「民族衣装を着なかったアイヌ──北の女たちから伝えられたこと」瀧口夕美
興味深い話の数々。
著者自身の話、母の話、祖父の話、親戚の話、知り合いの話・・・いろいろ。
P179-180
私は自分自身のルーツとして、アイヌのことがものすごく気になりながらも、アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身との距離がずっとつかめずにいた。アイヌ語は“絶滅危惧言語”と言われているし、「滅びゆく民族」というイメージは、私自身にとってさえ根強いものだった。日本史の教科書などで目にするアイヌは、アイヌ文様が刺繍された着物をきて、狩猟・採集をして、茅でつくった家に暮らしている。そういう姿でなければ、アイヌではないかのように。しかし、アイヌは滅んだのではなくて、生活スタイルを変えながら今に至ったのだ。長い時間をかけてそう気づき、日本化した暮らしの中でアイヌとして生きた先輩に話を聞きたいと思うようになった。
P121
少数民族ウイルタのアイ子さんの樺太での話。
日本軍は、国境地帯での奇襲攻撃にそなえ、トナカイ部隊を編成していた。日本とソ連の国境をなす北緯50度線の周辺はツンドラになっているので、苔が分厚く生えていて、馬の体重では馬体が苔にめり込んで立ち往生してしまう。その点、トナカイほどの軽さなら、荷物を積んでその苔の中も歩いていける。トナカイの蹄は前に2つ、後ろに2つあって、ぐっと踏み込むとその蹄が開き、カンジキをつけているような状態になる。冬の間の橇による移動も、おとなしいトナカイにひかせれば、犬ぞりに比べて静かに行えるというのが利点だった。
問題は、トナカイがツンドラの苔しか食べないことだった。
この作品は、あちこちの書評で取り上げられている。
私が読む気になったのは、朝日新聞日曜版で、三浦しをんさんが誉めていたから。
困ったのは、一般の書店や図書館で入手出来ないこと。
出版社SUREに直接申し込んで郵送して貰う必要がある。
(運が良ければ、地元の図書館が入荷しているかも?)
PS
作品の中で芽登温泉が紹介されている。
行ってみたくなった。
→芽登温泉 - Wikipedia
→芽登温泉ホテル
【ネット上の紹介】
本書の著者、瀧口夕美は1971(昭和46)年、道東の代表的観光地、阿寒湖畔のアイヌ・コタンで生まれました。父は和人、母はアイヌ、家業はみやげ物屋。北海道ブームでにぎわう観光地のまっただなかで、少女へと成長していくことになりました。
「どうして、わたしは、ここにいるの?」──。
ものごころついて以来、この自問はずっと彼女のなかに続いてきたようです。
彼女の母は、その両親を早くに亡くして、道内の十勝地方から移ってきた人でした。
また、彼女の父は、幼時に満洲(中国東北部)で聴覚を失い、本州で成人したのち、彫刻家としての活動場所を求めて、この地に渡ってきた人なのでした。
観光地での商売のためには、身近な誰もがアイヌの民族衣装を身につけて働きます。けれど、日常の自分たちの暮らしに戻ると、誰もそんな格好で生活していない。自分がアイヌだと実感できる材料はひとつも見あたらないのでした。
珍しげに見知らぬ観光客からのぞき込まれたり、学校のコドモ同士ではいじめられたり。自分にとって「アイヌ」でいることは避けようのないことでありながら、はっきりとした像も結んでくれないものなのでした。
「もう純粋なアイヌ人はいないんでしょう?」と問われるたび、「アイヌって、なに?」──という疑問も、たえず自分のなかから湧きました。
わだかまりを残したまま30数年が過ぎていきます。
いまは編集者となって働く東京から阿寒湖畔のアイヌ・コタンに帰省して、あるとき、ついに彼女は切りだしました。
「ママは、どうしてここにいるの?」──。
これをきっかけに、北海道で、サハリンで、人生を重ねた北の女たちが、口ぐちに彼女へと伝えはじめた、それぞれの歴史とは?
【本書の目次】
まえがき 「今はもう日本人と同じなんでしょう?」
第1章 どうしてここにいるの?──母・瀧口ユリ子のこと
オジジのトゥイタクを聞くまで/北海道旧土人保護法──私の祖先の場合/「同化政策」というけれど/牛のおじさん/見ることと、見られること──おみやげと観光
第2章 故郷ではない土地で──ウイルタ・北川アイ子さんのこと
オタスで暮らしたころ/私は自分をウイルタでも日本人でもなくした/ソ連時代の暮らし/引き揚げる
第3章 鏡のむこうがわへ──サハリンの女たち
海を渡る/国境があった場所で
第4章 鉄砲撃ちの妻──長根喜代野さんのこと
アイヌ、自分との距離/狩猟と夫婦げんか/お風呂でのトゥイタク
あとがき 私たちの歴史