戦時の金属類回収令で全国の社寺の多くの鐘も供出されてしまい、その後に造られたお寺の鐘の音は軽く高くなってしまったそうだ。そんな中で永平寺の鐘は昔と変わらないのだろう、ドーン(デザイン)とも(カルロス)ゴーンともつかぬ音で殷々と響く。TVで「行く年来る年」を観ていた頃、永平寺からの中継があると嬉しかったものだ。ガキのくせに鐘の音には拘ったのである。
さてその永平寺、寝起きする雲水(僧)の生活ルポはこれまでにあったかもしれないが、その第一歩を克明にルポしたのは本書が始めてかもしれない。市井の人であることを捨て、かと言って僧とは認められない未熟で不安定な時期の、理不尽に思える厳しい生活を読むと驚きの連続。世間であればパワハラか暴力沙汰で訴えられそうな行為も日常茶飯事(本書は少し前に記されているので、さすがに門内であっても2020年には変わっているのか?)、ただしそれも先輩雲水からの愛あるシゴキであることは著者自身がその立場に変わった時に知る。
総ての行為にお作法があることも驚き、まさか脱いだ服の畳み方だけでなく用の足し方にまで。しかも諸々の行為ごとに唱える念仏がある。日々のことゆえ誰でもいずれ覚えられるものなの?
他山はともかく、永平寺の僧であれば誰もが通る道だと思えば、もしまた行く機会があれば彼等を見る目が変わる気がする。それにしても著者は1年いてようやく僧として本格的な修行が始まった時点で山を降りてしまったのだろう、もう解った気になってしまったのだろうか。
2020年9月14日 自宅にて読了
さてその永平寺、寝起きする雲水(僧)の生活ルポはこれまでにあったかもしれないが、その第一歩を克明にルポしたのは本書が始めてかもしれない。市井の人であることを捨て、かと言って僧とは認められない未熟で不安定な時期の、理不尽に思える厳しい生活を読むと驚きの連続。世間であればパワハラか暴力沙汰で訴えられそうな行為も日常茶飯事(本書は少し前に記されているので、さすがに門内であっても2020年には変わっているのか?)、ただしそれも先輩雲水からの愛あるシゴキであることは著者自身がその立場に変わった時に知る。
総ての行為にお作法があることも驚き、まさか脱いだ服の畳み方だけでなく用の足し方にまで。しかも諸々の行為ごとに唱える念仏がある。日々のことゆえ誰でもいずれ覚えられるものなの?
他山はともかく、永平寺の僧であれば誰もが通る道だと思えば、もしまた行く機会があれば彼等を見る目が変わる気がする。それにしても著者は1年いてようやく僧として本格的な修行が始まった時点で山を降りてしまったのだろう、もう解った気になってしまったのだろうか。
2020年9月14日 自宅にて読了