なる記録的使命からだったのかそれとも…と考えれば少しは「名もなき報道写真展」ではなく個人名を冠された本展の意義があるような気がした。
2011年3月19日 鉄道歴史展示室(旧新橋停車場)にて