「カリスマ」~中内功とダイエーの「戦後」(上・下)
流通と小売業から、戦後史を辿るノンフィクション。
読み応えのある大作である。
もともとダイエーは兄弟経営であったが、結局、中内功のワンマン経営となる。
P206-207(上巻)
俗に兄弟は他人の始まりというが、昔から、“兄弟経営”というものがうまくいった例は、きわめて少ない。古くは山崎製パンオーナーの飯島兄弟(藤十郎、一郎)の血で血を洗うといわれた”お家騒動”が知られているし、戦後経営者の代表の1人といわれたリコー社長の市村清も、弟の専務を追放した。
兄弟経営がうまくいくのは、出光興産の出光佐三と計助や、三洋電機の井植歳男、祐郎、薫のように、年齢が親子ほど離れ、実力も衆目のみるところケタはずれに違っている場合か、さもなくば樫尾忠夫を筆頭とする四兄弟のごとく、技術開発を軸に、兄弟一致して切磋琢磨したカシオ計算機のような技術系企業かにほぼ限られる。
P241(上巻)
千林商店街について
“日本一の商店街”とも呼ばれるこの街は、陰陽道でいけば、大阪の中心の大阪城からみて東北すなわち丑虎の方角にあたり、万事に忌み嫌われる場所だった。
千林から京都寄りに十駅先に行ったところに香里園という駅がある。1931年、この駅の東に、成田山新勝寺の別院が建立された。京阪電車が“除霊”のため誘致したものだった。
P243(上巻)
ダイエーが産声をあげたこの商店街は、サティ、ビブレなどを展開する、もう一つの大手スーパー、ニチイ(現・マイカル)の発祥の地としても知られる。
P422(下巻)
99年1月、社長の椅子を味の素元社長の鳥羽薫に譲って会長に退いたとき、これまでの人生を振り返って思い出は、と聞かれた中内が、こう答えたことを印象深く覚えている。
「これまでの人生で楽しいことは何もありませんでした」
・・・あまりに寂しいコメントである。
皆さんご存じのように、現在ダイエーは、イオン(ジャスコ)の子会社になった。
栄枯盛衰、である。
(ダイエー“D”を意匠化した)オレンジ色の“上弦の月マーク”は、なくなった。
【ネット上の紹介】
神戸の零細な薬屋に生まれた中内功は、地獄のフィリピン戦線を奇跡的に生き延び、戦後、三宮の闇市から事業を始めた。流通の世界に革命を起こし、高度経済成長と足並みをそろえるように急成長を実現、日本一の小売業者にのしあがる。しかし、破滅の足音はすぐそこまで迫っていた。二十年以上にわたる取材をもとに、圧倒的なディテールで中内ダイエーと戦後日本を描いたノンフィクション大作、増補完全版。
[目次]
プロローグ 私はなぜ中内ダイエーの盛衰を書いたのか
第1部 苦悶と狂気(沈む半月マーク
メモリアルのなかの流通帝国)
第2部 飢餓と闇市(三角の小さな家
書かれざる戦記
日本一長い百貨店
キャッシュレジスターの高鳴り
牛肉という導火線)
第3部 拡大と亀裂(神戸コネクションと一円玉騒動
わが祖国アメリカ
黄金の六〇年代
ベビーブーマーたち
血と骨の抗争)
第4部 挑戦と猜疑(「わが安売り哲学」
三島由紀夫と格安テレビ
一兆円は一里塚
バブルの予感、V革の悲劇)
第5部 膨張と解体(裸のラストエンペラー
持ち株会社第一号とローソンの反乱
宮古の怪、福岡の謎
南島のファミリーカンパニー
夢のまた夢)
第6部 懊悩と焦燥(中内ダイエーの一番長い日
インサイダー疑惑の衝撃
堕ちた偶像
幻の流通革命)
第7部 終焉と残照(無念の退場
革命児最後の日々
時代を照らした二つの星
戦後戦記の輝き)
エピローグ 堤清二氏との対話
【関連作品】
城山三郎氏の「価格破壊」は、ダイエー・中内功氏がモデル。