熊本に住む24歳の娘が一人で(実際には70過ぎの爺がお供することになったが)四国巡礼を思い立ち、実行した記録。コースは別府から八幡浜へ渡り、そこから逆打ち(逆回りの巡礼)をしている。
今ならコミュ障と呼ばれかねない、他人とはまともに話ができないくせに筆を取ると意気軒昂と言うか自意識過剰、若さゆえの未熟ぶりが鼻につく。本人も解ってはいるようだが、その姿勢を改めようとは思わなかった風。自我の確立、維持にばかり目が向いてるように見受けられる。
100年も前の話である。当時の日本の人々の無遠慮な視線や物言い、四国遍路=社会で行き場を失った人々の流浪の場という雰囲気が良く伝わってくる。スピリチュアルな巡礼と化し人気が出たのは、わずかここ数十年の話というわけ。
著者は絶対に好きになれそうにないタイプの女性だが、野宿粗食に耐え、厳しい巡礼行の中で句を詠み旅日記を纏めた、そのバイタリティは現代の人々では中々見られないものではないか。その点は素直に感心し賞賛したい。
2020年9月7日 自宅にて読了
今ならコミュ障と呼ばれかねない、他人とはまともに話ができないくせに筆を取ると意気軒昂と言うか自意識過剰、若さゆえの未熟ぶりが鼻につく。本人も解ってはいるようだが、その姿勢を改めようとは思わなかった風。自我の確立、維持にばかり目が向いてるように見受けられる。
100年も前の話である。当時の日本の人々の無遠慮な視線や物言い、四国遍路=社会で行き場を失った人々の流浪の場という雰囲気が良く伝わってくる。スピリチュアルな巡礼と化し人気が出たのは、わずかここ数十年の話というわけ。
著者は絶対に好きになれそうにないタイプの女性だが、野宿粗食に耐え、厳しい巡礼行の中で句を詠み旅日記を纏めた、そのバイタリティは現代の人々では中々見られないものではないか。その点は素直に感心し賞賛したい。
2020年9月7日 自宅にて読了