「いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録」広島テレビ放送/編
8月6日、原爆で亡くなった広島二中一年生、全滅の記録。
P35-38
広島二中一年生の作業というのは、家をこわしたあとのかたづけでした。
(中略)
広島二中の一年生は、新大橋――いまはかけかえられて、西平和大橋と名もかわった――の東づめから、一学級、二学級の順で六学級まで、二列横隊でならびました。
本川を背にして東に向かい、ちょうど、広島市に侵入してくるB29爆撃機エノラ・ゲイ号と、真正面から向きあう位置にあったのです。
P174
死に場所がわかった生徒もいますが、広島二中一年生の三百二十一人の半分ちかくは、遺体を見つけることができませんでした。
つまり、ゆくえ不明なのです。
P190
本川土手に整列した広島二中一年生、三百二十一人と四人の先生は、こうしてひとり残らず全滅しました。
広島に行かれることがありましたら、平和公園の本川土手に、広島二中の碑があるのをたずねてください。
(中略)
烈し日の真上にありて八月は
腹の底より泣き叫びたき
(山下明治くんのお母さんの歌)
【参考】…西平和大橋について
右下の橋が平和大橋でその道なり左が西平和大橋。
「夕凪の街」P22、川一面の死体が幻視される橋 。
P100【解説】によると、「本当はもっと大きな橋です」とある。
もし、「夕凪の街」未読の方がいるなら、強くお薦めする。
わずか35頁の作品だが、激しく心を動かされる。
[目次]
その日の朝
河本くんの日記から
本川土手の集合
爆発の瞬間
川の中で
脱出から再会へ
郊外へ
その夜
お寺の救護所で
寄宿舎から平良村へ
寝られぬ両親
あくる朝
非難する途中で
ゆくえのわからない生徒たち
そして全滅した
[出版社商品紹介]
8月6日、いつもの朝だったはずなのに…。原爆で未来を断たれた広島二中の生徒の壮絶な記録。原爆の悲劇を二度とくりかえさないために。