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「「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史」中村光博

2020年04月21日 14時17分42秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)
「「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史」中村光博

戦争孤児に対する政府の対応について
P52
「(前略)本音を言うなら、たとえ1日1個でいいからおにぎりくらい配ってほしかったですよ。なんででしょうね。戦争孤児が戦争を起こしたんじゃないんだから。政府がやったんだから。それなのに何にも政府は・・・・・・。毎日死んでいくんですよ、子どもが。食べなきゃ死んじゃいますよね」

P156
昭和21年の春、GHQの担当者が、日本政府や自治体に、対策をとるよう指示をしたのだ。指示を出したのは、GHQの公衆衛生福祉局の担当課長だったネルソン・ネフ氏。厚生省の幹部や警察、東京都の担当者などをオフィスに呼び出し、いまだに子どもたちが町をさまよっている状況を改善するよう、強く対策を求めた。

かつて戦争孤児だった方の言葉
P193-194
「よく身に染みたよね、人の冷たさっていうのかね。本当に優しかったら、あの孤児たちが、浮浪児がいたら、そこで何か周りでね、温かい手を差し出しているはずなんだよね、だから、日本人というか、人間は、案外そういう冷たさを持っているんじゃないかと思うけどね」(当時、野良犬のように扱われた仕打ちに対する怒りは、今も消えない・・・政府、役人だけでなく、世間、具体的には親戚の冷たい仕打ちは酷かったようだ)

あるキリスト教系の保護施設の仕打ち
P197
クリスマス会ということでいい服を着させてもらい喜んでいたのもつかの間、会が終わり、地域の人たちが帰ると、すぐに服を脱がされ、元のぼろぼろの服に着替えさせられたのだという。
「時々、厚生省なんかの役人が来て立ち入り検査がある。そのときだけ、子どもたちにいいものを着せる。役人の見学は5分ほどで終わって帰っていく・・・・・・そうするとすぐにその新しい服は脱がされて・・・・・・そんなんあり得ますか。誰だって怒ると思うよ、そんなことされたら。
そのときに、何が神様だって思ったよ。(後略)」

一緒に行動していた戦争孤児が、列車にとびこみ自殺する
P100
「俺はそのとき思った、これから徹底的に社会に逆らって生きてやるって。なんなんだ、僕たちばっかりにこんなことさせて。何の罪があるというんだ」(戦争孤児が多かった都市ほどヤクザが多いように思う、抗争も多いように思う・・・彼らには生活手段がなかった・・・暴力団側も、使い捨ての駒として、使い勝手がよかったんじゃないか・・・)

【ネット上の紹介】
戦争で親を失い路上生活を強いられ、「駅の子」「浮浪児」などと呼ばれた戦争孤児。飢えと寒さ。物乞いや盗み。戦争が終わってから始まった闘いの日々。しかし、国も周囲の大人たちも彼らを放置し、やがては彼らを蔑み、排除するようになっていった。「過去を知られたら差別される」「思い出したくない」と口を閉ざしてきた「駅の子」たちが、80歳を過ぎて、初めてその体験を語り始めた。「二度と戦争を起こしてほしくない」という思いを託して―戦後史の空白に迫り大きな反響を呼んだNHKスペシャル、待望の書籍化。
プロローグ―たった70年前、ここに孤児たちがいた
第1部 戦争が終わって闘いが始まった―焼け野原に放置された「駅の子」(神戸空襲で「駅の子」になった―内藤博一さん
上野駅で見た地獄―金子トミさん
孤児の保護施設・板橋養育院の悲劇
学童疎開の犠牲者―渡辺喜太郎さん
引き揚げ孤児の悲劇―瀬川陽子さん
路上生活で視力も失う―小倉勇さん
「戦争孤児」の保護を後回しにした国
奮闘した民間の保護施設―1000人の子どもを保護した愛児の家
「靖国の遺児」と呼ばれた子どもたち)
第2部 嫌われていった「駅の子」―復興から取り残され、やがて忘れられ(対策を指示したGHQ
始まった強制収容「狩り込み」
檻に閉じ込められた戦争孤児―伊藤幸男さん
復興から取り残されていく「駅の子」
路上で野良犬のように扱われる―山田清一郎さん
社会に逆らって生きると決めた―小倉勇さん
転落していった子どもたち
日本を去った戦争孤児―伊藤幸男さん
「駅の子」たちのいま)
エピローグ―取材を終えて
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