「うまれることば、しぬことば」酒井順子
新たに生まれた言葉、
過去、流行ったけど廃れた言葉。
これらについて考察し、コメントしている。
とても面白い、お薦めです。
P26
たとえば、「朝活」やら「パパ活」といった泡沫系の「○○活」という言葉を見ると、「活動」というより「活用」の意味で使用されていることが多いのでした。(中略)
「パパ活」であれば、ときめきに飢えたおじさん達を金ズルとして活用しよう、という若い女性の意欲が感じられます。
P34
別れというのはたいてい、切り出される側からすると寝耳に水。となるとそちら側では、「しばらく距離を置こう」を文字通りの意味に捉えてしまい、
「ということはしばらく経ったらまた付き合うってことよね?」
などと思ってしまうのでした。
「しばらく距離を置こう」とは、出版業界における「休刊」とか「品切れ中」と同様の言い方。復活する可能性は限りなくゼロに近いということを察してほしいという、ずるい言い方でもあるのです。
P36
日本人にとって「縁」とは、人為の結果ではなく、天の配剤ですから、「ご縁」を持ち出されると、反論のしようがないのです。
そんなわけで、「ご縁」は我が国最強のお別れワード。・・・・・・であったのですが、「卒業」は今、それに代わる勢いを持つようになりました。縁を切りたい相手に「卒業」を言い渡せば、「あなたと別れたいわけではありません。新しい世界へ旅立っていくあなたの背中を押してあげたいだけのです」といったほんわかムードが漂うのですから。
P114
看護婦→看護師、保母→保育師のように、女であることを前提とした職業の名称がユニセックスなものに変更されたのは、2000年前後のことでした。しかし同じように「働く女」を示す「OL」という言葉は、その後も生き残っていたのです。
P133
IT技術は、積み上げるものではなく、更新されるもの。(中略)IT化は、若さや新しさが偉いという時代の流れを、さらに強めるのです。
P144
歌の中で「本当の恋」「本当の自分」などと表現されると、まだ見ぬどこかに「本当」が待っていてくれるような気がして、特に若者などは夢が広がるのだと思う。
しかし大人になってみると、それが本当かどうか追求しないところに人生の味わいがあるようにも、思えてくるのでした。(中略)本当だらけの人生というのも、実はつまらないのではないか。
P191
日本においてセクハラという言葉が人口に膾炙したのは、1989年です。(中略)平成元年はセクハラ元年でもあったのです。
P213
「家つき・カーつき・ババア抜き」という言葉が流行ったのは、「核家族化」が流行ったのと同じ、1960年代のとこです。
P223
謝罪会見とは、江戸時代における市中引き回しと同様に、悪事を犯した人を「見たい」という世間の欲求を充足させるために行われるイベントです。
【感想】
先日、「日本語の大疑問」を紹介した。
これを執筆したのが、国立国語研究所の日本語の達人たち。
本書も、日本語についての考察。
改めて思ったが、著者は名人クラス。
「達人」の域を超えている。
【ネット上の紹介】
陰キャ、根暗、映え、生きづらさ、「気づき」をもらった……あの言葉と言い方はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか。「ことば」にまつわるモヤモヤの原因に迫る、ポリコレ時代の日本語論。古典や近代の日本女性の歩みなどに精通した著者が、言葉の変遷をたどり、日本人の意識、社会的背景を掘り下げるエッセイ。以下、章題。・Jの盛衰・「活動」の功と罪・「卒業」からの卒業・ 「自分らしさ」に疲弊して・「『気づき』をもらいました」・ コロナとの「戦い」・「三」の魔力・「黒人の人」と「白人」と・「陰キャ」と「根暗」の違い・「はえ」たり「ばえ」たり・「OL」は進化するのか・「古っ」への戦慄・「本当」の嘘っぽさ・「生きづらさ」のわかりづらさ・「個人的な意見」という免罪符・「ウケ」たくて。・「You」に胸キュン・「ハラスメント」という黒船・「言葉狩り」の獲物と狩人・「寂しさ」というフラジャイル・「ご迷惑」と「ご心配」・「ね」には「ね」を
Jの盛衰
「活動」の功と罪
「卒業」からの卒業
「自分らしさ」に疲弊して
「『気づき』をもらいました」
コロナとの「戦い」
「三」の魔力
「黒人の人」と「白人」と
「陰キャ」と「根暗」の違い
「はえ」たり「ばえ」たり〔ほか〕