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「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う」森達也

2013年05月11日 07時48分34秒 | 読書(ノンフィクション)


「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う」森達也

非常に重いテーマ。
結論も容易に出ない。(出せない)
考えるきっかけになれば、と思って読んだ。
著者は、様々な方に会って取材されている。
弁護士、元検察官、政治家、元裁判官、刑務官、教誨師、死刑囚、被害者遺族・・・。
いくつか文章を紹介する。

P12
死刑は不要なのか。あるいは必要なのか。人が人を殺すことの意味は何なのか。罪と罰、そして償いとは何なのか。

P130
ドイツ生まれのユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントは、ホロコーストの実行責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、その罪を「凡庸な悪」と形容詞ながらも、アイヒマンへの死刑執行を肯定した。ただしその理由は、「数百万人の人々を殺したから」ではなく「人類の秩序を破ったから」であると、その著書『イェルサレムのアイヒマン』で主張した。

P210刑務官OB坂本敏夫さんとの会話
「死刑囚は執行の際に即死しますか」
「私は即死していると思います」
「でも三十分間吊されるんですよね」
「心臓が強い人は生きていますから。でも意識はないと思います」
「苦しんではいないですか」
「・・・・・・苦しんでいないと、思います」

P283-297
全国犯罪被害者の会・・・通称「あすの会」幹事の松村さんとの会話
「・・・・・・それと、もしも死刑を廃止するならば、私に殺させてくださいということですよ。仇討ちになってしまうかもしれないけれど、本来ならば一緒の空気を吸いたくないということです」
「加害者が更正しようが・・・・・・」
「関係ない。全然関係ない。よく生きて償うっていうじゃないですか。何するのよ。どうやって償えるの。償うっていうことは殺した人を生き返らせることなんだよね。それができるなら初めて生きて償うって言えると思う。それ以外、生きて償うということはありえないと思いますよ」

【参考リンク】
全国犯罪被害者の会→公式サイト

【ネット上の紹介】
「悪いことをした人間は、当然その報いを受けるべきだ」「誰かの大事な人を、苦しめて苦しめて殺した人間が、自分と同じ社会でのうのうと生きているなんて、そんなの許せない」――でも、死刑のボタンを押しているのは、誰? 償えない罪が生まれるとき、そこでは何が起きているのか。人が人を殺すことの意味は?
森 達也 (モリ タツヤ)  1956年広島県呉市生まれ。映画監督、作家。1998年、自主制作ドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)