
「わたしが妹だったとき,こども」佐野洋子
北京で過ごした幼い日々を描いた童話と エッセイ。
文庫本あとがきより
P267
子供はその日その日しか生きていない。先のことを心配するにしても、せいぜい、親にばれるまでの時間でしかない。想像する源の経験が絶対的に不足しているからである。だから大人の方が、ずっと思いわずらうことが多く不安も絶望も盛り沢山である。
にもかかわらず、子供の時の気持ちを思い出すとどっと疲れる。経験の不足はその時その時をそれ一筋にかかり切るのである。それが一瞬のことであってもそれにしか、かかり切る事しかなすすべがないというのはつらいことであった。めいっぱいそのことにいのちがついやされていったのだ。大人になってそんな事は出来ない。あれこれわき道が用意されていて、大人は大人の右往左往があるのだ。
【ネット上の紹介】
わたしとお兄さんは、だれよりも気の合う遊びなかまでした。わたしに弟ができ、また弟ができたのに、いつもお兄さんとばかり遊んでいました。お兄さんが、ある日、遠くへいってしまうまで―。幼くして亡くなった兄と、妹だった「わたし」の日々を絵と文で綴った、珠玉の短篇童話集。北京で過ごした幼い日々を回想したエッセイ「こども」を併録。
わたしが妹だったとき(はしか
きつね
かんらん車
しか
汽車)
こども