【ぼちぼちクライミング&読書】

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三十三間堂(蓮華王院本堂)

2011年02月25日 21時17分09秒 | お出かけ

お出かけ、養源院訪問のつづき。
三十三間堂を訪問した。
(「なんだ、お寺巡りか」、とパスしたりせず、クライミングに通じるものがあるから読んでみて)

建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
小説の舞台としては、「宮本武蔵」が有名でしょうが、
私が訪問したくなったのは、「風にもまけず、粗茶一服」に登場するから。
少し長いけど引用する。(P89-90)

三十三間堂は、平清盛が後白河法皇のために建てた。内陣に並ぶ柱と柱の間が三十三あることからそう呼ばれている。柱の間隔は二間ほどだから、つまりずいぶんと細長いお堂であり、なぜかくも長いのかと言えば、そこに千体もの観音像を並べるからだ。
(中略)
ところで、千体千手観音に比べれば知名度はかなり下がるかもしれないが、三十三間堂と聞いて次に人々の脳裏に浮かぶのは、おそらく<通し矢>伝説だろう。
二間おきに柱が立っているということは、本堂の全長は約百二十メートルということになる。この軒下で、江戸時代、弓の名手達が端から端まで一昼夜に何本射通せるか矢数を競った。
今、一般的に弓道の試合は二十八メートル先に的を置いて競うから、百二十メートルといえばその約四倍にあたる。それほど遠くへ矢を飛ばすには、弓を上に向けて矢の滞空時間を延ばすにしくはない。ところが、軒下ではこれができない。水平に遠くまで飛ばすには強弓を使うよりない。弱い弓でまっすぐ射ても矢はすぐに落ちてしまうからだ。百二十メートルに及ぶ軒の下で矢数を競うということは、言うまでもなく破天荒な腕力勝負であった。次々に剛の者が登場し、百単位の勝負から、またたく間にエスカレートして千本単になった。三十三間堂で今も見ることのできる額には、星野勘左衞門という紀州藩士が八千本を射通したことが記されており、さらにその後すぐに紀州の和佐大八郎が八千百三十三本を記録した。
八千本というのは通すのに成功した数であって、彼らが放った矢はもっと多い。星野にしても和佐にしても一万本以上の矢を射ており、通らなかった矢の多くは軒や庇に突き刺さった。三十三間堂の軒は、だから今も疵だらけなのだ。爾来この場所は弓道家にとって特別な空間となっている。


いかがでしょうか?
私は、この約百二十メートルの長さを、直接現地に行って感じてみたかった。
だから、訪問したのである。
写真を撮ってきたから見て欲しい・・・これはすごいよ。
この距離を1本だけでも射るのは至難でしょう。
一昼夜に八千本射るという・・・腕力、技術、精神力、体力、様々な要素が必要。
単純に計算して、少なくとも1分間に数本射ていることになる。すごい速射である。
再度、下の写真を見て欲しい。この距離をがんがん速射していくのだ。(どんだけのパワーしとんねん!)

さて、クライミングに例えるとどうだろう?
私の練習は、(がんばっても)数時間掛けて600手くらい・・・しかも失敗ばかり。
星野勘左衞門、和佐大八郎の実力はビッグウォ
ール、フリーによるワンデイアッセントに通じるものがある。
(あるいは、それ以上か?昔の日本人、すごいぞ!)



これが、約百二十メートル・・・すごすぎる!

こちら鴨川・・・ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
(時間が早いせいか、鴨川名物、等間隔カップル並列見られず)

【参考リンク・三十三間堂】
http://www.sanjusangendo.jp/
http://www.otelife.com/static/contents/special/sp_02
http://www.koyama-kyugu.com/guide/toushiya.php

関連作品として、成瀬巳喜男監督『三十三間堂通し矢物語』もある。